散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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コメント感謝 ~ 子どものうつ病のことなど

2016-02-09 23:53:27 | 日記

2016年2月9日(火)

ポキミ様

 もぎたてのトウモロコシのようなコメントをありがとうございました。(新鮮で美味、食いつきどころが無数にあるという意味です。)

 6日(土)に質問してくださった方々は、たぶんすべて記憶しています。中で紅一点、おっしゃるとおり当日のテーマからはやや離れるものの、鋭く的確な質問をなさった方のことはとりわけ印象に鮮やかです。ブログに載せた写真(当初間違えて、前週の大阪の写真を掲載し、家人に指摘されて入れ替えました)にも写っていらっしゃいますね。お年はてっきり20代と思い込んでおりましたけれど。

 講演の醍醐味は自分の主張に皆さんが賛同してくださることよりも、むしろ投げかけたものをしっかり受けとめて建設的なボールを投げ返してくださることです。その意味で6日(土)の我孫子の皆様の反応は実に嬉しいものでした。その象徴のようなコメントにあらためて御礼申します。

 

 「うつ病」の件、貴重な自己開示をありがとうございました。学説から事実が生み出されるのではなく、事実の積み重ねが学説を生み出すのですから、こういう体験談こそデータとして重要です。よく記憶に止めておきたいと思います。

 子どものうつ病については15年ぐらい前だったでしょうか、ひとしきり話題になったことがありました。アメリカや日本のいくつかの調査で驚くほど高い有病率が報告され、子どものメンタルヘルスの危機的状況が警告されたものです。私自身はそれらのデータを見て、診断基準や調査方法にいくつかの疑問を感じ、それが高すぎる有病率のカラクリではないかと疑っていました。ごく常識的に考えて、その数字が本当であれば地域の小中学校のクラス運営が直ちに全面的に破綻しかねないはずであり、その点に吟味を加えていない報告者の姿勢には信用できないものを感じました。

 大人と同様のうつ病を学童期の子どもが発症するかどうかは、慎重に判断せねばならない問題です。うつ病だけでなく多くの病気が、発達段階に応じてさまざまな形を取ることも想起されます。面白いことに、子どもの「うつ病」の高い有病率を報告した前述の人々は、「子どもは大人とは違った症状を呈する」ことを主張し、たとえば他の子どもに対する攻撃行動をうつ病の症状と解釈することによって、うつ病を過剰診断していたようです。私にはこれは論理の破綻と思われました。

 ポキミさんの主張はそれとは全く違うもので、伺ってよかったと思います。当時はさぞつらかったことでしょうね。

 

 さて、「精神医学と文学」という発想はどこから出てきたものでしょう?実はこのところ毎年、秋口の東京多摩学習センターの面接授業で「精神医学」と「歴史・社会・芸術」などの関係を語る試みを続けています。そういう関心がおありでしたら、ぜひ放送大学へ御入学のうえ、面接授業にお越しください。

 楽しみにお待ちしています。

 Ω


東京大学田無寮

2016-02-09 12:01:56 | 日記

2016年2月9日(火)

    

 Sさんとの歓談の中で、かつての東京大学田無寮の話が出たところ、当時の写真を見つけておくってくださった。昭和38年頃とある。右端は消防訓練風景である。

「外観は塗装をし直して変わっていると思いますが、部屋の中には陸軍の宿舎だったらしく、伍長など、昔をしのぶ名札がそのまま掲げられていたのを思い出します。」

 塗装をし直して云々と書いておられるのは、さらに遡る昭和20年代に、父がこの寮にいたと話したことに応じてくださったのだ。父の時代には周囲に民家などはなく、そのあたりに10年分の時の流れが記されている。

 とはいえ某伍長の名札が残っているなどは、むしろ昭和20年代との連続性を感じさせるもので、写真の12年後に僕らが東大の門をくぐった時との隔たりを考えると、相当大きな非対称がそこに見て取れる。ややこしい?整理すると・・・

 昭和27~8年 ・・・ 石丸父

 昭和38年頃  ・・・ S氏

 昭和50年頃  ・・・ 石丸息子

 つまり昭和38年を中心として、before 12年、after 12年を比べたとき、after の変化の方が段違いに大きいと言ってるのね。キーワードは昭和39年の東京五輪かな、そのあたりで東京の風景が一変したことについては、多くの証言がある。福岡伸一『生物と無生物の間』を読んで、エピローグに最も共感したことを確か以前に書いた。それに通じる話である。

 Ω

 


我孫子という場所/「残存機能」と「社会的殺人」

2016-02-09 12:00:26 | 日記

2016年2月9日(火)

