散日拾遺

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箸置き / 台風一過 / 絃歌酒讌 接盃舉觴 ~ 千字文 107

2015-05-13 07:46:02 | 日記

2015年5月13日(水)

 

 4月26日(日)の慰労会の席で、ココミンさんから箸置きの折り方を教わった。

 帰ってひとしきり練習、初めはうまくいかなかったが、コンセプトというか考え方が分かって会得した。初めに結び目を作る時は内側へ折り込むが、その後は外へ向かって折り広げていくんだね。初めに考えた人はエラい。

   

 

 昨夜はA君のクリニック手伝いの日で、夕食先から持ち帰った箸折りでやってみたら、ちゃんと手が覚えていた。

 ありがとう!

 

***

 

 台風が非常な俊足で駆け抜けたおかげで、今日は卒論指導を予定どおり開催できる。

 大阪・愛知・長野から学生がやってくる。偉いなあ。

 

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絃歌酒讌 接盃舉觴

 

 絃(ゲン)は、ここでは「琴を弾く」の意だと。

 讌(エン)は「酒盛り」、宴に同じか。觴(ショウ)は盃と同じく酒器。

 

琴を弾き、歌を歌って酒盛りをする。酒を注ぎあい、杯をあげる。

 

 他愛もなく楽しい。洋の東西を問わぬ風景と言いたいところだが、イスラムの兄弟たちなら酒は飲まないね。

 いま『ロビンソン・クルーソー』を読んでいるんだが、彼の孤島には近隣の陸地からときどき「蛮人」がやってきて、戦争捕虜を屠って肉を食べ大いに楽しむ。その無邪気さなこと、僕らが夕食のステーキや生姜焼きを楽しむのに寸分変わらない。

 ロビンソンは彼の友となり従者となったフライデーに、食人が道に外れたことであるのを教え諭す。

 

 このことでさえ、教わらないと僕らはわからない。まして戦争のこと、平和のこと。