ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.5.26 美容院に通って思うこと

2012-05-26 19:47:51 | 日記
 今日も仕事が休みだと思うと朝は起きられず。息子の送り出しと、タイマーセットしておいた洗濯を干すのも夫に依存。裏の小学校の運動会の音楽があまりに賑やかで、仕方なくのろのろと起きた。ようやく吐き気が治まってきて怠さだけになった。昨夜の夕食は殆ど何も食べられなかったので、お腹が空いている筈なのだけれど・・・。

 午後は学校帰りの息子と美容院で待ち合わせ。2人でカット。
 かつらのお世話になる日が遠からずやって来る。この美容院に通えるのもせいぜいあと2回くらいかな、と思う。もちろん、いずれそういう日が来ることを覚悟していたのだけれど、やはり人前で髪を切ってもらうことが出来なくなることは哀しい。悪いことをしているわけでもないのに、個室で誰にも会わないように気を使ってもらって、ごっそりと抜けた髪の毛を処理してもらう、何とも言えない切ない気持ちを嫌でも思い出す。
 ようやく髪の毛が落ち着いてきた矢先だ。一昨年の10月にかつらをはずした時は、まだまだうんと弱々しくて、前髪が伸び切らない髪だった。あれから2年もたなかったなあ、とウジウジしてしまう。タキソテールの治療後、かつらのお世話になった時間が丸々1年10カ月、そして自分の髪の毛でいられたのが同じ1年10カ月。
 この後はどうなるのだろう、もう生きている限りはずっとかつらなのかしら・・・と、考えても仕方ないことを考えてしまう。
 いきなりベリーショートにするのも気が早い(第一そんなことしたら、かつらデビューした時にかつらにしました!と言っているようなものだ。)ので、とりあえずいつもと同様、ヘッドスパと延長マッサージをつけてリラックスは出来た。担当さんにもまた当分お休みになります、とお伝えして。

 今度は脱毛する前に、いつもの写真館で自毛の写真を撮ってもらおう。遺影はせめて自毛の写真にしたい、というのは前にもこのブログに書いた。これも後ろ向き発言ではなく、ゲン担ぎ。「お墓を建てれば使わない」、「遺影を準備すれば使わない」ということにしたい。いずれにせよ、来年早々の息子の17歳の誕生日の家族写真は間違いなくかつらだろうから・・・。

 今回、薬のチェンジを決めて、息子にも「卒業式、お母さんは多分かつらだけど・・・勘弁ね。」と言ったところ、「出てくれるならそれでいいよ。」と言われた。「じゃあ、是非皆勤賞で名前を呼ばれて起立してね。」と言うと「頑張るよ。」とのこと。
 まあ、そうに違いない。再発当初、息子の高校の卒業式まで生きていられるかどうかと思っていたのだ。それが、あと2年弱となり、それまでは多分大丈夫、目指せ成人式、とずうずうしくも思っているのだから。
 タキソテール6クールで病変を抑えられた時間は、最後のホルモン剤ヒスロンH開始までの1年2か月。精神的にも肉体的にもあれだけの辛い思いをして、それだけの時間を買ったのだと思う。結局、画像上病変が見えなくなった、ということにはならなかった。消えずに残ったものはやはり手ごわいということだ。されば今回のアンスラサイクリン系の薬で引き延ばしてもらえる時間はどのくらいなのだろう。

 一方、夫は昼食後に義母のお見舞いへ。
 施設に引っ越した当初、食べた物を吐いてしまう、ということで一昨日入院していた病院へCT検査に出向いたが、「どこも悪い所はありません。」と太鼓判を押されたようだ。
 水曜日に義妹から写メで送ってもらった義母は、施設主催の運動会に参加して顔色も良く、車椅子に座って麻痺のある左手を三角巾で吊ってはいたが、それさえ見えなければポンポンを持って帽子を被りお洒落をして、どこも病人には見えなかった。
 そして、今日も夫が持参したお土産の水羊羹を美味しそうに食べられたそうだ。やはりもとは丈夫な人なのだな、と思う。
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2012.5.25 少しずつ準備・・・

