散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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a small world after all

2017-06-17 16:36:54 | 日記

2017年5月22日(月)に戻って

  これは了解を得て実名披露。向かって右端の笑顔の男性 〜 僕に負けずにおデコが光っているのに、許せないほど頭髪の豊かな 〜 この方が倉成宜佳(くらなり・のぶよし)さん、一座の主宰者である。

  前任校でたまたま指導する立場にあったことから、今でも恩師と呼んで大事にしてくれるが、その青の鮮やかはとっくに藍の曖昧を乗り越えている。交流分析の流れを汲む「再決断療法」を懐に携え、伝道者の熱心をもって九州・四国の人々に薫陶を及ぼしつつある。

  面接授業でC地を再訪するのにあわせ、彼の仲間の前で話す機会を与えてくださった。その後の懇親会の一コマを、これも許可をいただいて掲載。作ったのではない皆の表情から、日頃のコミュニケーションの豊かさ・和やかさが窺われる。それぞれ生活の場でタダモノではない人々ばかりで、いずれ活躍ぶりを紹介する機会があろう。今回また含蓄に富んだコメントをくださった被爆二世さんの姿もあるが、さてどの方でしょう?

 そうそう倉成さん、再決断療法の例のテキスト翻訳の件、本気で考えてみませんか?僭越ながらお手伝いさせていただきますので。

 Ω

 

 

 


ビール ~ アイスクリーム ~ 犬に与えるビスケット ~ 飲める酒と飲めない酒

2017-06-17 16:35:58 | 日記

2017年6月17日(土)

 「靴でビール」の件を書いていて、ふと思い出したことがある。

 「あたし、アイスクリームのとっても美味しい食べ方、知ってるんだ」と、少女A。手にしたアイスクリームの中に唾液を滴らせながら、スプーンで入念に混ぜ溶かしていく。それを見つめる少女B、逃げ出す自由はない。

 どこで見かけのだったか、誰かの手で転載されたこの場面だけを知り原作は読んでいない。

 さらに遡る幼年期、犬(たち)と飼い主の少年(たち)とを主人公にした物語で、飼い主がビスケットに唾を吐きかけ、それを犬に与える場面があった。飼い主のものであれば、犬は別段、唾液を嫌がらない。少年(たち)がことさらそのようにしたのは諍いの後の和解の場、互いに相手の飼い犬に唾液のついたビスケットを食べさせることによって、二度と敵対しないことを約束させたのである。

 犬(たち)は逡巡の末、飼い主の叱責に押されてしょうことなくそれを食べた・・・ように記憶する。飲食物を嚥下することの象徴的な意味には、種を超えて犬に通じる超心理学的な(?)基礎がある。

 映画『セデック・バレ』でも扱われた、1930(昭和5)年の霧社事件。事の起こりは台湾原住民の結婚の宴、通りかかった日本人巡査に若者が酒を勧めたところ、巡査が不潔を嫌って相手を殴ったのが始まりともいう。現地の酒は、人が口でかんで醸したものだった。不潔・野蛮に思われようが、炭水化物を唾液アミラーゼで分解するところに合理的な理由があり、実はつい最近まで日本を含む世界各地に行われたやり方である。今でもやっているところは当然あるだろう。

 浄不浄の境はどこにあるか、イエスが喝破したとおり、人を汚すのは外から入ってくるものではないことを「噛みしめ」よう。ポイントは清潔・不潔よりも、むしろ「誰の」体液であるのかということであるらしい。またしても関係性?

 結局そこか。

Ω