2015年5月20日(水)
家に帰ったら、まず『うがい、手洗い、皿洗い』
今はそういうのだと、フロア秘書のHさんに教わった。もちろん亭主族に向けた戒めである。
「うがい、てあらい、さらあらい」
リズムが良いなあ、「い」で終わる三つの言葉がほどよく韻を踏んでいて、おまけに七五調である。これだから日本語はやめられない。
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実行しようと思いながら帰宅したら、友人から転勤を報告するハガキが届いていた。ある県の地裁・家裁に勤めていたT君が、東京高裁の判事として帰京の由。「栄転」といって良いのだろうが、良心的な裁判官を送り出す側の気持ちを推し量ると、その言葉を使うのがためらわれる。高裁の仕事と地裁の仕事に、必ずしも質の高低があろうとも思われない。
このT君はまもなくアルメニアへ赴任するT君ともちろん別人だが、実は学生時代からの仲良しである。月初のT君壮行会の時、T君は既に東京にいたはずで、そうと知らなかったのは痛恨事。さっそくT君に電話してT君のアルメニア行きを伝え、T君からT君に連絡するよう勧める・・・何が何だかわからないね。
発つ者があり、帰る者がある。出会いの不思議、交わりの幸い。やがて皆いなくなるのだ。今日をこそ楽しむべし。
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それにしても、インターネットは確かに人生のありようを変える。松江でバイオリンを教わったO先生の令嬢に、一片のネット情報からたやすく連絡が取れたのは、もう2年前になるのかな。
昨日はある人から40年ぶりに連絡があった。非常に懐かしい人で、それこそインターネットを通じてこちらの動静を追ってくれていたのである。
この人が敢えて人づてに伝言を託された理由は、幸せなものとはいえない。僕の職業ゆえの相談事である。
構いはしない。懐かしい人々の力になれるなら、これも身の幸いというもので。
インターネットが、ちゃんと役に立つこともあるというわけだ。