2017年6月6日(火)
セントルイス時代に親しくなった韓国人キム・スンヒョンのことは、前にも書いたような気がする。同年代の精神科医で同じラボに留学中とあれば仲良くする理由は1ダースほどもあり、実際ずいぶん一緒に遊んだ。彼とその家族のおかげで韓国人に対する僕の見方、見方というより感じ方が根本から変わったこと、いずれまとめて振り返ってみたい。
のんびりした男だが、時にちょっとした警句を吐いた。何度目かに飲んだとき、「俺が日本の文部大臣だったら、韓国語と中国語を大学教養課程の選択必修に指定する」と大口を叩いたら、「お前がそんな考え持ってちゃ、日本の文部大臣にはなれないだろ」とすかさず突っ込まれ、一本獲られましたと大笑いした。中国語は今ではそこらの大学でも大した人気らしいが、中国という国の政治的経済的ランクアップに後押しされているに違いない。学生も機を見るに敏なもので、これでは逆につまらない。大した力がないように見えても、隣国だからという理由だけで相手の文化に関心をもつのが教養というものだ。韓国も今や相当の力を備えているが、それとこれとは関係ない。
という訳で、放送大学の学生として科目履修を始めるにあたり、2科目のうちの一つに選んだのが「韓国語 Ⅰ」である。もう一つは、今は内緒ね。
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印刷教材にもある通り、学問的には「朝鮮語」と言うべきで、本当はそう呼びたいけれど妙な言いがかりをつけられたくないから「韓国語」と言っておく。「李氏朝鮮」の末であり、「朝鮮日報」という韓国の大新聞もあると思えば妙なことだけれど。その韓国語に初めて興味を惹かれたのは東大教養の政治学、故・佐藤誠三郎氏の講義からである。確か冒頭近くの地政学の話の中、英仏関係と日韓関係を対比して、「対馬海峡は英仏海峡の6倍広く、おまけに英仏海峡と違ってフカがいる、従って政治的亡命ということが成立しなかった」と地理的懸隔を強調するいっぽう、「日本語にとって韓国語ほど近い外国語はない、文法や語順が酷似していて逐語変換で翻訳できる、『私は』と『私が』の違いがあるのも世界的に珍しい共通点」などと言語的類縁を指摘されたのである。
おっしゃる通りでもあろうし、当時まだ韓国人が漢字を使っていたから、なおさら親近感が強かった。今の日本語人にとって最初の壁は漢字抜きハングルで、似たような記号がいっぱいに並んだ紙面を見るだけで目眩がしてくる。一通り読みを覚えて文に向かうものの、ㄱとㄴをひっきりなしに読み違えて収拾が付かない。けれども少し進んだら、やおら目覚めるところがあった。一つは漢字言葉が隠れていることで、「カムサハムニダ(ありがとう)」は「感謝ハムニダ」、「チュッカハムニダ(おめでとう)」は「祝賀ハムニダ」だと知ったとたん、霧の一隅が晴れた感じがする。もう一つは佐藤先生も言及された文法・語順のこと、「私が行きます」が「チョガカムニダ」なら、「私は行きます」が「チョヌンカムニダ」で、「私も行きます」が「チョドカムニダ」、拍子抜けするほど構造が似ているのである。フランス語といいドイツ語といい、印欧語族の言葉ばかりかじってきたから、こういう「外国語」もあるのが非常に新鮮だ。
これら漢字言葉が語彙の70%だかを占めるそうで、辛抱して壁を越えれば後は捗るに違いない。漢字文化のありがたさをあらためて思ういっぽう、基層にある固有語と大和言葉の相違/類縁に先取りの興味を感じもする。韓国語で「人」を사람(サラム)と言い、「愛」を사랑(サラン)と言う。「人」と「愛」が酷似しているなんて、何と麗しい言語だろう。僕らが大和言葉に寄せる懐かしさ慕わしさと同質のものを、彼らは韓国固有語に感じているに違いない。
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・・・などと教材を眺めていて、ふと「約束」という言葉に目が止まった。「やくそく」というこの言葉、日本人が好きな日本語の単語の、おそらく上位に入るのではないかしら。僕も好きで何となく大和言葉のように思い込んでいたが、これは立派な漢語である。用例は鎌倉時代に遡るらしく、すっかり身に馴染んだ準・大和言葉ではあろうけれど。そして「約束」は、韓国語でも「約束」(약속)なのである。発音もヤクソク、ただし韓国語のㄱは「ku」ではなく「k」だから、我々が「yaku-soku」と発音するところ、彼らは「yak-sok」と言う。僕らも早口だと「yak-sok」に近くなるね。
どっちだっていいよ、約束は約束だ。日韓共催サッカーを一緒に見ようと約束したのに、スンヒョンはどこに行っちゃったわけ?怒るよ、ほんとに。
Ω