2017年5月19日(金)頃に書きたかったこと:
A地の初夏をたっぷり楽しんだ後、昨年に続いてC地へ出張・・・何のことか分からないぐらい間伸びしてしまった。
知人がFacebookに虹の写真を載せているのを出発直前に見た。僕にとって ~ 誰でもか ~ 虹は吉兆、とりわけ30代には節目の時に虹をよく見た。最近はどうだろうか。「親しい人が虹を見た」ことが自分に何かをもたらすのかどうか、よく分からない。
移動日の午前中は都内で診療にあたる。摂食障害を抱えた人の面接が、言葉や身体性について毎回多くのことを教えてくれる。あるいは「食」の社会性について。「ゆるむ」ことを自分に許せるかどうかが、症状経過にとっても彼女の人生にとっても急所である。「荷をほどく」ことも同じ。緊縛と解放の拮抗関係がいつもそこにある。
別の患者さんが義足を懸命に操り、息を切らしてやってきた。遅れたことをしきりに詫びる。
「電車が遅れたんだもの、あなたのせいじゃないよ。人身事故?」
「そうなんです、焦っちゃった。でも、あたしも人のこと言えない・・・」
そうか、そうだったね。そんなふうに言えるところまで、あなたははるばるたどり着いたのだ。
***
北九州の空港は人工島に築かれており、無駄のない広さが心地よい。バスの窓に広がる海を僕は響灘につながるものと錯覚していたが、実は周防灘つまり瀬戸内の側である。北九州はそういう位置にあり、外と内とに顔をもつ。市内まで50分かかるが、降りれば目の前のコムシティに今夜の宿も明日の仕事場も入っている。
部屋の窓が切り取る、夕方の黒崎市街はこんな感じ。
写真のファイルが誤って iPad のドキュメントスキャナーのフォルダに入り、そこで処理されて化けたのがこれ。
思いがけない効果!
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