ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.4.1 採血・レントゲン後腫瘍内科診察、パージェタ・ハーセプチン19クール目

2020-04-01 23:12:32 | 治療日記
 
 年度末最後の出勤日の昨日。異動者の挨拶やら何やらでドタバタの中、定時を過ぎたところで強引に職場を出た。外は早くもポツポツと雨が降り出していた。
 駅前で夫と合流して夕食を済ませ、そのまま病院最寄り駅に向かった。雨は止んでいたので、長傘を夫に預け、折りたたみ傘を携えた。

 行きの車内で久しぶりに林真理子さんの「不倫のオーラ」(文春文庫)を読み始めた。帯には「令和になっても最強エッセイ!祝『週刊文春』連載1500回突破」とある。既に第31弾だというのだから、本当に大したものである。相変わらずの真理子節全開。ニヤニヤしながらスイスイ読み進めて、気づけば病院最寄り駅。残り3分の2は明日のお楽しみにした。路面は濡れていたが、雨は止んでいてほっとした。

 数か月ぶりに病院に一番近いホテルにお世話になる。昨年泊った時には朝食付きプランにしたけれど、今回はビュッフェは避けたいので素泊まり。まずはチェックインして身軽になってから、隣のコンビニまでサンドイッチ等を買い出しに行った。

 テレビをつければコロナ、コロナの大合唱。入浴後は少し瞑想して早めにベッドに入った。夜中に一度もお手洗いに起きず、6時間ほど連続して眠れたと思ったら、もう起きる時間だ。

 足湯を終えて、身支度を整え、ニュースを見ながら部屋で朝食が摂れたので気兼ねなくのんびり。お腹も壊れていない。外は予報通りの雨だ。一昨日から始まった朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウトした。

 外はかなりひんやりしている。ライナー付きのスプリングコートでも決して十分過ぎることはない。病院前の桜並木は可哀想に今回の雨が花散らしになってしまうだろう。先日の大雪にも耐えたというのに・・・。
 びしょ濡れの折りたたみ傘を傘入れに入れながら 自動再来機にIDカードを通す列に加わる。今日は採血・レントゲンの後に腫瘍内科、化学療法室のフルスケジュールである。

 まだ時間も早いが、採血の待合いはいつもより人が少ない感じだ。待合い椅子も結構空いている。この状況でぎっちり隣同士だとお互いストレスだろうから有難かった。番号を見ると8人ほどの待ち人数で7分待ちとあった。ほどなくして部屋に入れて、掲示板の待ち時間どおりに番号を呼ばれた。初めましての男性だったが、名札をしておらず、技師さんなのか看護師さんなのかも、お名前さえもわからなかった。今日は5本。ちょっとチクリとしたがまあまあだった。無事終わって採血室を後にする。

 エスカレーターを上がって2階のレントゲン受付へ。紙の受付番号を受け取り、2番目に呼ばれた。今日はこちらの待合い椅子もガラガラ。誰も座っていない。すぐに呼んで頂ける。今日は予めレントゲン撮影があることがわかっていたので、ブラトップにプラスチックのついていない下着をつけてきた。そのままの服装で撮影。正面と横からの2枚撮影して難なく終了した。

 再びエスカレーターで1階に降りて、腫瘍内科へ移動する。病院に到着してから20分ちょっとである。順調である。待合いはそれほど混雑していない。定位置は確保できなかったので、2列後ろに荷物を置いてから受付。なるべく人との距離を取る。月初めなので保険証の確認もお願いする。30分ほどしてから血圧測定。123-76、脈拍は85。私にしてはやや高めか。

 昨日の続きを読む。ちょうど2017年1月から2018年1月号までの記事で、単行本が同じ年の3月に発行されている。その2年後に文庫化、これがお約束だそうだ。僅か3年前のことも結構忘れているな、ああ、こんなことがあったなあ、と思いつつ真理子さんのちょっと意地悪な視線を楽しみながら読み進める。

 もう少しで読み終わる、というところで「中待合いへどうぞ」の番号が掲示板に出た。大荷物を抱えて移動する。ここまでで1時間半近く経過している。空いているように見えるけれど、一人一人の患者さんにそれなりの時間がかけられているようだ。中待合いで30分ほど待ち、先生から名前を呼ばれ診察室へ。ご挨拶をし、大荷物をカゴに入れて席に座るのはいつものパターン。
 
 開口一番「息子さんも社会人2年生ですね。」と仰り「おかげさまで、本人からも今朝、そんな連絡がきていました。」と言うと、「あちらは(コロナ)大丈夫なんですか」と。「ライブハウス等に行かなければ…」等と世間話をした後、「さていかがお過ごしでしたか?」と問われ、「まあ相変わらずです。大学は5月の連休明けまで休講になりましたが、教職員は普通に出勤です。タリージェのおかげで末梢神経障害の突き刺すような痛みが少し和らいだかなという感じはありますが、痺れは全然変わりません。その日によりますが夜とんでもなく眠くなって、ウトウトしてしまうことがあります。朝飲んだらちょっと大変かもしれません。お腹は相変わらず一日おきに下痢をし、気圧が変動すると鈍痛、圧痛が強くなります。」とご報告。

