2018年2月17日(土)
羽生(はにゅう)が勝ち、羽生(はぶ)が負けた歴史的一日。
羽生結弦、圧巻の演技でソチ・平昌連覇達成。同じ日に中学生(15歳)の藤井聡太が羽生善治らを破って朝日杯将棋トーナメントを制し、タイトル獲得と六段昇進の最年少記録更新。こんな一日があるんだね。
とりわけ愛知県民は嬉しくて仕方ないだろう。羽生に次いで銀に輝いた宇野昌磨は名古屋っ子、藤井は瀬戸市出身で名大(地元ではメイダイではなくナダイと呼ぶ)の付属校在学中である。名古屋近辺は腰の強い活気が続いている。
羽生の直前にパトリック・チャンが、おそらくは五輪で最後の演技を披露した。ファンはこの人の凄さをよく知っている。ソチで羽生が優勝したとき、それ自体もさることながらチャンを凌いだことが俄には信じられなかった。彗星のような藤井の輝きも、羽生という不世出の天才棋士あればこそである。
「羽生の手がふるえると、相手の勝ちはない」と言われるのだそうだ。読みに徹する間、感情の介在する余地はない。勝ち筋を読みきって仮想空間での勝負が終わった瞬間、生身の感情があふれてきて駒をもつ手が震える。その時、現実の勝負は既に決着して動かないというのである。これまた凄い話で、あわせてちょっと面白い。
囲碁の観戦記で「ふるえる」と言えば、通常「優勢を意識して着手が萎縮する」ことを意味し、これが得てして大逆転の伏線になったりする。萎縮すまいとして逆に過激な着手に流れることを含め、僕らのヘボ碁でもよく起きることで、優勢な碁を勝ちきるのがいちばん難しいなどとも言う。しかし、羽生の場合は勝ちを完全に読みきった後で「ふるえる」というのだ。わずかな時間的先後の問題か、あるいは一番の将棋と一局の碁の、質的な長さの違いでもあるような。
2週間ほども話題を溜めながら更新できずにいる間に、幕張の梅が今年も見事に咲いた。2月7日(水)の出勤途上、公園奥の梅林に足を向けると、年輩の男性ばかり何人か、本式のカメラやスマホを手にして眩しそうに枝々を見あげている。常連らしい人が「白はほぼ満開ですが、紅梅がまだ少し」と解説してくれた。
今頃はともにピークを越えたことだろうか。
(横向きで失礼)
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