2012-05-25 21:04:16 | 日記
 昨日はせっかく沢山の方々にご訪問頂きましたのに更新が出来ず、大変申し訳ありませんでした。
 体調不十分で、気持ちが穏やかでないと、情けなくもどうしても負の螺旋にはまってしまい、ろくなことが書けません。思い切ってお休みさせて頂きました。

 それでは、時系列に沿って体調等のご報告。
 一昨日は夫の帰りが遅く、早寝の私にしては遅い就寝時間になってしまった。治療日でもあり、減量したとはいえステロイドも入っているので、不眠と早朝覚醒は覚悟したが、何とか5時間ほど連続して眠ることが出来た。

 気持ち悪くありませんように・・・と期待したが、やはり目覚めるといきなり気持ち悪さが襲う。
 少なめにゆっくり時間をかけて朝食をとり、イメンド80㎎、ナゼア、マグラックス、ロキソニンを飲んで出勤。午前中は昨日たまった仕事の処理。普段はスルー出来る近くの人たちの仕事以外のお喋りが、妙に腹立たしい。仕事に来ているんじゃないの?と苛立ってしまう了見の狭さ。時間があるのなら、やっておくことはいくらでもあると思うのだけれど、などとよけいなことを考えてしまう。
 昼は軽くお腹に入れて、ロキソニンとマグラックス服用。午後はずっと会議で潰れる。終わった時にはもう定時になっている。情けないことにそれだけでぐったりする。顔の火照りと倦怠感が酷くなってきた。とりあえずざっと片づけて帰宅後、息子が塾で不在なのをいいことに、夕食の支度をするまで体を休める時間を稼げた。それにしても、自分に全く食欲がないのに食事の支度をするのは相変わらず不機嫌の素だ。
 結局、かなり遅い時間の夕食となり、ただでさえモタモタするお腹がますますもたれた感じ。食後、ロキソニンとマグラックスを飲み、さっさと入浴。ブログも書かずに就寝。

 そして今日。
 昨夜はお風呂上りに、夫が痺れた足をマッサージしてくれたこともあり、良く眠れ、今朝はわりと寝覚めが良いかな、と思いきや、起きて動き出すといきなり気持ちが悪い。
 息子は今日で中間試験終了。お弁当を作らなくて良かった4日間にとりあえず感謝だ(我が家の朝はパン食で、おかずなしの軽いものなので、お弁当作りがなければ食材の匂い等はそれほど感じない。)。そして、今朝もなんとか食事をしてイメンド80㎎、ナゼア、ロキソニン、マグラックス。昨日は全く便秘だったが、今朝は少し解消。
 とにかくあと1日!と出勤した。出勤するとプチ虹のサロンのSさんからメール。昨夜ブログの更新がなかったことで、体調が悪いのでは?と心配してくださっている。ご心配をかけたお詫びと、お互いあと1日頑張り過ぎずに頑張りましょう、と返信した。午前中、お茶を飲む気もせずお昼は食べられないかも・・・、と思うほどだったが、何とか食べることが出来た。と、腹痛が始まった。マグラックスは止めてロキソニンのみ。案の定今度は下痢気味に。本当に毎回毎回状況が変わり、うまくコントロール出来ないのがやるせない。

 一昨日のCT検査の結果、ナベルビンをチェンジすることが決まった。体調と相談しながら少しずつ準備を始めたい。最長でもあと2カ月ちょっとの猶予期間だ。

 それまでに仕事の調整、土日に詰め込んでいるアポの調整、カツラの準備等やっておきたいことはてんこ盛りだ。もちろん始めてみなければわからないこともあるのは重々承知。その上でなるべく精神的にも肉体的にもソフトランディング出来るように出来るだけ準備をしておきたい。心の準備も含めて。準備しすぎて後で笑い話になれば、それに越したことはない。

