先日、学内で開催された「異文化コミュニケーションを考える」というスキルアップ研修に参加した。講師を務める教員1名に対して、受講生である職員は僅か9名。とうに忘れていたゼミのような贅沢な時間だった。
今年度から、担当する留学生の数も増えたこともあり、興味を持ってエントリーしたのだが、期待以上に充実した内容で、久しぶりに大満足の研修だった。
日本人は授業中に発言するのをどうしても憚る気質があるが、それぞれの経歴も立場もとりあえず置いておいて、遠慮なく自由かつラフに発言出来る雰囲気は、久しぶりに学生に戻った気分で楽しかった。いくつになっても知的好奇心や刺激は人の気持ちを若返るせるものだ。
うーん、どうして学生の時にはこういうことに気付かなかったのだろう、と思う。後悔先に立たず・・・いや、今からでも遅くないから、こうした機会を活かしたい・・・と、年甲斐もなく若い人に交じって研修に手を挙げるわけだ。
「異文化コミュニケーション」とは、「英語で話すこと」でもないし(実際、大学の窓口にやってくる留学生で一言も日本語が出来ないという学生は殆どいない。)、「各文化・各国特有のやり方をまねる」わけでもなく、「郷に入れば郷に従え、ということ」でもない。逆に日本では日本式にすべし、というのは押し付けであり、まずいものだ、という前段の説明。
続いて、受講生間のアイスブレーキングのためか「コミュニケーションをしてみよう」実験。隣同士(それぞれが面識がなかった。)でペアの第一印象(相手をどう感じているか。)を「書く」。そしてなぜそう思うのかも「書く」。
次に、2分ほど実際にお話して、第二印象を「書く」。最後に、昨日の夕食についての話題でお話して「書く」。もちろん、どう書いたかを発表するわけでも相手に伝えるわけでもないから、のびのび書ける。相手がどう思っているか、はこの際考えない。
これは、自分がどんなこと(非言語、言語メッセージ)を受け止めて相手にそうした感情を持つか、なぜその感情が発生するかという関連付け(理由付け)分析の体感である。
そのため、なぜ最初に自己紹介しなかったかが頷ける。この体験を終えた段階で、ようやく自己紹介をし、本題に入った。
コミュニケーションモデルを使った“コミュニケーション”のしくみ、“感情”のしくみ、“文化”とは、コミュニケーションの際に文化はどのような働きをしているのか、というそれぞれの項目についてお話された後、そのまとめとして最後に「異文化コミュニケーション力を高めよう」というレジュメが配布され、各項目を説明して、研修を結ばれた。
レジュメには、カルチャーショック-異文化に接触した時のネガティブな感情-にどう対処するか、として①違いに敏感になろう、②違いを柔軟に解釈しよう、③違いを試してみよう、④“違い”に囚われすぎない、⑤心理的な境界が発生していないか?という5つの観点で注意点が記載されていた。
研修だから、こうした考え方をいかに仕事に活かすのか、こそ取組目標なのだが、仕事だけでなく日々の生活でも十分使える考え方であると感じる。
今を遡る17年前、単身で半年間ヨーロッパに研修に出た時のあの心細さ-自分はいかんともしがたいほど、アジアの有色人種でちっぽけな1人の女性なのだ、という現実を突き付けられたこと-を改めて思い出した。そう、海外で母国語を話せない環境下では、相手との「以心伝心」はあり得ない。いくらストレスフルでも「駄目」なことは「駄目」ときちんと言わないと伝わらない。日本的な曖昧さや控え目は美徳ではない。確認して、主張して(講師は「押す」と表現された。)いかないと、実際に自分の生活がうまくいかない。当然、母国語のごとく滑らかな外国語は操れないから、細かいニュアンスはぐっと我慢して、簡単で単純な言葉に変換する。