 昨年からの御縁で、我孫子市のNPO法人主催の講演会に二度出講した。法人の中心として活躍しておられるSさんはもともと高知の人、夫人は福島・猪苗代の御出身というから、共に「他所の人」である。定年後に我孫子に住み、地域興しに尽力されるのはよほどこの地に魅力があるからかと、昨年来のちょっとした疑問。

 キーワードの一つは「文化の香り」かな。

 我孫子駅南口にある「我孫子市ゆかりの文化人」

 柳田国男、武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉、嘉納治五郎・・・少々強引な関連づけもあるが、それにしても凄いラインアップだ。江戸時代には宿場があった程度のようなので、興隆は明治以降である。Wiki 情報では、嘉納治五郎が発端らしい。1911(明治44)年に嘉納が別荘を構え、その甥である柳宗悦が1914年に移住し、彼に誘われて志賀直哉が、以下同文(?)

 我孫子と柏の境あたりでは、ネームバリュ-と地価の兼ね合いで「どっちに入る」で多少の軋轢もあったらしい。調べたら面白いだろう。以下、今回は写真に語らせるということで・・・

 同じく駅前のインフォ・センター「アビシルベ」

 向かって左のビルがケヤキ会館、7階が会場で・・・

 こんな感じ。ブログ掲載の許可はいただいている。話の内容は・・・

 

 1月23日(土)午前、2月6日(土)午後と2回出講し、てっきり同じ顔ぶれが来聴されるかと思ったら、会場の雰囲気がだいぶ違ったようである。6日(土)は急所を突く質問連発で、こちらもかなり熱が入った。23日(土)はウナギをご馳走になり、今日はここ。

 

 もとは何の建物だったんだろう?凝った造りのこの店の名は「コ・ビアン」。一見フランス語、実は「アビコ」を逆さにしただけだ。中にキリスト教、それもカトリック風の装飾や置物が多々あり、由来がますます不思議である。

  食べろぐの写真の方がわかりやすい。

  主催メンバーのSさんとKさん、背後にキリスト降誕の場をテーマにした置物。

  『母の詩集』『父の詩集』の池下和彦さんと、盟友のS医師。

***

 写真ばかりではもったいない。上記のSさん、講師を募って講演会シリーズを催したりしていらっしゃるが、実は御自身が一家言も二家言ももつ見識家である。講演の後には必ず何か、考えさせられるコメントをくださるのだ。

 23日(土)にウナギ屋へ向かう道々におっしゃったのは「残存機能」のことである。リハビリや福祉の関係者が、本人を前にして「残存機能を活かして云々」ということを平気で言う。機械じゃあるまいし、「残存機能」などという言葉が当人や家族にどう響くか考えないのかと抗議もするが、「そういう用語なので」と一蹴されるのが常だという。

 この件、実はスティグマと深く関わっている。専門家が関わりの対象を「客体」としてしか見ないからこういうことが起きる。「精神分裂病」のどこがいけないんですかというのと、本質的に変わらないことだ。ナルホドに1票。

 

 6日(土)は過去15年間の中高年男性自殺率について「死生観欠落」という観点から話したところ、夜になってメールをいただいた。共感するところ大、許可をいただいて転記する。

「バブル崩壊後の中年自殺が多いということについて、私は個人的にはこれは社会的殺人と位置付けるべき現象だと考えています。アダムスミスの『幸福論』の本当の意味を理解しているわけではありませんが、本来こうした社会状況では人々の幸福感の原点をもっと低い、最低限の幸福を基準に考えなければならないのに、中流階級の生活レベルを基準に幸福の度合いを考える結果、本人を追いつめてしまったのではないかと思います。家族も含めて、社会全体で押しつぶしていることを、もっと早く議論すべきであったのではないでしょうか。統計グラフの背景を深く考えることが本当の統計学ではないかと思う次第です。」

 社会的殺人、つまり戦争やジェノサイドと通底する事態だとSさんは言われるのである。是非とも本格的に展開していただきたい。次はこちらが聴講希望です。


ジョン・ジョバンニ・イヴァン/摂食障害と「浸透」の問題

2016-02-09 10:37:37 | 日記

下記、書きかけたまますっかり忘れていた。

 

1月22日(金)

