今日は今週初めての、夫と私、2人揃って出勤日。月・水は夫が在宅、火は私が在宅だったので、今朝は久しぶりに朝、鍵を閉めて家を出た。
今日もいいお天気だ。そろそろ居住する棟の足場が外されると良いのだけれど。隣の棟は一昨日外れて、昨朝ベランダに洗濯物が干されていたのをちらりと見て、羨ましく思った。ああ、早く我が家でも思いっきり洗濯物が干したい!
出勤すると、慣れないテレワークの環境で皆が浮足立っているせいか、帰宅後も心がざわざわしていて、落ち着いて新聞に目を通す時間や心の余裕がなくなっている。久しぶりに毎日新聞のデジタル版を読み、いきなり頭を殴られた気分になるようなコラムを見つけたので、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
明日元気になあれ「コロナ後に望むこと」小国綾子(毎日新聞 2020年4月14日 東京夕刊)
<自由に仕事ができないって、しんどいですよね。自由に学校に通えないって、しんどいですよね。自由に遊びに行けないって、しんどいですよね。でもね、知ってほしいんです。この世の中には、コロナが蔓延(まんえん)する前から、そうした生活を強いられてきた人々がいることを。そう、私たちの社会には障害や病気とともに生きる人々がいます>
これは作家、乙武洋匡さんが44歳の誕生日を迎えた4月6日、インターネットで公開した文章だ。新型コロナウイルス感染拡大で、生活が大きく変わっただろう人々に向けてつづっている。
はっとさせられた。人と会うことも一緒に歌うことも我慢し、へこんでいた私。終息し、元通りになってほしいと願っていた。でも、ただの「元通り」じゃダメなんだ。
乙武さんは書いている。障害を抱える人にとって、リモートワークの普及は長い間の願いだった。オンライン配信があれば、バリアフリー設備のない小さな劇場やライブハウスの音楽や芝居も楽しめたろう。オンライン教育がもっと普及していれば、不登校や長期入院中の子どもたちの学びの可能性はずっと広がっていただろう。
でも、少数派が声を上げても、社会はなかなか変わらなかった。ところが多数派が「当事者」となった途端、社会が一気に変わろうとしている。だから、乙武さんはあえて今、皆に呼びかけたのだ。社会に選択肢を増やそう、と。
<(感染拡大が終息すれば)みなさんも“日常”へと戻っていくことでしょう。でも。そんな、みなさんの“日常”に戻れない人々がいることを忘れずにいてほしいのです>。
これは「コロナ後」の社会への貴重な提言だと思う。
私がこの文章に出会えたのは、古くからの友人がフェイスブックでシェアしてくれたからだ。友人も難病を抱えている。亡き夫は腎臓移植後、免疫抑制剤を服用していたため、インフルエンザの季節の外出は命がけだった。彼女は在宅勤務歴10年。だから、緊急事態宣言後も生活は変わらない。
彼女が乙武さんの文章を紹介する際に書き添えていた言葉を、胸に刻んだ。それは「コロナ後」の社会に望むこと。「社会の理解が進んで、持病や障害のある人、介護や育児で生きづらさを感じている人たちの暮らしが少しでも理解されるものになっていたらいいな」(オピニオングループ)
(転載終了)※ ※ ※
緊急事態宣言による外出制限で、好きなようにお出かけも出来ない、ヨガスタジオにも映画にも行けない、GWに予定していた温泉の旅もキャンセル。なんとなく鬱々とした気分になっていたけれど、とんでもないのだ。横っ面を張られ、目を覚まさせられた気分である。
私自身は、度重なる抗がん剤治療中、好中球が下がっている時に外出するのは、命がけとは言わないまでもとてもリスキーだったから、自由に外に出かけられる有難さを痛感している。
今回、そのような障害を持たない人にとっては、なかなか自分事として考えづらかった移動の不自由さに、奇しくも遭遇することになった。この不自由さを実体験したことを、一人でも多くの人たちが「コロナ後」の時代に生かせることを強く望みたい。
次なる日常は一歩進んだ日常に、そう、コロナ後はそんな社会になっていたら良いなと心から思う。
それにしても毎朝毎夕、著名人をも含む感染者の数、亡くなった方の数を知らされ、各地で医療崩壊が確実に進んでいるという報道を見るにつけ、やはり恐ろしい気持ちは募る。
そんな中、日夜頑張ってくださっている医療関係者の方たちには本当に足を向けては眠れない。それなのに、医療関係者やその家族への差別があるなんてことを聞くと、暗澹たる気持ちになる。有事には、誰しも、いつもは影を潜めているダークな自分が顔を出してしまうのだろう。それも人間の性(さが)かもしれないけれど、哀しい。
繁華街に行くわけでもなく(都心にはもう2か月近く足を踏み入れていない。)、夫以外の人と会食をすることもなく(そもそも普段からランチも基本は一人である。)、三密を避けて地元で静かに暮らしている身(職住近接で毎日電車に乗ることもない。一番の遠出は3週に一度の通院である。基本食料品は週に1度の生協宅配で十分間に合っているから、ふらふらとスーパーに行くこともない。スーパーのレジの長い列に並ぶのが苦手なのだ。ただ、昨日は初めて欠品・遅配が6品もあった。)である。
けれど、普段から両肺多発転移の症状である空咳が出たり、治療の副作用による下痢が続いたりしている身でもある。マスクをするとどうしても息苦しくなる。普段と違ってちょっと咳込みが長引いたり、なんとなく痰が絡んだ感じがすると、熱は出ていないか・・・この症状は・・・と、とてもドキドキする。
もしや感染したのではないだろうか、今、私が感染してしまったら、どうなるのだろう、と。夫にうつしたら、とか仕事をどうしようか、とか職場に申し訳が立たないとか、エトセトラエトセトラ。
それでも不安になりだしたらキリがない。やれることはやっている。続けていくしかない。食欲もあり、睡眠も取れている。
今日は職場で初の“オンラインで、クリック一つで参加出来るWeb会議”に2つ連続で出席した。改めて今更ながら凄い時代になったものだと思う。
今やWeb飲み会なんていうものもあるらしい。これなら夜都心まで出向いていく必要もないし、飲めなくてもお久しぶり~の人たちの顔が拝めるし、たばこの煙を気にすることもなく、参加しやすいかな。
せっかく神様が与えてくださった大きな試練である。ここはゆっくり深呼吸して、転んでもただでは起きない、のしぶとい気持ちでいかなくては。
そう、何があっても大丈夫、世界はうまくいくように出来ている。なるようになる、といつもの瞑想をしながら、凪いだ心に戻す夜である。