散日拾遺

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西遊記のこと(2)

2018-10-09 07:32:56 | 日記

2018年10月9日(火)

 同じ箇所を、手許の子供向けのもので見てみる。

 ところで、その島の頂上に一つの岩があった。高さ三丈六尺五寸、周囲二丈四尺(中国の一尺は約35㎝で一寸の10倍、一丈の十分の一にあたる)もある大きな岩である。

 その岩がある日のこと、とつぜんはれつして、中から一つのたまごが生まれた。まりほどもあるやつだった。そのたまごがやがてかえって、一ぴきの石ザルが生まれた。目も口も耳も鼻もちゃんとそろっているし、手や足もむろんある。

『西遊記』呉承恩、松枝茂夫(訳)講談社 青い鳥文庫 P.7

 「太陽/太陰」の能書きは案の定、省略されているが、件の大石の周囲長の記されているのがありがたい。逆に言えば前掲の大人向け(?)版が、なぜ高さだけ記して周囲長を略したかよく分からない。高さと周囲長が分からなければ、この石の形を思い描くことができないであろう。(オリジナルは、ただいま確認中)

 「はれつして中からたまごが生まれた」というなら、おおかた元の石もずんぐり卵型であったろうと考えそうになるが、果たしてそうだろうか?

 周囲が二丈四尺(約840cm)ならば直径は七尺七寸(約270cm)、つまり直径3m弱に高さは8.5mほど、大した巨石であるとともに、縦長の円柱構造であることがスケッチしてみれば分かる。これが山のてっぺんにあったということは、転がっていたのではなく屹立していたのだ。そして宇宙の陽気と陰気を永い時間をかけてたっぷり吸いつづけた。

 何を思い描こうか?

 その結末として卵を胚胎したことからは、巨大な雌蕊(めしべ)を考えてみたくなる。一方、その形状から陽/雄のシンボルを連想するのもまた自然なことだ。いずれにせよ巨石は突出する大地の器官であり、それが天空(おおぞら)と陰に陽に交合を繰り返して、その末に石猿のたまごを生じた。子供向けの版が仔細を略すのも無理はないと言ったのは、この意味である。

 遠くはガイアとウラノス、近くは伊邪那岐と伊邪那美、創造譚はいつでもどこでもわかりやすくこの形をとる。一人の神が言葉によってすべてを造ったとする旧約の創造説は、稀有の例外であるかもしれない。

(続く)