わりあいのんびりした一日で、今日もまた患者さんたちが色々と語ってくれる。

イヴァン(イワン)は聞きなれたロシア名だが、ヨハネにあたるんだそうだ。正教徒である患者さんが教えてくれた。ということは、え~っと、

 ジョン(英)、ジャン(仏)、ファン(西)、ジョバンニ(伊)、ヨハン(独)、イヴァン(露)・・・

これらが等価ってことなのね。アルメニア語では何というのかな。

***

摂食障害と格闘を続けるQさん、前回帰り際の会話を振り返って、

「先生が『めしあがれ』って言ってくださったのがすごく印象に残って、三日ぐらいは安心して食べられたんです。そのうち薄れちゃったけど」

「じゃあ、三日毎に通いますか」

笑いに流したが、笑い事でもない。彼女の問題は「めしあがれ」と日常的に言ってくれる人がいなかったこと、あるいは現にいないことと無関係ではありえない。さらに

「タレントのベッキーさんが…」

「ええ、不倫報道」

「はい。でも、そのことは私どうでもいいんです。そうじゃなくて、騒ぎになって彼女が4キロ痩せたって、そう聞いたら落ち着かなくなって…」

「自分には関係ないこととは、」

「思えないんです」

「イメージが浸透してきてしまう?」

「はい。」

 痩せた喉元の上の小さな頭を、Qさんはコクコクと振った。

 摂食障害はいろいろな角度から論じることができるが、ひとつ確かなのはそれが単なる食欲の問題ではないことだ。食の背後に何を見るか、患者により論者によって多彩であろうけれど、浸透性の問題はQさんを含む多くの人を悩ますもののように思われる。

 「浸透性」とは咄嗟に出た言葉で、一般に通用するものではない。得意の出まかせである。(日曜の文京SCの公開講座でも、「依存症」と「自由」に関する出まかせを語っている自分があり、それが熟慮の産物よりよほど気が利いているので我ながら感心し、それから少し落ち込んだ。)むしろ自我境界の機能低下と言った方が、まっとうなのかもしれない。当然ながら、統合失調症の辛さがそこで連想される。その異同はたぶん重要なテーマである。

 世の中のある人がある事情で痩せた。その情報が伝わるや、それが自分に重なってくる。自分も痩せねばならないのか、自分は痩せてはならないのか、特定の明瞭なメッセージがというより、幾重にもがんじがらめになった「ねばならない」の塊がひたひたと浸透して彼女の自由を奪う。それを言語化できるQさんは、この病気では例外的と言ってよいほど健康度が高いのだ。ただ、その健康度の高さが、必ずしも社会的な自立度・自由度と連動しない。

 どのみちつらい病気であり、特に大量かつ過剰な情報をほぼ強制的に受け取らされる今の社会において、そのつらさが際立つようである。

 


偶然という名の小鬼/インターネットの白熱空間

2016-02-09 09:38:20 | 日記

2016年2月9日(火)

 ユング的な共時性というのか、planned happenstance というのか、偶然の一致というのか、どう読んでもかまわないけれど、とにかく不思議な呼応ということが実際に起きるのである。

 ダウン症(この「名称」に関する疑問は、あらためて記す)に触れながら原稿をまとめ、棟居先生宛にメール添付で送信をクリックした、まさにその瞬間に目に飛び込んできたのが下記の記事である。僕自身には、何よりこのことが小さからぬ驚きなのだ。なぜこういうことが起きる?誰が仕組んでいる?

 

出産後に「ダウン症」発覚し涙【アメマガ】 http://tell-me.jp/q/3453153?frm_id=c.amm-mail-magazine_l.dr-_r.

 

 おそるおそる、上記のサイトを開いてみた。発端は「ゆる~いQ&A Tellme」に投稿された下記の質問である。

「幼馴染の友達が出産しました 。 入院中~退院2週間ほど経ったのでLINEでおめでとうを伝えました。 そしたら、ずっと既読のまま返事がなくて。一ヶ月ほど経った先ほど、電話がかかってきました。 赤ちゃん、ダウン症だったって。 泣きじゃくっててこっちも涙が出て言葉が全然、出てこなかったです。 今もまだ頭が爆発中です。 産むまで全くわからなかったので心の準備もできてなかったそうです。 私が、彼女に出来ることないかな。 今からでも会いに行こうかな。 どうしよう(TдT)  用意してた出産祝い、渡してもいいんですよね? 今のとこわかっている合併症はそんなに重くはないみたいです。  まとまらない文でごめんなさい(_ _)」

 インターネット端倪すべからずというのはこういうことで、生命倫理と死生観に関するきわめて深刻な投げかけが、こういう日常の言葉で行われているのである。その後のやりとりも、ヤワな教科書・学術書が吹っ飛ぶような直言・実感満載だ。

 

 実際に見てもらうのが一番だが、回答から少しだけ拾っておく。

「障がいがある子を突然育てろって言われてだれが喜べますか… 出産祝いを渡すのは他人事すぎます。 友達夫婦が受け入れれるまでは送らない方がいいと思います。障がいある子産んで今後の人生を悟って人生どん底ってくらい思い詰めてる最中に、人の気持ち知れずに出産祝い持ってきて、おめでとう!、って…」

「お友達が妊娠期間を経て出産を頑張ったことを素直にお祝いしてあげてはどうでしょうか? 電話やLINEは話の食い違いが出来かねないしやっぱり私だったらさりげなく『顔だけでも見たいな』と会いに行くと思います   電話口で一緒に泣いてくれたこと、私だったら救われるしきっととりつくろわない素直な気持ちが一番の励みになるはずです(^^)  御祝いの品が思い当たらなかったらカタログギフトとか、ママ向けのかわいい小物とかどうでしょう?」