 PCには前回と今回の胸部レントゲンの画像が映っている。「うーん、痺れはねえ、色々使っていますからねえ。」との苦しいお返事。「採血は、またちょっとマーカーが上がりましたね。」とのこと。前回2月に測定した時は基準値以下になったと喜んだが、1月の前々回よりちょっと上がっている。上がったり下がったり、よくわからないのである。「レントゲンの画像は2月より影がやや明らかになっているかなと思いますが、明らかに増悪しているわけではなさそう。このくらいで推移してくれるなら治療続行で大丈夫でしょう。」とのこと。ほっとする。

 「で、薬ですが、期待の(エンハーツ)がいよいよ使えるようになりますしね。」とのこと。「ちょうど昨日製薬会社の方が見えて、先月25日に製造販売承認が出て、以前は3か月以内に販売で良かったのが、今は2か月以内に販売開始しなければならなくなったそうで、5月末までには販売されるようです。」とのこと。「販売されたらすぐにエンハーツを使って頂けるのですか。」と訊くと、「まあ色々手続きもありますが、うまくいけば6月中には使い始められると思います。ただ、今の病状のスピードを見ているとそこまですぐに変える必要があるのか、という気はします。変えるのは今かどうか。ただ、ゆっくりでも大きくなっているなら変えるタイミングでしょうね。副作用はそれなりにあるようですし、特に〇〇さんは副作用が強く出ますしね。脱毛もあるようです。まあハーセプチンと抗がん剤が離れないでくっついたまま細胞に届くように色々工夫されているようですが・・・」とのこと。

 新薬は前を走る患者さんがいないわけだから、その分リスキーではある。「ようやくかつらを外したばかりですが・・・」とちょっとかつら談義。作用機序としてエンハーツはイリノテカン等と同じ程度で、タキソテールからナベルビンの中間だそうだ。タキソテールは本当にツルツルになって、かつら生活がほぼ2年続いたが、ナベルビンは脱毛しなかった。その中間か。ECの時もほぼ完全に脱毛したが、タキソテールほどかつら生活は長く続かなかった。今回ハラヴェンは脇や後ろの髪は結構残ったので、前髪が伸びるのを待って今までかかったが、治療中止から僅か9か月でかつらを卒業出来たのだ。
 とはいえ、せっかくかつらを取ってもまた夏からかつら生活が始まるのかと思うとちょっとしょげる。夏こそ地毛が良かったのだけれど・・・。

 ということで、本日は治療続行。「6月まで今の治療粘れるでしょうか・・・」と訊くと「粘りたいですね。」とのこと。かつてカドサイラが使えれば本望だ、と思っていたが、その後進の薬の恩恵にまで預かれることが出来るとは夢にも思わなかった。長生きはするものである。診察室での検温は6度7分。
 「新型コロナウイルス感染は、化学療法の免疫力低下でハイリスクに該当すると思いますが、そのあたりはいかがでしょうか?」と訊くと「今のパージェタ、ハーセプチンの治療なら全く大丈夫です。」との心強いお言葉も頂いた。
 頻繁なアルコール消毒で手荒れが心配なので消毒する度に保湿のためのヒルドイドローションを塗っているが、それでも手のひらは赤くなって痛む。今日はいつもの7種類の薬に加えてヒルドイドローションを処方して頂き、ご挨拶をして席を立った。

 化学療法室へ入ると、待合い椅子に珍しく誰もいない。お手洗いを済ませてから5分ほど待って看護助手のMさんから案内されたのは内側の古いタイプのリクライニングチェア。荷物を整理し、夫やお友達に報告LINEを済ませた。

 ヘルプのSさんが刺針に見えたのは15分ほどしてから。化学療法室では異動がなかったと伺い、ほっとする。「もうこのポートは10年以上使っているんですよ」とお話しするとびっくりしていらした。初代が2年持たなかったのもあるのだけれど。針刺しは少し痛んだ。
 その後15分ほどしてKwさんから薬が届く。2剤併用の治療19クール目。パージェタも1年を折り返した。あと2か月、なんとか続けてうまく新しいエンハーツに繋ぎたい。点滴棒にはいつもどおり2本の250mlの薬液パックと50mlの生理食塩水の小さなパック、シリンジ。パージェタでスタート、ハーセプチンを挟み、最後に生理食塩水である。点滴が始まって15分のチェックでOkさんが顔を出されたが、2冊目の本に没頭していたので言葉は交わさず。
 
 今日の2冊目は桐野夏生さんの「夜の谷を行く」(文春文庫)。帯には「女たちが夢見た『革命』とは 連合赤軍事件をめぐるもう一つの真実に『光』をあてた桐野夏生渾身の傑作長編小説!」とあった。桐野さんの作品を読むのも久しぶり。彼女の物語が面白くないわけはない。読み始めるといきなり引き込まれるのはいつものパターン。

