昨日は在宅勤務日だった。居住する棟の大規模修繕工事の最終段階で、朝から南側の足場解体取り外し作業の騒音が続く。セールスの電話等も結構入って来るし、やはり自宅は執務環境に適した環境ではない。お腹は一日おきの下痢の日。夫を送り出してからは落ち着かなかった。職場とのメールのやりとりなどをし、結局一歩も出ずに夕方新聞を取りに行っただけ。
夫が帰宅して、用意した夕食を済ませ、出かけるのが嫌にならないうちに、と夫が送ってくれて病院最寄り駅に向かった。明日はお天気が崩れるようなので、折り畳み傘を出がけに荷物に足した。
行きの車内は空いている。ロングシートの隅とせいぜい真ん中にしか座る人はいない感じ。皆マスクをしている。今はなかなか手に入らないといっても、皆さんどうにかして調達しているのだなあ、と思う。
車内で原田マハさんの「たゆたえども沈まず」(幻冬舎文庫)を読み始めた。帯には「この本と旅をしました。そこには会えるはずのないゴッホがいました。」という女優・北川景子さんのコメント。表紙はゴッホの「星月夜」である。序章だけ読み、これは面白いに違いない!と確信し、明日大事に読むことに。
病院最寄り駅に到着すると、3週間前に比べてより一層駅が閑散としている。売店も当面の間休業の貼り紙。駅ビルも空いているのは食料品の階だけのようだ。
宿泊は前回とは違うが、これまで何度もお世話になっているホテルだ。チェックインカウンターには距離が取るためのポールが置いてあり、メディカルチェックアンケートも記入するように言われた。他の宿泊客にはどなたとも会わずにチェックイン。空いているのだろうか。
本の続きを読みたい気持ちは山々だったが、これから読み出したら眠れなくなってしまう、と我慢。テレビをつけると新型コロナウィルス感染の話題がエンドレスだ。都内は200人の大台には達しないけれど、相変わらず3桁の感染者数が続いている。
早めに入浴したら、あっという間に眠ってしまった。夜中一度目覚めたが、またすんなり寝直してモーニングコールのちょっと前に自然と目が覚めた。7時間以上たっぷり眠った。
足湯を終えて、身支度を整え、レストランに降りる。いつもは焼きたてデニッシュがビュッフェ形式で置いてあるが、今日はビニール袋に一人分ずつパッケージされていた。そして、私以外1人だけ。途中で2人降りてきたが、入れ替わりに出ていく人もいて、なんだか恐ろしいくらいしーんとしている。早々に食事を終えて、朝刊を頂いて部屋に戻り、新聞を読み、朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウトした。
外はまだお天気が良いし、割と暖かい。病院前の川沿いの遊歩道にはパンジーやチューリップ等が咲き乱れている。春爛漫なのである。桜の木はすっかり緑が濃くなっていた。
正面入り口はいつも2か所解放されているが、今朝は1か所が入り口専用、1か所が出口専用になっていた。入ると、再来予約がある人は自動再来受付機に動線が繋がっており、それ以外の人はカウンターで健康チェックがあり、症状がある人は受付窓口に行く形になっていた。ちょっと緊張して、IDカードを通す列に加わる。今日は採血・レントゲンがなく、直接腫瘍内科の診察、化学療法室というシンプルなスケジュールである。
予約時間までに30分以上ある。腫瘍内科の受付はすんなり。今月2回目なので、保険証チェックもなし。やはり待合いは皆さんかなり間を置いて座っている。定位置は確保できなかったので、2列後ろに荷物を置く。少し落ち着いたところで血圧測定。118-72、脈拍は91。
すぐに昨日の本の続きを読み始める。裏表紙には「19世紀後半、栄華を極めるパリの美術界。画商・林忠正は助手の重吉と共に流暢な仏語で浮世絵を売り込んでいた。野心溢れる彼らの前に現れたのは日本に憧れる有名画家ゴッホと、兄を献身的に支える画商のテオ。その軌跡の出会いが“世界を変える一枚”を生んだ。読み始めたら止まらない、孤高の男たちの矜持と愛が深く胸を打つアート・フィクション」とある。
そう、フィクションなのだけれど、解説で美術史家の圀府寺司さんが書いておられる通り、“全編にわたって物語の細部に至るまで歴史的史実がしっかり押さえられている”ため、どこまでが本当でどこまでがフィクションなのか、架空の人物や出来事がどれくらい挿入されているのかわからないほどぐいぐい引き込まれた。
