散日拾遺

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上州路狐五月の夕間暮れ

2018-05-30 10:01:01 | 日記

2018年5月20日(日)

 その昔通っていた前橋市立桃井(もものい)小学校、調べてみれば学習センターへの往復路から西へ1kmあまりの近さにある。面接授業二日目を無事に終え、体は疲れているが気分的に解放されたところで、夕暮れまでの時間に寄り道してみた。

 あっさり見つかったその校舎は、当然ながら昔のそれではない、面目を一新し市の施設なども乗り入れている。運動場に松の巨木が一本立つのは記憶通りで、ただ運動場の中央かと思っていたのが、実際にはだいぶ西寄りであった。

      

 敷地の東側、嘗ては朔太郎の生家の一部が置かれていた横を、今も変わらず小川が流れている。それに沿って南側の国道に出て、1ブロック東の信号の東南隅、わずかに南に下って路地を入ると突き当たりの南側に・・・

 あった。あっけなく見つかった。昔、南曲輪町と呼ばれた一角の、この場所に間違いない。しかも同じこの家屋である。すっかり老朽化し、数年を経ずして取り壊されるに違いない。あの頃はここに塀があり、このあたりに子犬をつなぎ、この玄関に友達がやってきたのだ。

 北側、国道との間を占めていたHさんの広いお屋敷は綺麗になくなり、東側の半分は駐車場、西側の角地のしゃれた二階建ては、確かにHの表札がかかっている。Hさん御一家には随分可愛がっていただいたが、もちろん代替わりしているだろう。戸締りされて人気がなく、日曜のお出かけからまだ戻らないらしい。

 路地を出て前の道を南へくだれば、すぐ両毛線の高架である。このあたりが記憶の面白さで、6~7歳の頭では前代田(まえしろた)町の以前の住処まで一旅程あったのだ。雷雨の日に気遣ってくださった隣人のいた、空き地だらけの一帯がどこにあるのか、ここから先はもう分からない。

 高架の手前で東に折れ、宿に戻ることにした。そろそろ夕闇の忍び寄る気配である。駅前に続く通りに、ここにも小学校があるが少々古いようである。その名前を見て驚いた。「前橋市立桃井小学校」、え? だって・・・

 周回して同じ場所に戻ったわけはゼッタイない。事実、眺めがまるきり違うのに、あれも桃井、これも桃井、何でそうなるの? 狐に化かされたとはこのことである。運動場で訓練を終わろうとする消防の一団を見ながら、しばし呆然と立ち尽くしていた。

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