ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.4.17-18 このままでは足が退化するかも・・・の2日間

2020-04-18 20:00:25 | 日記
 
 金曜日。在宅勤務3日目。時差通勤の夫はライナーを予約済み。家を出るのが普段より遅いので、なんとなく気が緩み、いつもより寝坊してしまう。
 相変わらず居住する団地の大規模修繕工事が続いている。朝からガンガンドンドンと頭が痛くなるほどの大騒音である。北側寝室の足場を取り外しているようだ。職人さんたちには申し訳ないけれど、これではとても仕事にならないなあと思う。
 途中でピンポ~ンとドアホンが鳴る。玄関まで出てみたけれど、既に誰の姿もなく(これはまさかピンポンダッシュか?と思うほどの素早さ!)、玄関前に先日お預けしていた網戸が置いてあった。ようやく張り直したものが返してもらえたのだ。

 リビングに戻ると、今度は職場から電話。4月に異動したばかりの担当者からの相談事で、もろもろの打ち合わせを済ませる。そんなこんなで瞬く間に午前中が過ぎる。
 昼食は相変わらずいい加減にインスタント食品で済ませる。正味1時間弱の昼食休憩でも、自分のためにちゃんと手早くランチを作れるような心の余裕と料理の技術があればよいのだけれど、在宅勤務となると、とてもそんな気分にはならない。作って食べて片付けて、誰かが一緒に美味しいね、とでも言って食べてくれるならまだ頑張れるのかもしれないけれど・・・。
 午後も騒音は変わらず。南側リビングのベランダで職人さんたちが行き来しなかったのがせめてもの救いであった。

 勤務終了のメールを入れて、階下に降りて新聞を取りに行く。またしても終日靴を履かないで終わってしまった。この運動不足、どげんかせんといかん、である。
 オンラインヨガで少しストレッチしてから夕飯の支度。夫が言うことには、帰路のライナーは2席並びはどこも隣がいない状態で5割程度の乗車率だという。隣がいない(2席を独占出来て、隣に気兼ねすることなく荷物を隣に置くことが出来る。)ことこそライナーの醍醐味である。

 夜は文庫を1冊読み終わった。中山千里さんの「もう一度、ベートーヴェン」(宝島社文庫)。題名につられて手に取った。中山さんの作品は初めましてかと思っていたが、実際は6年ほど前、「いつまでもショパン」を読んでいたことが判明。ストーリーはまるで覚えていないのがトホホであるが・・・。「このミステリーがすごい大賞」シリーズなのだそう。ピアノの天才かつ司法試験トップ合格、というまさに天が二物を与えた主人公である。

 非常事態宣言が全国に拡大されて初めての土曜日。昨日の都内感染者数はとうとう200人の大台を超えた。折しも、とんでもない悪天候だという予報。外出自粛の観点からすれば、恵みの雨といったところか。
 明け方、お手洗いに起きたけれど、二度寝。やけに眠い。放っておかれればいくらでも眠れる。痛みがあったり、具合が悪かったりすると、うつらうつらするだけでぐっすり眠ることも出来ないから、こうしてしっかり眠れるのは元気な証拠だと思うことにする。土曜日に朝の連続テレビ小説がなくなってしまって(1週間のおさらいはあるようだけれど)、目覚ましをかけなくなったことも大きいかもしれない。

 外は大雨。別にお腹も空かないし、ま、いっか、と殆どお昼近くまでベッドでウダウダ。瞑想ヨーガの師匠のSさんがアップしてくださったブラーマリーの呼吸法のガイドを聞きながらうつらうつらしてすっかりリラックス。痺れを切らした夫がブランチを用意してくれた。有難いことである。こんなお天気では洗濯もままならない。

 食後の片づけ物をしていたら、昨日戻ってきた網戸の大きい3枚だけ夫がつけてくれた。一人で暮らしていたらこういうこともちゃんと自分でやらなければいけないのだけれど・・・。小窓の方はもろもろ動かさないといけないので、明日以降お天気が良くなってから、とのこと。ひとまずこれで窓を開けて換気するにも虫が入って来なくなったので安心だ。こんなお天気のせいか、足場を外す工程は月曜日に延期された模様。職人さんたちの姿は見えなかった。またしても月曜日の洗濯物ベランダ干しは「×」印。