 「誰にも知られず、人目を忍んで暮らす啓子は『あさま山荘』事件を引き起こした連合赤軍の元メンバーだった。2011年の東日本大震災、永田洋子の死をきっかけに決別した過去が立ちはだかるー。」という惹句。頁を繰る手がもどかしいほど一気読み。3.11のあの日がリアルに蘇る。永田洋子さんが脳腫瘍で最期は大変なものだったというのもなんとなく漏れ聞いていたが、同じ年の出来事だったとは。本当に記憶なんていい加減なものである。「あさま山荘」事件の時、私は小学校高学年で山荘を破壊するボーリングのテレビで見た画像は覚えているし、凄惨なリンチ殺人で皆が震えたという記憶はあるが、果たして詳しいことは何も知らずに過ごしていた。こんなことだったのか、そしてもう一つの真実があったとは・・・と改めて息を詰めながら読んだのだが、今日はお隣さんがとても残念だった。

 カーテン1枚での仕切りなので全て会話が聞こえてしまう。その方は大腸がんの術後で、新しい抗がん剤の初回投与だったようで、モニターのチェックやら、薬剤の説明やらで何度もスタッフが行き来していた。ご本人は82歳でアメリカ籍のパイロットという方。かつての部下の話やら長男が外科医、次男は歯科医、長女は裁判官でそれぞれアメリカ在住で、あれこれ医療情報に詳しいのでアドバイスを色々されるそうだ。今日は奥様がお仕事で「自分のことは自分でやってください、甘えないで。」と言われているので、一人でタクシーで通ってきたとのこと。別に自分は全然甘えていないつもりだ。洋服等も自分で選ぶし云々。(なんでこんなに私が個人情報を聞いてしまえるかといえば、ご本人が滔々と看護師さんや薬剤師さんにお話しされるからである。決して聞きたいわけではない・・・)。本を読みながら気が散ってたまらない。もう少し声を落として頂きたかったけれど、そうも言えず。辛かった。

 最後の生理食塩水になったところで、Cさんが血圧測定にみえる。案の定、途中で腰が痛くてたまらなくなり(ここの椅子はどうリクライニングの角度を変えてみても腰に合わない。前回も痛くなった。)タオルやタオルケット、枕等を貸して頂いた。終了時の血圧は129-76、脈拍は68。抜針はKwさん。やはり若干の衝撃。化学療法室に滞在した時間は3時間半弱。

 大荷物を携えて、会計へ移動すると、いつもほど混雑していない。番号札を頂くのには並ばずに済み、待合い椅子の場所を確保してから処方箋を薬局に送るテーブルまで移動して、送付を済ませて待つこと20分ほど。お支払いはカードで10万弱。

 病院を出ると、相変わらず雨がしっかり降っている。薬局に到着すると待っているのは2人ほど。「処方箋を送りました。」と言うと、〇番で受け付けています、と番号札をくださった。
 今日も20分ほどで呼んで頂けた。普段は1か月の処方の方が2か月、2か月の方が3か月と長い処方になっていて、患者さんが少ないようだ。もちろん私のように3週間に一度必ず来るという化学療法室利用者は減らないのだけれど。
 「今日はローションが追加であとはいつも通りですね。」と。消毒で手荒れが心配なので毎回保湿ローションを塗っています、とお答えし、先の見えない新型コロナウィルス感染のお話しを暫し。カード支払いを済ませ、大きな袋一杯の大量の薬を受け取る。本日も病院と薬局の滞在時間は合計で6時間半ほど。

 帰路、途中駅で遅いお昼を頂きながら、本を読み終わった。傘を差しながらの大荷物はなかなか辛くてトホホである。
 先日雪が降った日、外出自粛で受け取りに行けなかったかつら屋さんに寄ってかつら2つの受取。すぐにNさんが気づいてくださって、すっかり綺麗にセットされて生き返ったかつらを受け取る。「もう地毛ですか、全然普通ですね。」と言われ、「前髪がちょっと短いし、へにょへにょでこうして雨に濡れるとなんだかなあ、なのですが・・・」と暫しお話し。

 「長く封印したかったのですが、また薬が変わると夏にまたお世話になるかも、です。」とご挨拶してお店を後にした。ただでさえ大荷物のところに持っていてかつら2つが加わり、もうギブアップ。最寄り駅まで行く元気はなく、夕食の買い出しをする元気もなく、そのままタクシーに乗ってしまった。
 
 帰宅して生協のお届け物を取り込む。お届け物を全て取り込んで冷蔵庫等に収納し、洗濯機を廻して最低限の片づけ物。途中、夫が頼んだふるさと納税の宅配等も届き、洗濯を干し終わったところで夫が帰宅した。草臥れ果てたし、お昼を食べ終わったのも夕方近かったので、遅い夕飯は夫に酸辣湯麺をリクエスト。ホワイトアスパラガスも茹でてくれて春の味を楽しんだ。

 それにしても年度初めの初日から通院休暇。上司が変わったというのにトホホな職員である。明日は出勤したらすぐに挨拶にいかねば。年度替わり早々気が重いことである。
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