私が初めてパリを訪れたのは、知人・Hさんの家に夏休みに40日もお世話になった大学2年の時。その春、彼女から聞いた、頭文字がHだと仏語でHは発音しないので、違う名前で呼ばれるという話が新鮮だった。私も同じ頭文字だったので同じことだった。この画商ハヤシもHを発音されずアヤシと呼ばれている。
その知人宅では春に3人目の赤ちゃんが生まれたばかりだったから(今思えばそんな状況でよくも転がり込んだものだが、1年前から何度もお誘いを受けていた。)、乳飲み子を抱えた彼女と一緒に観光するわけにいかず、メトロの乗り方と簡単な単語と数字だけ教わって、あとは一人で朝食後から夕食前まで、ろくにお昼も食べずに歩き廻った。学生だと美術館も割安だったし、毎日のようにどこかの美術館に通った。ルーヴル美術館だけでなく、オルセーやロダン美術館、ギメ(東洋)美術館、楽器博物館にも・・・。その後も、卒業旅行やら結婚後の観光で訪れたのに加え、研修で3か月住んだことがある。〇区と言われてもなんとなく土地勘があるから読んでいて楽しかった。
今は本当に凄い時代になったなあと実感するのは、こうして本を読みながら、この絵はどんなだったかしら、とスマホで検索すればその絵がぱっと画像で出てくるところ。うーん、なるほど、この絵の描写をこう書くか、とうんうん頷きながら読み進めた。本当、原田さん、凄い・・・。400頁超え、実に堪能した。
30分ほどで「中待合いへどうぞ」の番号が掲示板に出た。大荷物を抱えて移動する。今日は診察トップバッターだ。採血の結果待ちがないと、こんなにも予約時間通り。すぐ先生がお顔を出されて、名前を呼ばれ診察室へ。ご挨拶をして、大荷物をカゴに入れてから席に着くのはいつもと同じだ。
「まずは」と体温計を差し出され、検温。6度8分。そして「職場はどうですか。」と尋ねられ、「週に2度ほど在宅勤務が始まりましたが、なかなか環境が整っていないので・・・出勤した日は却って忙しく残業になっています。」と言うと、「週3なら頑張れますね・・・」と。
ああ、在宅勤務なんてどこの世界の言葉か、という先生に対して、申し訳ないことを言ってしまった。
先生の正面の壁のカレンダーの下には「コロナ対策のため、中待合いに呼ぶのは1人でお願いします」と貼り紙があった。なるほど、2メートル距離を取るにはそういうことだろうが、外待合いが結構混むことになる。なかなか難しいことだ。「体調はいかがですか。」と問われ、「相変わらずで、一日おきに下痢をし、たまに口内炎が出来、気圧の変動で痛みが出たり、マスクをしていると咳き込んだり、です。痺れは変わりません。」とご報告。先生はPCに入力されていく。
「そろそろCTを撮りましょうかね。」とのこと。「6月の新薬(エンハーツ)を使う前の確認ということですね?」と言うと「そうですね、前回1月から4か月ですから、6月の診察の前に入れましょう。」と言われ、5月末に予約を入れて頂いた。6月は1週目と4週目に治療があるので、1週目に結果を聞き、その時は結果がどうであれ今の治療を行い、変えるのであれば4週目から、との算段だという。
というわけで次回3週間後の5月には採血後、治療を続行することになった。
「新型コロナ・ウィルス感染の方は(この病院にも)おられるのですか。」と訊くと「いますよ。」とのこと。大学病院等も数多くある都と違って、この病院のある神奈川県方式は役割分担がしっかりしているので、それほど混乱もないという。なるほど、統計を見ると、患者数は都と比較すれば随分少ない。
薬はビタノイリン、タリージェ、タケプロンが21日ピッタリだと痺れた手で落としてしまった時等怖いので、少し多めに頂けないか、とお願いしたところ30日分出して頂けた。相変わらず消毒で手の痛みも酷いのでヒルドイドローションも出して頂く。それでは、とご挨拶をして席を立った。
化学療法室へ入ると、待合い椅子にお一人だけ。そしてビジネスマンが2人。受付機械が新しく入ったようだ。ラインに繋がっていて、番号札をQRコードで読み込ませると、待ち人数が分かるという説明を受ける。今日は待ち人数もいないので5分ほどで案内して頂けたが、混雑していると、あと何番目なのかがは分かると有難いことだ。本当にどんどん進化している。
最初Cさんから内側の古いタイプのリクライニングチェアを案内されたが、腰痛のことを言って窓側に移動させて頂いた。荷物を整理し、お手洗いを済ませ、夫やお友達に報告LINE。
Cさんが刺針に見えたのは10分ほどしてから。こんなに早く点滴が始まるなんてすごい。普段より1時間半以上早い。まだ病院に入ってから1時間ほどである。刺針は残念ながらちょっと痛くて顔をしかめてしまった。