 ブランチの後、夫と2人で、WOWOWで録画した映画「嵐電」を観た。京都の街の様子は懐かしく楽しめたが、不思議なお話が夫には今一つ理解不能だったよう。隣でそわそわされて、落ち着かず、何だか不完全燃焼。
 6年前の春、息子の大学入学式の後、帰路の新幹線に乗るまでの時間、夫と2人、ちょっとだけ足を伸ばして、嵐電に乗った。見事な満開の桜のトンネルを通り過ぎたあの光景は、今でもくっきりと目に焼き付いている。

 夕方には雨は止み、青空が広がった。場所によっては虹が出たようだ。今日も一歩も外に出ないのでは本当に足が退化してしまいそうだから、お散歩方々お茶でも飲みに行こうかと、カフェレストランもやっているケーキ屋さんに連絡。夜まで営業はしているけれど、ケーキ類のテイクアウトオンリーだとのこと。諦める。
 夫は、飽きもせず息子が赤ちゃんだった頃のビデオを楽しそうに見ている。これに付き合って見始めるとあっという間に何時間も過ぎてしまうので、私はご遠慮しておく。亡くなった父の嬉しそうな声、母の若々しい声等が漏れ聞こえてきた。

 リビングとPCのある和室と寝室とお手洗いの4点を行ったり来たりするだけの生活。明日はお天気だという。少しは散歩にでも出かけないと、と思い切って駅前まで買い物に出た。48時間ぶりのシャバの空気である。それなりにスーパーは混んでいる。珈琲タイムでちょっぴりリフレッシュ。
 それにしても、足が退化ししまいそうな2日間であった。明日はいいお天気の予報。掃除・洗濯・お散歩に精を出そう。
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2020.4.16 頭を殴られた気分になった日

2020-04-16 20:43:10 | 日記

 今日は今週初めての、夫と私、2人揃って出勤日。月・水は夫が在宅、火は私が在宅だったので、今朝は久しぶりに朝、鍵を閉めて家を出た。

 今日もいいお天気だ。そろそろ居住する棟の足場が外されると良いのだけれど。隣の棟は一昨日外れて、昨朝ベランダに洗濯物が干されていたのをちらりと見て、羨ましく思った。ああ、早く我が家でも思いっきり洗濯物が干したい!

 出勤すると、慣れないテレワークの環境で皆が浮足立っているせいか、帰宅後も心がざわざわしていて、落ち着いて新聞に目を通す時間や心の余裕がなくなっている。久しぶりに毎日新聞のデジタル版を読み、いきなり頭を殴られた気分になるようなコラムを見つけたので、以下転載させて頂く。

※    ※   ※(転載開始)

明日元気になあれ「コロナ後に望むこと」小国綾子(毎日新聞 2020年4月14日 東京夕刊)

<自由に仕事ができないって、しんどいですよね。自由に学校に通えないって、しんどいですよね。自由に遊びに行けないって、しんどいですよね。でもね、知ってほしいんです。この世の中には、コロナが蔓延(まんえん)する前から、そうした生活を強いられてきた人々がいることを。そう、私たちの社会には障害や病気とともに生きる人々がいます>
 これは作家、乙武洋匡さんが44歳の誕生日を迎えた4月6日、インターネットで公開した文章だ。新型コロナウイルス感染拡大で、生活が大きく変わっただろう人々に向けてつづっている。
 はっとさせられた。人と会うことも一緒に歌うことも我慢し、へこんでいた私。終息し、元通りになってほしいと願っていた。でも、ただの「元通り」じゃダメなんだ。
 乙武さんは書いている。障害を抱える人にとって、リモートワークの普及は長い間の願いだった。オンライン配信があれば、バリアフリー設備のない小さな劇場やライブハウスの音楽や芝居も楽しめたろう。オンライン教育がもっと普及していれば、不登校や長期入院中の子どもたちの学びの可能性はずっと広がっていただろう。
 でも、少数派が声を上げても、社会はなかなか変わらなかった。ところが多数派が「当事者」となった途端、社会が一気に変わろうとしている。だから、乙武さんはあえて今、皆に呼びかけたのだ。社会に選択肢を増やそう、と。
 <(感染拡大が終息すれば)みなさんも“日常”へと戻っていくことでしょう。でも。そんな、みなさんの“日常”に戻れない人々がいることを忘れずにいてほしいのです>。
これは「コロナ後」の社会への貴重な提言だと思う。
私がこの文章に出会えたのは、古くからの友人がフェイスブックでシェアしてくれたからだ。友人も難病を抱えている。亡き夫は腎臓移植後、免疫抑制剤を服用していたため、インフルエンザの季節の外出は命がけだった。彼女は在宅勤務歴10年。だから、緊急事態宣言後も生活は変わらない。
 彼女が乙武さんの文章を紹介する際に書き添えていた言葉を、胸に刻んだ。それは「コロナ後」の社会に望むこと。「社会の理解が進んで、持病や障害のある人、介護や育児で生きづらさを感じている人たちの暮らしが少しでも理解されるものになっていたらいいな」(オピニオングループ)