 思えば3年半前、初めての抗がん剤・タキソテールを始める前は患者仲間の相談相手もいなくて、とても心細かった。

 けれど、今回は違う。複数の患者仲間が出来ている。弱気なメールを出せば一緒に悩んでくれる友がいる。少しずつ準備をしながら、頑張りすぎずに頑張りたい。

 一人ではないから。
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2012.5.23 ハーセプチン155回目(3倍量18回目)、ナベルビン31クール1回目

2012-05-23 23:36:08 | 治療日記
 今日は快晴の予報なので、朝から大量の洗濯を干していたら、ドタバタになってしまった。何とか夫と息子を送り出し、いつも出勤するよりも早い通院日タイムで家を出た。私鉄の遅れで乗換がギリギリ、あわや次の電車になりそうだったが、とりあえずセーフ。途中で何とか席も確保出来て、予定どおりの時間に病院に入った。

 自動再来受付機経由で1階の採血受付へ。思いのほか空いていて、廊下でなく中でお待ちください、と言われた。なるほど数人待ち。こんなこともあるものなのだ、とびっくりする。15分ほどで終了。今日は白血球のチェックだけなので1本の採取。初めての看護師さんの接遇は丁寧で良かったが、刺針も抜針も血管が硬いせいなのか技術的な問題なのか、きわめて痛い。先週CTで刺したところとほぼ同じなので、内出血の兆候。
 腫瘍内科受付後、採血結果が出るまで小一時間はかかるのを見込んで、2ヶ月ぶりにエレベーターでメンタルヘルスセンターへ。今日も「リラクティブ」を30分利用した。波の音等のヒーリング・ミュージックと心地よい光の点滅、それにバイブレーション効果で、つかの間のリラックスタイムが過ごせた。今日は本も1冊しか持ってきていなかったので、ちょうど良い待ち時間調整になった。
 1階に戻って自動血圧測定器で血圧測定。100-58、脈は81。「中待合へどうぞ」のランプが点滅するまで40分弱。その後30分ほど待って診察室へ入った。

 診察室には学生さんが同席されていてご挨拶。「デキサートを減らして(吐き気は)どうでしたか?」の質問から。“私のノート”を見つつ、翌日木曜の朝はあまり気持ち悪さなく食事が摂れたこと、その夜から金曜日はさすがに気持ち悪さが酷くなったが、今回はナウゼリンを飲まずに済んだこと、土曜日は食欲もなく具合が悪くて起きられなかったこと、日曜日から胸痛と息苦しさがあったが、月曜日からは食欲も戻って、その後休薬の1週間を過ごしたことをご報告した。デキサートを減らしてもそれほど気持ち悪さが変わらないように感じ、ナゼアが効いていると思う、と補足。診察室での体温は6度2分。
 そして先週のCTの結果。半年前の画像と今回分と2枚並べて見せて頂く。右肺下の腫瘍茎は明らかに大きく濃くなっている。左肺下の腫瘍は平面での大きさはあまり変わっていないが、輪切りの体を上下にスクロールさせると長い間登場する(上下に長さが伸びている。)。つまり一番太いところは変わっていないが、長くなっていることが分かる。それ以外は肺に新しい病変はなく、骨もお腹の中にも新たな転移はない。もともと大きかった肺の2か所が、この半年かけてさらに大きくなってきた、という説明があった。そして「薬を変えるか否か」という話題に。「この状況が続けばいずれ変えることになるが、それが今なのか、今より先か、では何時か、というのは悩ましい。」とおっしゃる。
 「多くの医師に訊いた時に、まだ変えなくて良い、変えた方が良い、全員が変えた方が良いと言うかは不明だが、変えた方が良いと言う方が多いだろう。では、いつ変えるかだが、3か月後にはっきり大きくなっていることを確認してからのタイミング、ということもありだが、あまり引っ張りすぎてうんと進行すると困る。これまでの経過からすればおそらくそうしたことにはならないとは思うが、いずれ遠からず変えなければならない。肺に新しい病変が出来たとか、肺以外の臓器に新たな転移が見つかった等の場合は、悩むことなく変えてもらうことになるが、そうではないので、もう少し粘るという選択肢もある。肺だけなら毎月レントゲンでのチェックも出来るので。」と。

