散日拾遺

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「希望」を語った日曜のゼミ

2018-10-21 21:58:42 | 日記

2018年10月21日(日)

 さらに遡るが、この日のことはたぶん末永く忘れない。この週の中頃から気道に変調あり、注意を払ったにもかかわらずどんどん悪化した。結果からみれば21日も休んでおけばよかったのだが、何度やり直してもこの日のゼミ ~ 卒研・修士・博士合同の ~ は出席したことだろう。こういう一日が時にある - 選択の余地のない一日である。

 「行くには行くが、声が出ない」と知らせておいたところ、定時に着いた時には修士のNさんの音頭取りで発表順を決める作業が始まっていた。日頃は僕のやっていることで、さすがは社会人院生たち。主宰教員が incompetant と知って、自主性の回路が直ちに全開、それが内容にも反映され、10時から17時まで陶酔に近い充実感が10人ほどの小部屋を支配し続けた。

 この日を象徴する言葉が出たのは、博士課程のAさんからである。障害受容と親子関係をからめた研究をしている彼女が、いつものように物思う口調で云ったこと ~ 機能欠損自体は回復の見込みがないと分かっており、そのことを十分理解しているにも関わらず、いつか何とかなるのではないかと「希望」を抱く親がしばしば存在する、という。

 「認知の制限が生じていて現実を認識できない」というネガティヴな意味ではない、「『にも関わらず』希望を抱き続ける力が親と当事者を支える」といった超ポジティヴな文脈のことで、できればこれを回復過程のキーコンセプトに据えたい気もちがいる。坂井素志先生から示唆された「二者関係/三者関係」さらには「二人称/三人称」のことを紹介し織りあわせつつ、「希望」をめぐって皆の幻想が膨らんだ。

 直ちに連想するのは喪の作業で、地上では二度と会えないとよくよく承知していながら、再会の希望を抱き続ける当事者がある。母の葬儀で不思議に思ったのは、僕を含む当の家族が悲しみの中にも再会の希望をもち、いみじくも「また会う日まで」(旧405、讃美歌21-465)を口ずさみながら棺を運ぶ傍らで、他の会葬者が「最後の別れ」を口にもし心にも念じているらしいことだった。それが教会関係者である場合にはほとんど悪い冗談のようなもので、日頃礼拝の中で聞かされまた告白していることを、実は少しも信じていませんと白状するようなものである。

 すると卒研生のH氏が、「三人称の死にとどまっているから、『希望』をもたずにいられるのではないでしょうか」と切り込んだ。急所の一撃、目からウロコである。大切な相手との死別を「希望」をもつことなく乗り越えることは、大半の人間にとってできない相談、したくもない相談なのである。いかに非現実的であれ、むしろ非現実的であるがゆえに価値あることなのだ。希望の存在ことが命と意志の証しである。

 「永続するものは信仰・希望・愛」(コリントⅠ 13:13)

 信仰と愛は分かるとして、なぜ希望 ελπις なのか永らく理解の外だった。ようやくわかり始めた気がする ― 「わかった」はまだ遠いけれど。

 出ないはずの声を出して議論に参戦し、覿面悪化して気管支炎状態。22日(月)から24日(水)はで全ての予定をキャンセルする羽目とあいなった。

11月11日(日)記

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