(転載終了)※   ※   ※

 緊急事態宣言による外出制限で、好きなようにお出かけも出来ない、ヨガスタジオにも映画にも行けない、GWに予定していた温泉の旅もキャンセル。なんとなく鬱々とした気分になっていたけれど、とんでもないのだ。横っ面を張られ、目を覚まさせられた気分である。

 私自身は、度重なる抗がん剤治療中、好中球が下がっている時に外出するのは、命がけとは言わないまでもとてもリスキーだったから、自由に外に出かけられる有難さを痛感している。
 今回、そのような障害を持たない人にとっては、なかなか自分事として考えづらかった移動の不自由さに、奇しくも遭遇することになった。この不自由さを実体験したことを、一人でも多くの人たちが「コロナ後」の時代に生かせることを強く望みたい。
 次なる日常は一歩進んだ日常に、そう、コロナ後はそんな社会になっていたら良いなと心から思う。

 それにしても毎朝毎夕、著名人をも含む感染者の数、亡くなった方の数を知らされ、各地で医療崩壊が確実に進んでいるという報道を見るにつけ、やはり恐ろしい気持ちは募る。

 そんな中、日夜頑張ってくださっている医療関係者の方たちには本当に足を向けては眠れない。それなのに、医療関係者やその家族への差別があるなんてことを聞くと、暗澹たる気持ちになる。有事には、誰しも、いつもは影を潜めているダークな自分が顔を出してしまうのだろう。それも人間の性(さが)かもしれないけれど、哀しい。

 繁華街に行くわけでもなく(都心にはもう2か月近く足を踏み入れていない。)、夫以外の人と会食をすることもなく(そもそも普段からランチも基本は一人である。)、三密を避けて地元で静かに暮らしている身(職住近接で毎日電車に乗ることもない。一番の遠出は3週に一度の通院である。基本食料品は週に1度の生協宅配で十分間に合っているから、ふらふらとスーパーに行くこともない。スーパーのレジの長い列に並ぶのが苦手なのだ。ただ、昨日は初めて欠品・遅配が6品もあった。)である。

 けれど、普段から両肺多発転移の症状である空咳が出たり、治療の副作用による下痢が続いたりしている身でもある。マスクをするとどうしても息苦しくなる。普段と違ってちょっと咳込みが長引いたり、なんとなく痰が絡んだ感じがすると、熱は出ていないか・・・この症状は・・・と、とてもドキドキする。

 もしや感染したのではないだろうか、今、私が感染してしまったら、どうなるのだろう、と。夫にうつしたら、とか仕事をどうしようか、とか職場に申し訳が立たないとか、エトセトラエトセトラ。

 それでも不安になりだしたらキリがない。やれることはやっている。続けていくしかない。食欲もあり、睡眠も取れている。

 今日は職場で初の“オンラインで、クリック一つで参加出来るWeb会議”に2つ連続で出席した。改めて今更ながら凄い時代になったものだと思う。
 今やWeb飲み会なんていうものもあるらしい。これなら夜都心まで出向いていく必要もないし、飲めなくてもお久しぶり~の人たちの顔が拝めるし、たばこの煙を気にすることもなく、参加しやすいかな。
 せっかく神様が与えてくださった大きな試練である。ここはゆっくり深呼吸して、転んでもただでは起きない、のしぶとい気持ちでいかなくては。

