散日拾遺

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地質天文俳句に酒造(承前)

2018-05-28 20:20:34 | 日記

2018年5月28日(月)

 答は、こちら。

http://www.izuzuki.com/Zukan/Fish/utsu/utsubo.html

 美味しかったんですよ、これが!さっぱりホクホクした滋味に高級魚の風格がある。ネット上には「フグより美味い」というコメントがあり、そのあたりの比較は難しいが断然美味しいことは間違いない。他人様から勧められなければこの種の珍味はなかなか手を出すものではなく、Y先生への御礼ごとがまた一つ重なった。

 ウツボは鱓と書く。虫偏なら蟬、木偏なら樿(つげ)、どうもイメージが作り難い。語源については「長い体が矢を入れる容器『靫』(うつぼ)に似ているからという説、あるいは岩穴に潜む習性から空洞を意味する古語『うつほら』が転用され『うつほ』を経て『うつぼ』となったという説」などがあると云い(Wiki)、どちらにしても「うつ(ろ)」の意を背負っている。空虚には主・魔物が住むとしたものか。木の「うろ(空・虚)」も同じで、こちらは梟なんぞが巣を営む。「うろ」は「烏鷺」「迂路」「雨露」などと同音で面白い。

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 Y先生のお人柄の広がりについて、半分も触れていなかった。タイトルに掲げたもののうち、酒造については僕の手と日本の国法に余るので後日の課題とする。俳句、これはある時あるきっかけで発心なさり、以来一日十句を自らに課したという。3年続ければ1万句だが、これはもう求道(ぐどう)の業である。私は松山出身、などとほざくのではなかった。

 面接授業を終えて去り際に句集をいただいた。『四季吟詠句集31』、平成28年1月号から12月号まで、「俳句四季」の〈四季吟詠欄〉で特選を得た作家による合同句集とある。23名の作家の掉尾を飾るのがY先生、開いた途端に目に飛び込んできた句に度肝を抜かれた。

 「かにかくに怒怒怒怒怒怒と過ぎし去年」

 盛られた感慨への共感もさることながら、こういう言葉の使い方があることに感嘆する。劇画などの感覚に近く、自在そのものである。ちなみに「去年(こぞ)」とは平成27(2015)年、戦後70年の節目に安保法案強行採決、原発再稼働など、当方も残り少ない怒髪が天を衝いた時期であった。

 Y先生の作は57句収められており、そのうちの56句は『俳句四季』『俳句』『俳句界』『俳句α(アルファ)』のいずれかに投句し入選・入賞したものだという(!)ただ、Y先生の最も深い思いは唯一の落選句に寄せられる。

 「年の果て遺品整理に父を知る」

 句の巧拙は僕には分からないが、読み手の腹の底に真っ直ぐ落ち、腹の底で響き続けるもののようだ。木は実によって知られ、父は息子によって知られる。この御尊父にしてこの御子息のあることが、いただいたお便りからまざまざと窺われる。

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 帰京後、諸々の御礼に郷里の甘夏を送ったところ、さっそく句題に使ってくださった。

 「夏蜜柑(夏柑・甘柑)は、結実するのは秋ですが、収穫は翌年の春になるので、歳時記には春の季語として立項されています。せっかくの句材ですのでいくつか俳句を詠んでみました。駄句ですがご笑読ください。

   甘柑の重きに人の心かな

   夏柑に伊予の大地の息吹かな

   一房にかの日かの時夏蜜柑

   夏柑を割りて夫の座ゆるぎなし

   血管を浮かせ夏柑剥きにけり

       ・・・」

 これらが駄句なら駄句も万々歳である。どこまで行っても脱帽の連続だが、妙に触発され臆面もなくお返ししてみたくなった。遥かに遠く及ばずも、せめて一日一句を目指すかや。

   甘夏や一億年の土に生(お)ゆ

   空洞(うつぼら)の主たりしかや旨し君  (・・・季語がない・・・)

   土佐みずきペグマタイトの微光あり

(松山のわが家の庭のトサミズキ・・・五・七・五!)

Ω