 そこで、話すタイミングを逸していた足の痺れについてご報告する。CTの結果により薬を変えるという話にならなければ、痺れが酷くなることで薬を変えるということも視野に入れたい、と話す予定だったのだが。先月あたりから、外出時に歩くと足指の付け根から土踏まずの間の部分の痺れを感じていた。先週末からより酷くなり、今も足裏全面が痺れていること、夕方になると足首からふくらはぎまで痺れが広がってくること、階段の上り下りが怖いこと等を話す。それに加えて爪の落下が痺れの原因だったのではないか、とも。
 先生は頷きながら、「薬を変えるとすると、HER2強陽性乳がんによく効くので、早いうちにアントラサイクリン系を使っておきたい(心毒性があるため、病状が進行すると使いづらくなるため)。他の薬もあるから、先延ばしにするという選択肢はあるが、いずれにせよ3週間毎6回が限度の薬だから(体表面積あたりで使用限度量がある。)、これまでのように「効いている限りずっと使う」というものではなく、奏功がしばらく続いてもいずれまた次の薬に移行する「つかの間の」治療にならざるを得ない。副作用は吐き気等はあるが、皮膚障害等が酷かったタキサン系に比べてわりと後腐れがない。」と話される。

 一昨年の秋、ナベルビンを選択した時も、先生から提示された第一選択はこのアントラサイクリン系だったが、その頃ようやくかつらが外れたばかりで、ちょっとまだ・・・と、後回しにしてきた経緯がある。
 先生は、「ナベルビンが効いていないわけではないが、抑え切れていないということなので、今から完全に止めてしまうのもどうか。」とおっしゃる。「そして変化がもっと有無を言わさないものなら変えるしかないが、それほど急激なものでもないので、悩むところだ。変えるという方針なら、3つの方法がある。①今日は治療を止めて、来週からアントラサイクリン系を開始する(これが最短コース)、②もう少しハーセプチンとナベルビンを続けてみる、③もう少しハーセプチンだけ続けて、時間をとってから決める」を示された。
 「さすがに今回は変えざるを得ないだろうとは思うが、①の来週から、はちょっと踏み切り難い。副作用がどの程度出るかどうか、また入院・休職等も発生するということになれば仕事の調整もある。来年受験生の息子と、実家の両親と、おそらく最後の海外旅行になるだろうということで夏休みの予定を入れていることを話し、出来ればその旅行から帰ってきたタイミング(8月第2週)で始めたい。」と話す。アンスラサイクリン系は心毒性なので、同じく心毒性のハーセプチンとは併用出来ないが、前回撮影した心エコーでも特に異常がなかったので、2週間明ければ開始可能だとのこと。また、変えるタイミングを秋から、と決めれば、月1回レントゲンでチェックすることが出来るし、肺に新しい病変が出来ないとすれば、肺以外の臓器に新しい転移巣が出てくる確率は低いようだ。
 結局「とりあえず7月迄は今のままナベルビンとハーセプチンを続けることにします。」とお話して席を立った。