 そう、何があっても大丈夫、世界はうまくいくように出来ている。なるようになる、といつもの瞑想をしながら、凪いだ心に戻す夜である。
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2020.4.14 在宅は辛いよ・・・

2020-04-14 21:03:28 | 日記

 今日は、夫は通常出勤、私は在宅勤務である。
 いつも通りに起床。昨夜なかなか寝付かれず、夜中にのそのそ起き出して、そうだ!と思って洗濯を予約した。昨日の風雨とは打って変わって、今朝は洗いあがった洗濯物を干すのに相応しい青空が広がっている。我ながら単純なお天気猫だと思うけれど、ぐっと気持ちが明るくなる。窓の外は新緑が眩しい。本来今はとてもいい季節なのである。

 ようやく昨日、大規模改修工事の紗幕が外れた。いまだ足場は組まれたままだが、これでやっとベランダに洗濯物を干せる!と張り切って干し終えた。ところが、残念ながら今日もベランダ干しは「×」がついていた、と夫がカレンダーを確認して教えてくれた。
 せっかく数か月ぶりでご機嫌で干したものを、がっかりしながらまた室内に取り込んで部屋の中は万国旗状態になった。

 諸々片付けてから、職場に勤務開始メール連絡を済ませる。リビングで資料を読んでいたら、足場からベランダに飛び移った職人さんが行き来して作業を続ける。レースのカーテンはあるものの、うーん、電気をつけていると結構丸見えではないかと思うとなかなか落ち着かない。
 せっかく春の日差しが眩しい良いお天気なのに、電気を消してみたり、カーテンを引いてみたり。

 昼食休憩開始の連絡を済ませ、今日も一人で適当ランチ。BS、朝の定時とお昼の再放送で3回目の朝の連続テレビ小説を視た。昨日の寝不足が祟ったのかやけに眠い。ニュースを見れば、コロナウィルス感染で医療崩壊は近いという不安を煽られるような放送だ。来週の通院がちょっと思いやられるが、考えても仕方ないことは考えないに限る、と午後の勤務開始。

 結局、今日も階下のポストに新聞を取りに行っただけ。靴も履かなければ外出もしなかった。万歩計をつけているわけではないが、これは一体何歩歩いたのだろう。
 職場で終日マスクをつけていると、水分補給からもすっかり遠ざかる。お茶もなかなか飲まないし、低血糖防止のキャンディや一口チョコを食べることもなくなった。なんといってもずっとマスクをしていると息苦しいし、言葉も不明瞭になるので電話も聞き取りづらい。一旦咳き込むと肩身が狭い。

 その点、家にいればマスクは不要だから、水分補給もノープロブレム。頻繁にお手洗いに立つのも誰にも気兼ねない。消毒薬は各所に置いてあるし、加湿空気清浄機は一日中フル回転だから安心。寒暖調整も思いのままで寒さに震えることもない。手袋をしないでいられるのも有難い。・・・と書くと在宅万歳!のようだけれど、実際仕事をする環境としては全くもってまだまだである。
 非常事態宣言が終わる頃には、ハード面もソフト面もきちんと揃っているだろうか。

 夫は当面、朝の時差勤務日と出勤日の帰路は全てライナーで往復することにした。今朝は記憶にある限り、初めて最寄り駅から朝の通勤電車で座れたそうだが、明日は在宅である。
 一方、明日・明後日、私は通常勤務である。
 早くも4月も半ば。本来なら授業が本格的に始まって学生たちで溢れているキャンパスが、明日も閑散としているのだろうな、と寂しく思うが、とにかく今やれることを粛々と、淡々と、である。
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2020.4.13 土砂降りの月曜日に思うこと

2020-04-13 20:59:04 | 日記

 夫は今日が在宅勤務デビュー日。そんなわけで、昨夜は夜更かし体勢万全(!?)だった。一方の私は今日、通常通りの出勤である。
 朝食の支度をしていると夫が起きてきた。なんとなくまったりしたペースに引っ張られてしまうと遅刻である。外は大雨。朝から気が重い月曜日である。
 そんな中、家を出る直前に今月1回目のお花が届いた。配達のお兄さんには土砂降りの朝早くから本当にお疲れ様である。奇しくも土曜日に父の墓前に供えたカラーが包みから顔を出していた。

