2018年2月4日(日)
「気立て」もまた「気のつく言葉」の係累で、この系列の面白さは無尽蔵とも思われる。これを鎌倉時代までの日本人が知らなかったということが、かえすがえすも不思議である。
最近目についたものに、「気散じ」というのがある。今は耳慣れないが、ちょっと古めの小説などには「気晴らし(をする)」という意味で、「気散じ」「気散じする/気を散じ(ず)る」といった表現が現れる。
「気が散る」「気を散らす」との対比が面白い。「気」が集中を失って散漫になる同じ現象を踏まえながら、「気が散る」「気を散らす」は集中欠如という負の面に注目し、「気散じ」は過度に集中して凝り固まった「気」を緩めて解放し、疲労を回復する正の面を見ている。
そうそう、そう言えば・・・
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昨秋のことだったと思うが、すいた電車でぼんやりドアにもたれていたら、近くの座席から若い女性同士の会話がコロコロと聞こえてきた。
「気が置けるとか、置けないとかって、混乱しない?」
「する!このあいだ◯◯ちゃんが、うちらの仲間いいよね、安心して気が置けるよねって」
「それって、違うくない?あ、いいのか」
「う~ん、どうだろ・・・」
樹上の小鳥のように賑やかに囀っていたのが、ここでぴたりと静まった。振り返ってみたら、2人並んで競うようにスマホを操作している。数十秒後、にっこりと顔を見合わせ、
「ってことは」
「私たちって」
「気が置けない!」「気が置けない!」
座席の上で跳びはねるように笑い交わした。
スマホも使いようですね。こんなことでもなかったら、彼女らは生涯この語の用法を会得しなかったかもしれない。
友情に乾杯!
Ω