「ぜひおめでとうっていってあげて!私も病気の子供を抱えた母親だから彼女の気持ちは痛い程分かります。 彼女に言える事は、決して我が子はあなたを悲しませる為に産まれて来た訳ではないという事。大きな病気を抱えて産まれて来たけど、それでもあなたがた両親に会いたかったんだと思います。本当に主さんが彼女の友達なら、彼女を可哀想だと思わず、何があっても『大丈夫だよ!』と声をかけてあげて下さい。」

「私は同級生にダウン症の子がいました。 でも、ダウン症の子って、症状の出具合にもよりますが 純粋な子が多くて 私の同級生の場合は結構人気者でしたけどね。 中学まで一緒でした。 ご両親が早く受け入れられるといいですね。 なかなか難しいのでしょうけど。。。」

「産まれるまでわからず出産して突然この子は染色体異常ですといわれることは親の心の準備もできておらず本当にショックが大きいかと思います。ダウン症は合併症がどれだけあるかでかなり変わります。確かに短命で筋力も弱く発達ものんびりです。大変なことは健常児より多いかと思いますがその子がいることで学ぶ事はたくさんあります。  障害があろうがなかろうが産まれてきた命。祝福されるべき命です。私は出産祝い渡してもいいと思いますよ。 うちは重度の障害がある子供がいますがおめでとうかわいいね。って言われて嬉しかったです。」

「私が正にご友人と同じでした。 お祝い、してください☺  ゆっくりなだけです。 普通に接して、ご友人が 話したいことがあれば 聞いてください。 天使だよとかの慰めはいりませんので。」

「私もダウン症の男の子がいて、主様のお友達と全く同じ状況でした。当時は毎日のように泣いて、どん底のような日々を送っていました。 でも、ダウン症といっても、健常な赤ちゃんと一緒で、命懸けで産まれてきてくれたんです。奇跡の子ですよ。だんだん日々を過ごすと、いろんなことに気付いてくると思います。愛おしさも日ごとに倍増しますよ。 お母さんもどんな赤ちゃんもみんな命懸けで頑張ったんです。おめでとうと言ってお祝いを渡してあげて下さい。」

「うちもダウン症の弟いましたよ。数年前までね。 最期は病院の管理不備で食事中に喉を詰まらせたのが原因で窒息、不幸中の幸いか蘇生が成功しましたがそのまま目がさめることはなく2ヶ月くらいで天国へ旅立たれました。 そんな弟は普通の子とは掛け離れてたかもしれませんが、誰よりも純粋で誰よりも優しくとても愛嬌のあり愛される弟でした。 普通の子と何が違うって、ただ個性的なだけです。 言動は不自由でしたがただそれだけです。 入院中だって病院スタッフのアイドルでしたし。 喋れなくたってコミュニケーションはとれます。相手の感情だってくみ取ってくれます。 ちょっとだけ個性的なんです。ちょっとだけ。 問題はその子が普通のなのではなく、周りがその子を愛せるか。 その子が今後幸せになれるかは決まると思います。 ダウン症だって程度が軽ければ普通に社会生活している方もいます。 うちは重めのダウン症でしたが程度なんか関係ないですけどね。 産んで育てると決めた以上は親であり、健常者であろうがダウン症であろうが障害者であろうが人なんですよね。 うちは未だ弟の存在を忘れません。 今だって会いたいです。 確かに突然の事で受け入れるのは大変でしょうが、その子の微笑みが親御さんをきっと救ってくれる日がきます。 お友達さんハッピーバースデーですね。励ましてあげてください。 お祝いはただ渡すのではなく、誤解のないように励ましてから応援するよ、一緒に頑張ろうねってぐらいなら快く受け取ってくれるのでは? お祝いがともかく、理解者であることを示してあげられたらと思います。」

***

 「少しだけ」が、つい長くなってしまったが、まだまだ続くのである。進むにつれて次第に当事者・経験者のコメントが増え、河口に近づく川のようにやりとりがじっくりと厚みを増していく。比例して質問者とその友人に対する声援の広がるのが、目に見えるように感じられる。それだけに、いの一番に激しい反応を示した人のことがかえって気になってしまうのだ。こんなふうに強く反応する、どんな痛みをこの人は抱えているのだろう?

 実は後の方で、冒頭のコメントに対するかなり厳しい批判が(正しくも)出てきている。それが相手の心に届くことを願う。

 すべてのコメントを見たわけではないが、見た限りで発言者はすべて女性だった。何だか、毎度の保護者科の風景と妙に重なるのである。

 Ω