 金曜日は初めての在宅勤務だったから、今日は覚悟して出勤したつもりだったけれど、予想通りメールは溢れ、各種通知が入り乱れ、午前中はお手洗いに行く暇もなく、マグボトルに淹れてきた紅茶で喉を潤す暇もなく、ひたすら目をつり上げて諸々の処理に追われた。

 気づけばあっという間に4時間以上が経過。昼食を用意していかなかったので、やむなく調達に事務室を出たが、先週までは昼だけ細々とオープンしていた生協購買部も、今日から完全閉店である。結局、学外で一番近いカフェまで行ったが、悲しいほどの土砂降りと低温、傘が飛ばされそうな強風である。レインブーツを履いていてもレインコートを着ていても、びしょ濡れの濡れネズミになった。

 外はあたかもゴーストタウンのごとく人通りはない。ごくたまに食料品の買い物袋を提げた人がちらほら。非常事態なのだと改めて思い知らされる。が、事務室に戻れば今日はまだ7割超の職員が出勤しており、このアンバランスは一体・・・という状況である。

 最高気温は12度という予報だったが、体感気温はもっと低い。10度に満たない冬の日といった様相だ。ところが、勤務する建物は既に今月初日をもって暖房から冷房への切り替えが終わっており、天井の送風口からは冷たい風しか入ってこない。寒くてたまらないので送風を切ると、今度は換気が悪くなるという。窓を開ければ冷たい雨風しか入ってこない。これで皆の免疫力が下がって風邪が流行らないことを・・・と切に願う。

 息子も今日からは週1日の勤務で、週4日は在宅勤務だという(これこそ推奨される8割減である。)。
 3月中旬から5月末に延期された、彼が所属する社会人合唱団の初めてのコンサートは、責任者による苦渋の決断で中止に決まったとの連絡があった。なんとか歌わせてあげたかった、と切なく思う。皆で集まって練習が出来なかったので、各人が練習をした声をウエブで重ね合わせるなど、私たち世代には考えられないような練習方法を試みていたようだ。
 大学時代の友人たちの所属する合唱団も、今はどこも練習見合わせとのこと。声を出す(当然飛沫感染がある)活動をする人たちにとっては前代未聞の逆風である。

 国の新型コロナウィルス感染対策チームの特別番組を見たら、人との接触を8割減らさない限り、感染は1か月で収束方向には向かわない、とのこと。6割減らしても今と同じ数の感染者が出続けるという。
 9年前、3.11の東日本大震災が起こって、日本という国の震災前、震災後という区切りを感じざるを得なかったが、今回は全世界的に新型コロナ前、新型コロナ後となるのだろう。つくづく凄い瞬間に生きているのだと、思う。

 有効なワクチンが出来るまでは、今ほどの厳戒態勢ではないにせよ、引き続き自粛は免れないし、今まで当然のように享受していた日常の暮らしが戻ってくるとは思えない。
 私がこれまで、自分の身体にあるがん細胞と共存してきたのと同じように、世界中の人々はこの得体のしれない感染力を持った新型コロナウィルスと、全世界の叡智を結集してうまく共存していかなければならないということなのかもしれない。

 私が12年前、タキソテール治療の折に、好中球減少症による感染症で死にかけた時以来、夫は感染症の恐ろしさをずっと気にかけていた。けれど、公衆衛生行政の感染症対策は、花形である高度医療やがん治療のようにストレートにお金に結びつかない。結果、国にとっても自治体にとっても優先順位が低く、ないがしろにされてきたわけだ。そのツケを今、一気に払っているのではないかと彼は言う。

 人との関わり、人との直接の会話が飛沫感染の原因となって、この新型コロナウィルスの感染を広げるのであれば、コミュニケーションはウェブによるものに頼らざるを得ない。けれど、私たちは本当にリアルの付き合いを放棄して、ウェブ世界にだけ住むことが出来るのだろうか。
 これまで当然のように必要だとして行ってきた出張を伴う会議も、会議室で一同に会してのミーティングも、全てメールやウェブ会議で取って替えることが出来ることが明らかになれば、本当に必要のない会議は淘汰されていくのだろう。