窓口にやってくる留学生もきっとそんな気持ちなのだろう。
そう思ったら、ずいぶん理解してあげられることが多いのだろうな、と思った。
わずか2時間ちょっとの講義。触りの部分ではあったのだろうけれど、有意義な時間-知的漫遊とでも言おうか-を過ごせ嬉しい日になった。何とも有難いことである。
さて、体調。
昨日は、職場にいる時はわりと調子が良かったのだが、帰宅するとがっくり疲れて気持ち悪さが酷くなった。夕食の支度もしんどかったので、お弁当を調達してしまった。
息子の帰りが遅く、お腹が空き過ぎて気持ち悪さが余計酷くなった感じ。2人は食後のデザートを楽しんでいたが、私はノーサンキュー。 食べものを見るのさえ滅入る感じ。ロキソニンとマグラックスを飲んで就寝。さすがに草臥れていたのか、途中で目覚めずに5時間眠ることが出来た。
今朝起きても、やはり気持ちが悪い。朝食の支度とお弁当作りは苦痛だ。2人からの「すぐに突っかかってくる。」とか「気を使ってもらって当たり前だと思っている。」などの容赦ない言葉が突き刺さる。
「具合が悪い時くらい少し割り引いて受け取ってよ。」と言い返すが、以前にも記事にしたように“やるからやらせる”のなら、ぶつぶつ文句を言いながら無理してやるよりも、静かに黙ってエンストしてしまう方がいいのかもしれない。
相変わらず食欲はないが、最低限お腹に入れてイメンド80㎎、ナゼア、ロキソニン、マグラックスを飲む。便秘によるお腹の気持ち悪さも食欲不振を増幅させている。
昼も昼とて、最後のロキソニンとマグラックスを飲むために、お茶で軽食を押し込んだ。晴れなのか曇りなのか暑いのか肌寒いのか良くわからないお天気だ。
とりあえず今週も何とか勤務終了。今日も夫は宴会とのこと。夕食は息子と2人だけなので、適当に済ませようと思っている。
今日5月11日は、3年前、半年の休職を経て復職した日だ。タキソテール治療が明けた後、こうして3年間何とか働き続けることが出来ている。本当に嬉しい。
今年度から、担当する留学生の数も増えたこともあり、興味を持ってエントリーしたのだが、期待以上に充実した内容で、久しぶりに大満足の研修だった。
日本人は授業中に発言するのをどうしても憚る気質があるが、それぞれの経歴も立場もとりあえず置いておいて、遠慮なく自由かつラフに発言出来る雰囲気は、久しぶりに学生に戻った気分で楽しかった。いくつになっても知的好奇心や刺激は人の気持ちを若返るせるものだ。
うーん、どうして学生の時にはこういうことに気付かなかったのだろう、と思う。後悔先に立たず・・・いや、今からでも遅くないから、こうした機会を活かしたい・・・と、年甲斐もなく若い人に交じって研修に手を挙げるわけだ。
「異文化コミュニケーション」とは、「英語で話すこと」でもないし(実際、大学の窓口にやってくる留学生で一言も日本語が出来ないという学生は殆どいない。)、「各文化・各国特有のやり方をまねる」わけでもなく、「郷に入れば郷に従え、ということ」でもない。逆に日本では日本式にすべし、というのは押し付けであり、まずいものだ、という前段の説明。
続いて、受講生間のアイスブレーキングのためか「コミュニケーションをしてみよう」実験。隣同士(それぞれが面識がなかった。)でペアの第一印象(相手をどう感じているか。)を「書く」。そしてなぜそう思うのかも「書く」。
次に、2分ほど実際にお話して、第二印象を「書く」。最後に、昨日の夕食についての話題でお話して「書く」。もちろん、どう書いたかを発表するわけでも相手に伝えるわけでもないから、のびのび書ける。相手がどう思っているか、はこの際考えない。
これは、自分がどんなこと(非言語、言語メッセージ)を受け止めて相手にそうした感情を持つか、なぜその感情が発生するかという関連付け(理由付け)分析の体感である。