 化学療法室へ移動。15分ほど待っている間、今日の状況を夫にメール報告(またマルコメです(泣き))した後、窓側のナースステーションよりの席に案内され、初めてお目にかかったOkさんから刺針をして頂く。初めてなのでちょっと緊張したが、今日は無事にスイッと入った。逆血も確認してもらい席に戻ると、これまた初めてお目にかかるHさんから「私のノート」を見せてください、と言われご挨拶。
 いつもの針刺し名人のOさんがチェックに見えたので、「またメンバーが変わられたのですか?」と訊くと、Oさんは「自分とKwさん、Krさん、そして今日のOkさん、Hさんの5人が4月からのフルメンバーです。今まで直接担当されたことがなかったのですね。」とのこと。Mさんが3月末で退職されたことも知らなかった。
 その後20分ほど待って薬が届き、Hさんの前でイメンド125㎎を飲み、ハーセプチンからスタート。今日は、グラニセトロン+デキサート、ナベルビン、生理食塩水の合計4本。2時間ちょっとかかって無事終了。終了時の血圧は97-60、脈拍は57。
 点滴の間、薬チェンジについて複数の友人にメールをしたり・・・と忙しく、途中で眠くもなったので、持参した薄い1冊しか読めなかった。
 また、足の痺れの対症療法で薬を出してもらえるのかどうかを聞きそびれてしまったので、Oさん経由で先生に確認して頂く。「痛みを伴わないのであれば、痺れを止める薬はないので、マッサージ等で血行を良くするように。」とのこと。期せずして、病状報告を読んだ夫がメールで「マッサージ頑張る(からあなたも負けるな・・・?)」と励ましてくれたので、それに頼ってしまうつもりだ。

 そして、会計に移動してから、白血球についても数値を訊くのを忘れてしまったことに気づいた。先生がOKを出したのだから、いつもと同じくらいだったのだと思うけれど。やはり薬チェンジで舞い上がっていたのだな、と溜息。
 会計はそれほど混んでいなかったので、20分ほどして支払を済ませて薬局に向かった。病院では上着が脱げないほど冷房が入っていたし、外も既に一番暑い時間は過ぎていたので、汗ばむほどではなかった。薬局でもスムーズに薬が受け取れたので、本日の病院と薬局の合計滞在時間は6時間弱。

 なんとか滑り込みでランチタイムに間に合った。遅いランチを取り、意識して水分をたっぷり摂り、マグラックスを飲んだ。
 買い物をしながら帰宅したら、結局いつも定時に帰宅する時間より遅くなってしまった。

 夫は今日は宴会。息子と2人の簡単な夕食を済ませた。食後ロキソニンとマグラックスを飲み、さてブログを書こうとしたところ、義妹から電話があった。義母は今日、施設の運動会で車椅子に乗ってパン食い競争と玉入れに出場したとのこと。ちゃんとおめかしをして元気だったそうだ。何よりだ。そして、義姉宅に近い施設への引っ越しが来月半ばに決まったとのこと。良かった。近くなれば義妹の気持ちも随分楽になるだろう。明日はCT検査だそうだが、もう食事の時に吐いたりすることもなく元気だそうだ。やはり病院から施設への引っ越しによる環境変化がストレスだったのか。そんなこんなでいろいろな話になってしまい1時間半ほど話し込んでしまった。

 夫はいまだ帰ってこない。もう先に入浴して寝てしまおう。
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2012.5.22 足の痺れに思う

2012-05-22 19:40:49 | 日記
 急速に足の痺れが酷くなっている。気になりだしたら余計気になる、ということかもしれない。足の裏からだんだん上がってきて、足首、夕方になるとふくらはぎ付近まで痺れが広がっている。

 タキソテール治療時の痺れは、投与が終了してからも少なくとも1年くらいは続いたと思う。漢方薬やビタミン剤を数種類服用したけれど、あまり改善しなかった。認定看護師さんからも「1年単位で考えてくださいね(つまりは1年以内に回復することはなく、2年、3年ということもありうる)。」と言われた。だが、当時は痺れがふくらはぎまで上がってきたという記憶はない。
 手の痺れやこわばりは、ホルモン剤を辞めたことで、間もなくあまり気にならなくなったが、握力は以来すっかり落ちている(具体的にはペットボトルのキャップを開けるのに苦労するレベル。これは実家の母などもそのようなので、後期高齢女性と同じ力になっている、といったところか。)。

 気になって、「ナベルビンの副作用、足の裏の痺れ」と検索してみた。
 ヒットした記事「がんサポート情報センター・2008年4月号 「抗がん剤による末梢神経障害特徴とその対策」(大阪大学病院化学療法部看護師長・田墨惠子さん監修)から転載させて頂く。

※ ※ ※(転載開始)