 土砂降りの雨の中、思う事の多い週の始まりである。

 記録のために。今朝届いた今年度初めてのお花は、白いカラーが3本、ブルーパフュームが2本、オフホワイトとオレンジ色のアルストロメリアが1本ずつと、大きくてつやつやなアンスリウムの葉。花言葉はそれぞれ「華麗なる美」、「くじけない心」、「持続」だという。
 あれこれ考えるとともすれば塞ぎ込みそうな気持ちを、すっくと咲く花たちがちょっとだけ上向きにしてくれた。
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2020.4.10-11 在宅勤務初日と墓参とお散歩の二日間

2020-04-11 19:50:35 | 日記

 非常事態宣言発令後、職場では最大半数程度の出勤体制を、という至上命令が出た。週末からとにかく在宅勤務をスタートさせることになった。
 そんなわけで、昨日の金曜日が在宅勤務デビューの日。職場のPCを持ち出す環境はまだ整っていないので、持ち帰れる資料は限られているが、相互の連絡はメールのやりとり等になった。そもそも電車通勤ではないから、他の方たちのように通勤途上でいわゆる三密に晒されることはない。
 夫を送り出してから、勤務開始時と昼休憩の前後、勤務終了時に上司に連絡をする以外はずっと自宅のPCが職場である。

 昼食休憩は、普段のように外で食事をして帰ってくるのに十分な時間はない(家から一番近いカフェでも片道15分ときかない。往復するだけで昼休みは半分以上なくなってしまう。)から、家で簡単なランチを摂っておしまいに。階下のポストまで新聞を取りに出る以外は一歩も外に出ることがなかった。お金も一銭も使わず、実にエコである。

 夕食の支度に取り掛かれるのが早かったので、夫が帰宅してすぐに食事を摂ることは出来た。が、一日中誰かと話すことのない、それこそ宅配の方と郵便配達の方に一言お礼を言っただけの一日だった。24年以上前に遡る最初で最後の産休中、朝早くから出勤し、夜遅く帰宅する夫以外とは誰とも話さない日があったことをぼんやりと思い出した。

 在宅勤務で、動かなければ疲れないかといえばそうでもなかった。心して身体を動かさないと、これは大変なことになる、というのが初日の感想だ。肩も腰もバキバキして目は疲れている。まあ、お腹の調子が悪い身、お手洗いには誰の眼も気にせずに何度も行けるのはストレスフリーだったし、マスクをせずにいられたのも息苦しくなくて有難かった。手洗いも消毒も職場に出ている時よりは回数が少なくて、手の痛みを感じずにも済んだ。
 夕食後にタリージェを飲むと眠気は酷く、食後にそのまま転寝、その後ぼーっとしながら入浴して、その後眠れないかといえばまたしっかり朝まで眠れている。本当に春眠は暁を覚えず、を地で行っているようだ。

 母は木曜日のデイサービスを最後に、デイケアセンター通いを当分お休みすることにしたという。木曜日の朝、お迎えを待っていたら「新型コロナウィルス感染による非常事態宣言が出ました。センターは閉鎖にはしませんが、お休みされても結構です。」という電話連絡があった模様。
 突然だったので迷ったそうだが、ひとまず「今日は行きます」と言ったそうな。いつもは40人のところ10人がお休みで30人だったそう。職員の方たちから「今は子どもが家にいるので・・・」と言われて申し訳なかったので、ということらしい。母は週1回だけれど、もっと頻繁に通っている方は、それはそれで大変そうだとのこと。

 土曜日。目覚ましもかけずにゆっくり朝寝坊。チコちゃんの再放送を見ながらノロノロと起き出して、朝食の支度が整ったところで夫を起こす。夫も来週からは週2回が在宅、週1回の時差通勤だそうだ。なるべく私の在宅勤務と被らないように調整してもらった。2人が顔を突き合わせて在宅勤務というのは、お互い精神衛生上あまりよろしくないだろう。
 朝食を終えて、洗濯物を干し終える居住する団地の大規模修繕の関係で、今日も残念ながら外干しが出来ない。せっかくのいいお天気だけれど、部屋中万国旗状態である。