その後15分ほどしてCさんから薬が届く。2剤併用の治療20クール目。点滴棒には2本の250mlの薬液パックと50mlの生理食塩水の小さなパック、シリンジ。パージェタでスタート、ハーセプチンを挟み、最後に生理食塩水はいつものとおりである。点滴が始まって15分のチェックでOkさんが顔を出されたが、本読みに没頭していたのでご挨拶だけ。
ふと看護師さんたちのマスクを見て気づいたこと。皆が皆、マスクの上に不織布やガーゼのようなカバーをしている。つまりマスクを何度も使い回ししているのだ、ということに驚く。そういえば、前回3週間前に「毎日マスクの配布がなくなっているんですよ。週に〇回になって・・・」と言っておられたことを思い出した。6週間前は「今のところ毎日配られているけれど・・・」、ということだった。医療現場ですらこれほどマスク不足は深刻なのだ、ということを改めて思い知らされる。私たちに回ってくるわけがないな、と思う。一般人が買い占めなんてもってのほかなのである。
最後の生理食塩水になったところで、Kwさんが血圧測定にみえる。先日Kwさんのお気に入りのケーキ屋さんに行ってみたら三密状態だった、なんてことをお話しする。終了時の血圧は125-70、脈拍は67。抜針はKwさん。やはり衝撃があって涙がじんわり。化学療法室に滞在した時間は3時間強。
大荷物を携えて、会計へ移動。普段より大分早いのかそれほど混雑していない。番号札を頂くのには並ばずに済んだ。窓口には前回はなかった飛沫防止のビニールカバーが下がっていた。待合い椅子の場所を確保してから処方箋を薬局に送るテーブルまで移動すると、「調整中」とあって、送付が出来なかった。ああ、せっかく早く終わっても薬局で待つのだなあ、としょんぼり。
割と早く番号が出たので、自動支払機に行ったが、「窓口で確認してください」と出る。窓口に行くと、まだ計算が終わっていないという。番号が出たのは間違いだったようだ。「計算が終わったらこちらの窓口で番号をお呼びします」とのことだったが、今度はまた電光掲示板に番号が出てしまい、直接呼ばれない。試しに自動支払機に再トライしたら支払いが出来たので、窓口まで「支払い出来ました」と報告に行く。なんだか行ったり来たり。結局会計で30分以上かかった。お支払いはカードで10万弱。
病院を出ると、大分お天気が悪くなっている。傘を持ってきてよかった、と思う。薬局に到着すると待っているのは3,4人。「処方箋を送る機械が調整中でした。」と言って番号札を頂く。ここでも前回はなかった飛沫防止のビニールカバーが下がっていた。今日は30分ほどで呼んで頂けた。
「今日は30日分のものが何種類かありますが」と問われ、「ぎりぎりでちょっと心配なので追加して頂きました。」と事情をお話しする。「タリージェはどうですか。」と言われ、夕食後とても眠くなること、期待したほど画期的に効いてはいないようであること、をお話しする。
まだ1か月ちょっとなのでだんだん効いてくれると良いのですが、と。カード支払いを済ませ、大きな袋一杯の大量の薬を受け取る。本日の病院と薬局の滞在時間は合計で5時間半弱。
帰路、どのレストランにも「当面の間休業」の貼り紙。ファストフードもテイクアウトオンリーになっていた。駅ビルがクローズなのは昨夜のうちに確認していたので、さてどうしようか・・・、とダメ元で、今年になってオープンしたタイ料理・インド料理のレストランを覗いたらオープンの札が出ていたので、ほっとする。
これまではランチタイム終了ギリギリの入店だったので殆ど貸し切り状態だったが、今日は少し早い時間だったし、他が閉まっていたせいか、お客さんが何組かいた。そして三密を避けて1テーブル置きに案内していたので程よく混んでいた感じ。なんとか雨が降り出さない前に帰りたかったので、ぱぱっと食べて駅に急ぐ。うまいこと快速に乗れて、帰りの乗り換えも順調だった。
帰宅すると、ようやく居住棟の足場がすっかりなくなって片付いていた。ようやくだ。本当に長かった。在宅の夫が迎えてくれたが、やはり騒音は酷かった模様。
疲れていたけれど、最低限の片づけものをし、溜まっていた洗濯物があったので、洗濯機を廻して夫と一緒に干してから休む。生協はやはり冷凍品・冷蔵品とも今までで一番欠品が多かったようだ。配送センターも大変な様子である。頑張ってくれているので本当に有難い。
夕飯は夫が作ってくれるというので、母に電話をしたり、リビングでビデオを見たりしてダラダラ。
明日は3日ぶりの出勤だ。2日空けてしまったのでメールがどれほど溜まっているかと思うと憂鬱であるが、今はじっと我慢の時である。