 また、切除不能の乳がんや再発乳がん治療に使われるナベルビン(一般名ビノレルビン)も頻度は低いが知覚異常を認めることがあるため、タキソールによる神経障害が回復しないうちにナベルビンを使う場合もあり、しびれが長期化することもあるという。末梢神経障害を副作用にもつ抗がん剤同士を使うと、より強く症状が出ることもあるのだ。
(中 略)
 手の指先ほど気にならないのか、見逃しがちになる足の指先は注意が必要だ。足の指は靴の中で無意識に圧迫を防ぐために動いているが、しびれているとそれができないため爪のあたりが圧迫され、痛んでくる。もともと抗がん剤は爪毒性という、爪が浮きやすくなる副作用があるので、常々観察するようにしたい。
 足の指の爪を切るとき、深爪になったり、2次的に巻き爪になることも多いので、お風呂から上がって柔らかくなっているときに、丁寧に切ることを気に留めてほしい。
 外出の機会が多い人なら、とくに靴選びは慎重にする必要がある。
 「履きやすそうだからといって靴を通信販売で購入したりせず、売り場に出向いて両足とも履き、少し歩いてみてから買ってください。底が薄いと刺激を強く感じることもあるので、底が厚いものがいい場合もあります。それは人それぞれなので、自分にあったものを選んでほしいのです」
(中 略)
「しびれという症状自体はもちろんつらいのですが、それによって本来できていたことができなくなる、それで患者さんは自分自身を追い詰めるように思います」と田墨さん。
「患者さんは今までできていたことでできなくなることを増やしたくない、努力してできるなら自分でやりたいという思いが強く見受けられます。私たちは患者さんの生活に目を向けて、その背景を考慮した上で、それに応じた支援をするように心がけています。医療者は現時点では末梢神経障害は抑えられないと考えていますが、患者さんにとってはとてもつらい副作用です。それを患者さんがどんどん訴えてくださったら、対策が必要だということで、研究が進むのではと思います。」

(転載終了)※ ※ ※

 うーん、ちゃんと書いてあるではないか。ナベルビンでクローズアップされる主な副作用は血管痛だから、主治医からは、薬剤を中心静脈ポートで直接入れている私は、特に副作用を心配することはない、と説明があった。
 確かにこれについては今の所、全くストレスフリー(一昨年にはポートの切れ目から皮下漏出というトラブルがあってポート抜去、再設置という痛い目にあったのはこのブログでも書いたとおりだが)。
 また、ナベルビンではそれほど取り沙汰されていない吐き気等について、ここのところずっと悩まされているから、これだけコントロール出来ればまだまだ頑張れると思ってきたのだが・・・。
 さすがにこの9月で丸2年になるから、神経毒蓄積による出現ということか。冷えると痺れが酷くなるように感じられるというので、足湯をすると調子がいいのも頷ける。脱毛がないというのがこの薬を選んだ大きなポイントだったから、この恩恵は被っていたのだけれど・・・。

 足の爪のダメージは既に一巡してしまった感があり、親指以外の4本の爪は一度落下した後、既に新しく生えている。が、まさに上に書いてある通りだ。「足の指は靴の中で無意識に圧迫を防ぐために動いているが、しびれていると、それができないため爪のあたりが圧迫され、痛んでくる。もともと抗がん剤は爪毒性という、爪が浮きやすくなる副作用があるので、常々観察するように」と。
 そういうことだったのか、と膝を打った。またしても、中指、薬指あたりが内出血しており痛いのだ。タキソテールの時は親指も浮いて、付け爪のごとくポロリと落ちてしまった。新しく生えてきた両親指の爪は、以前は全く問題なかったのに、巻き爪の傾向があり、痛みが出るようになっている。

 今後、歩けなくなったり、転倒するようになったり、ということになればQOLはかなり低下する。一旦出現した痺れの副作用は、薬を辞めてもなかなか改善されないのだから、この薬を続けている限り酷くはなってもなくなることはない。されば次なる手を考える時期かもしれない。奏功している間はなんとかうまくかわして乗り切りたい、と思うけれど・・・。