 昨日は父の月命日にあたり、母が「お墓参りに行ってもいいかしら?」と言うので「非常事態宣言下、バスを乗り継いで出かけるのは止めた方が良い。このウィルスに感染したら高齢者は重篤になるし、もしかかったら隔離病棟でお見舞いにも行けないし、もし亡くなっても葬儀もちゃんと出来ないのだから」と脅してストップをかけたところだ。

 お墓の掃除代金を支払いに行くタイミングでもあったので、母の名代で、一日遅れで私が行くことに。駅前のスーパーで仏花を買い求める。ついでに丁度入荷したという消毒薬が買えたのでラッキー。公園墓地までのシャトルバスに乗る。私たち夫婦以外に女性が2人乗っていたけれど、お一人が良く喋る。もちろんマスクをしてはいたけれど、乗ってから降りる時までずーっと運転手さんと喋りっぱなし。聞かされる方はかなりのストレスだった。在宅勤務で数日間誰とも話していないようだった。

 墓地はそれなりに墓参の方たちがいた。事務所でお墓の掃除代を我が家の分と実家の分、2基分お支払いしてから父の墓参り。父は本当に神経質な人だったから、この新型コロナウィルス騒ぎに遭遇しないで良かったよね、と夫と言い合う。もし今生きていたらさぞかしイライラピリピリして大変なことになっていただろう。

 墓参の帰りにはお散歩方々コンビニでお弁当を買って、公園でピクニックにしようと夫が言うので、レジャーシートやクッション代わりのヨガマット等を持参していたが、いかんせん風が強く、思いのほか暖かくもない。いつまたお腹を壊すかもわからない。外でお腹を冷やしたくなかったので、途中のファミレスでランチにした。

 息子がまだ小かった頃、父の車で何度も訪れたこのファミレスも、家から歩いてくるとなると結構な距離だからもう何年もご無沙汰していた。入店した時はガラガラでお店の四隅すら埋まっていなかったけれど、お店を出る頃にはそれなりに人が入ってきていた。
 お腹が心配なので、控えめに頂く。それにしても、ただでさえ治療の副作用で手足の痺れと痛みがある中、消毒のし過ぎなのか手のひらの皮膚が赤くテカテカになって、痛い。結構な距離歩いたので足の裏も痛い。

 途中、通院している病院の看護師さんが、わざわざ車で1時間半もかけて何度も訪れているというケーキ屋さんに寄ってお買い物。小さなお店だけれど、大繁盛。これは避けるべき三密状態である。外でお客さんが減るのを待って買い物を済ませた。
 駅前のドラッグストアに寄ってみたが、やはりマスクは売っていない。混雑緩和のため、開店と同時のマスク販売は当面中止とのこと。いつ入荷するか見張っているわけにいかないから、たまたま行ってその時にあったらラッキーということか。もはや博打である。どこのお店のレジでも「人と人との間を開けて」と、床にステッカーが貼られていた。

 積んで置いた本を読み終えてしまったが、駅直結のショッピングセンター内書店はクローズ。唯一開いていた本屋さんでしばし並んで文庫を数冊買って帰宅した。
 このお店、本や文具や雑貨、それにレンタルビデオ等も扱っているが、今日はなんと店頭に使い捨てのマスクが並んでいた。見ると3枚入りでかつての7枚入り並みのいいお値段である。我が家はとりあえず少々手持ちがあるので購入はしなかったが、買い求めていく方もちらほらと。政府が各世帯に2枚配るという布マスクの経費を考えればこの値段は決して高くないのかもしれないけれど・・・・。

 そうこうするうちに、案の定腹痛に襲われ、お手洗いに駆け込む。下痢である。今週はやや落ち着いているかな、と思ったがやはり昼食後の外出時は鬼門である。
 先週はまだ開いていた飲食店も軒並みクローズに。来週のお昼はどうしたものか。いよいよ昼食難民になりそうだ。息子の高校卒業以来、数年ぶりにお弁当作り復活ということか。
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