そのため、なぜ最初に自己紹介しなかったかが頷ける。この体験を終えた段階で、ようやく自己紹介をし、本題に入った。
コミュニケーションモデルを使った“コミュニケーション”のしくみ、“感情”のしくみ、“文化”とは、コミュニケーションの際に文化はどのような働きをしているのか、というそれぞれの項目についてお話された後、そのまとめとして最後に「異文化コミュニケーション力を高めよう」というレジュメが配布され、各項目を説明して、研修を結ばれた。
レジュメには、カルチャーショック-異文化に接触した時のネガティブな感情-にどう対処するか、として①違いに敏感になろう、②違いを柔軟に解釈しよう、③違いを試してみよう、④“違い”に囚われすぎない、⑤心理的な境界が発生していないか?という5つの観点で注意点が記載されていた。
研修だから、こうした考え方をいかに仕事に活かすのか、こそ取組目標なのだが、仕事だけでなく日々の生活でも十分使える考え方であると感じる。
今を遡る17年前、単身で半年間ヨーロッパに研修に出た時のあの心細さ-自分はいかんともしがたいほど、アジアの有色人種でちっぽけな1人の女性なのだ、という現実を突き付けられたこと-を改めて思い出した。そう、海外で母国語を話せない環境下では、相手との「以心伝心」はあり得ない。いくらストレスフルでも「駄目」なことは「駄目」ときちんと言わないと伝わらない。日本的な曖昧さや控え目は美徳ではない。確認して、主張して(講師は「押す」と表現された。)いかないと、実際に自分の生活がうまくいかない。当然、母国語のごとく滑らかな外国語は操れないから、細かいニュアンスはぐっと我慢して、簡単で単純な言葉に変換する。
窓口にやってくる留学生もきっとそんな気持ちなのだろう。
そう思ったら、ずいぶん理解してあげられることが多いのだろうな、と思った。
わずか2時間ちょっとの講義。触りの部分ではあったのだろうけれど、有意義な時間-知的漫遊とでも言おうか-を過ごせ嬉しい日になった。何とも有難いことである。
さて、体調。
昨日は、職場にいる時はわりと調子が良かったのだが、帰宅するとがっくり疲れて気持ち悪さが酷くなった。夕食の支度もしんどかったので、お弁当を調達してしまった。
息子の帰りが遅く、お腹が空き過ぎて気持ち悪さが余計酷くなった感じ。2人は食後のデザートを楽しんでいたが、私はノーサンキュー。 食べものを見るのさえ滅入る感じ。ロキソニンとマグラックスを飲んで就寝。さすがに草臥れていたのか、途中で目覚めずに5時間眠ることが出来た。
今朝起きても、やはり気持ちが悪い。朝食の支度とお弁当作りは苦痛だ。2人からの「すぐに突っかかってくる。」とか「気を使ってもらって当たり前だと思っている。」などの容赦ない言葉が突き刺さる。
「具合が悪い時くらい少し割り引いて受け取ってよ。」と言い返すが、以前にも記事にしたように“やるからやらせる”のなら、ぶつぶつ文句を言いながら無理してやるよりも、静かに黙ってエンストしてしまう方がいいのかもしれない。
相変わらず食欲はないが、最低限お腹に入れてイメンド80㎎、ナゼア、ロキソニン、マグラックスを飲む。便秘によるお腹の気持ち悪さも食欲不振を増幅させている。
昼も昼とて、最後のロキソニンとマグラックスを飲むために、お茶で軽食を押し込んだ。晴れなのか曇りなのか暑いのか肌寒いのか良くわからないお天気だ。
とりあえず今週も何とか勤務終了。今日も夫は宴会とのこと。夕食は息子と2人だけなので、適当に済ませようと思っている。
今日5月11日は、3年前、半年の休職を経て復職した日だ。タキソテール治療が明けた後、こうして3年間何とか働き続けることが出来ている。本当に嬉しい。