 今日も朝から雨が降り出した。本当に予報通りだ。
 昨日は金環日食、今日はスカイツリー開業と、空を見上げるイベントが続くのに、ちょっと残念なお天気だ。
 明日は早くも休薬週明けの通院日。予報によると快晴で今日より10度以上気温の高い夏日だという。気温の変動が毎日忙しいことだ。

 息子は今日から4日間前期の中間試験。それが終われば来週は修学旅行で、昨年のホームステイで訪れた国に再び向かって機上の人。羨ましい限りである。

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2012.5.21 173年ぶりの神秘に酔う

2012-05-21 21:55:01 | 日記
 関東地方では173年ぶり、国内のこれだけの広い地域で観測出来るのは、平安時代以来932年ぶりという天体ショー。
 最近の天気予報は本当に良く当たる。昨夜の天気予報通り、朝起きた時は雲が厚く、やっぱり無理かな、という曇天だったが、7時過ぎに雲の隙間から部分日食が確認出来た。先週末、滑り込みで購入した日食眼鏡を片手に、夫と代わる代わるベランダから空を見上げ、お互いの姿を笑いあう。
 息子は当初、「学校で友達と見るから早く家を出る。」と言っていたが、何のことはない、それならもう出かけなければ、という時間にようやく起こされて起きてきた。「最寄駅で友達と観察してから行く。」と、いつもよりはもすんなりと家を出、「目を傷めたら大変だから直接見ないようにね。」という私の言葉に、久しぶりに素直に「は~い」と返事をした。

 夫も後ろ髪をひかれるように「もう間に合わない。写真が撮れたら撮っておいて。」と家を出た。
 一人になった私は、日食中継のテレビ画像をチェックしながら、ベランダに出た。暗くなり始め、雲が流れると、一瞬三日月のようにごく細くなった太陽が見えた。朝食もそこそこに日食眼鏡を独り占めして、立ち位置を固定。眼鏡の向こうの太陽は思いのほか小さい。そして、雲がびっくりするほど早く動き、いきなり目の前が真っ暗になる。と、まもなく月が太陽の中に全面的に入りこんで、リング状の金環日食になって姿を見せた。
 団地のあちこちの窓から「おおっ」「わあ」等の歓声が漏れていた。道路に出て見ている、同じ号棟のご夫妻の姿もあった。
 思えば、ダイヤモンドリングと称する皆既日食直後の美しい写真を初めて見たのは小学生の頃だったろうか。理科便覧に載っていた写真は、確かアフリカのどこかの国で撮影されたものだった。遠い国ではこんな神秘的なものが見られるのだ、と子ども心に羨ましく思ったことを覚えている。それから半世紀もしないで、この目で太陽がリング状になった完全な日食を見ることが出来るとは、当時ゆめゆめ思わなかった。そしてこのタイミングに生きていられることが不思議で、神秘的な幻想的な気持ちとともに、厳粛な-やはり生かされているのだ-という気持ちになって何となく涙ぐんでしまった。
 気づけば、首を持ち上げたまま5分近く経っていた。首が痛い。慌てて出かける支度をしてバタバタと家を出た。

 職場に着いた夫から「団地を出る時に『見えた!見えた!』と叫んでいる女の人の声があなたの声に似ていましたが、まさか違いますよね~」という失礼なメール。「さすがに誰もいない家で叫びません。口は開けていたかもしれないけれど・・・」と返事を出したが、妻の声もわからないとは、何とも・・・。

 昨夜はかなりヨレヨレで、食事もそこそこに殆どバタンキューだった。今朝も目覚ましが鳴った時にはまだ旅の疲れがじっとり体に張り付いている感じだった。金環日食を見られた事で気持ちがアップして出勤したが、週明けから会議だなんだと朝からバタバタ、お昼も自席でお弁当を食べただけで、散歩にも出られず。夕方まで落ち着かず、定時に帰れず仕舞い。明日までにすっかり復調しておかないと、また明後日は通院日だ。今日も早く休むことにしよう。


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