散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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ムクドリの宿は栴檀でした

2018-02-01 23:56:15 | 日記

2018年2月1日(木)

 ケヤキから追われたムクドリが集まっているのは、栴檀(センダン)の枝と杉原さんから御教示いただいた。

  

 なるほど、違う季節には ↓ こんなふうに見えるのだ。

          (Wikipedia)     

「センダン(栴檀、学名: Melia azedarach)は、センダン科センダン属に分類される落葉高木の1種。別名としてオウチ(楝)、アミノキなどがある。「栴檀は双葉より芳し」のことわざがよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)のこと。」

「果実は長径1.5-2 cmほどの楕円形の核果で、10-12月頃に黄褐色に熟す。秋が深まり落葉してもしばらくは梢に果実が残る。果実は果肉が少なく核が大きい。たまにヒヨドリなどが食べに訪れる。しかしサポニンを多く含むため、人、犬が食べると中毒を起こし摂取量が多いと死に至る。」

「5-6月頃に、若枝の葉腋に淡紫色の5弁の花を多数、円錐状につける。花にはアゲハチョウ類がよく訪れる。夏の日の午後は梢にクマゼミが多数止まり、樹液を吸う様子が見られる。なお、南方熊楠が死の直前に『紫の花が見える』と言ったのはセンダンのことと言われている。」

「街路樹・庭木・公園樹に好んで用いられ、材は堅く家具・運動用具・下駄などに利用される。また沖縄県に自生するセンダンの抽出成分が、インフルエンザウイルスを不活化させることが報告された。」

 樹皮は駆虫剤になり、葉は強い除虫効果をもつとあり、どこを切っても薬めいた存在である。サポニンは強い界面活性剤だから、石鹸代わりに使えもするが、食べれば当然、毒になるだろう。

 温暖な地域の海近くに好んで育つとあり、土佐の産である杉原さんが熟知しておられたのもうなずける。センダンは南寄り、ムクドリは北寄りといえ、いかにも我らが列島に似つかわしい取り合わせと感じられる。

Ω

 


伊豫の大島と周防大島 / ケヤキにムクドリ

2018-02-01 10:09:01 | 日記

2018年2月1日(木)

 広辞苑第7版、「しまなみ海道」の記載に誤りがあったんですって?

 「本州四国連絡道路のうち、尾道・今治を結ぶルートの通称。自動車道に歩行者・自転車専用道路を併設、因島・生口島・大三島・大島などを経由する。全長59.4キロメートル」

 六島から四つを抜き書きするぐらいなら、全部書いてしまえば良いのに。「向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島」である。前三者が広島県、後三者が愛媛県、誤りはこの最後の大島を「周防大島」としていたのだね。「周防」だから山口県なのは名前からも分かる。凡失・・・

 一巻の辞書を編む作業の気の遠くなる大きさを思えば、些細なことと笑ってすますのが正しい態度だろうが、やはり残念である。僕は豫州人として、しまなみの大島のために残念に感じるが、実際の周防大島は70kmほど西にある防予諸島最大の島。古来、瀬戸内の海上交通の要衝であり、記紀の国産みで大八島(大八洲)の一に数えられもする(『日本書紀』岩波文庫版 P.26、ただし異説あり)由緒正しい「大島」だから、防州人のほうでは「しまなみ海道の小島と混ぜるな」と言いたいところだろう。どちらにせよ地元の人間からすれば「ゼンゼン違う」のである。う~ん残念!

 なお、『忘れられた日本人』の著者である宮本常一(1907-81)は周防大島の出身だ。

***

 昨日は一年ぶりの我孫子詣で。駅前のケヤキが丹念に枝を払われ、「けやきプラザ」7階から見下ろすと、「箒を逆さに立てたような」枝振りが一目瞭然である。

 講演の後、地上を歩きながら杉原秀雄さんに伺ったところでは、前日まで鳥よけのネットがかかっており、外されたばかりとのこと。ムクドリが群れなして枝に密集し、糞害が生じるらしいのである。もっとも、入禁にされたムクドリの方はちゃんと駅前の別の木に移り、自分らのすることをしていた。丸い実を付けたこの木は何の木だろう?

       

 逆光で姿が分からないね。下記、拝借。「ムクドリ(椋鳥)は人の住む所に多く、群れて生息している。公園やゴルフ場など集団で『キャラ・キャラ』とやかましい」と解説付き。
 

(http://15.pro.tok2.com/~satoubin/mukudori.htm)

***

 僕に懐かしいのは、濱田廣介の「ムクドリの夢」である。読むたびに必ず泣いてしまうので、本棚から取り出すことをやめてしまったが、頭の本棚からは消すことができない。杉原さんの幼年期の記憶と同じである。

第三話  むくどりのゆめ

ひろい野原のまん中に、古いクリの木がありました。
その中に、とうさんむくどりと子どものむくどりが住んでいました。
むくどりの子は、とうさんにかあさんどりは遠くに
出かけていっているときかされていました。
ほんとうは、もうこの世にいないのに・・
だんだんふしぎになってきたむくどりの子は、
とうさんにたずねます。
「いつかえるの?」「海をこえたの?」「山をこえたの?」
とうさんは、「ああ、そうだよ」とこたえます。

十日たっても二十日たっても、かあさんはかえりません。
ある日、木の枝にいちまいだけついていた枯れはが、
カサコソなりました。
むくどりの子は、その音がかあさんどりの
羽音のように聞こえてしかたありませんでした。

むくどりの子は、馬の尾の毛でその葉をむすび
風が吹いてもとばないようにします。
その夜、むくどりの子は夢をみます。
白い羽のとりが、巣の中に入ってきたところで目がさめます。

すぐに外に出てみると、かれ葉にうすい雪が
かかっていました。

(http://www.geocities.jp/hirosuketakahata/hirosuke.htm)

Ω