散日拾遺

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気が抜けて 気をとり直して 気をつけて

2019-03-03 18:53:28 | 日記

2019年2月28日(木)

 「なきがら」と「ぬけがら」、よく似てよく響き合う一対の詞、実は意味もほとんど等しい。ギリシア語の ψυχη (=psyche)は蝶と魂の双方を意味する。どちらの意が古いのか?同日の生まれ、あるいは相互に生みだしあったと考えてみたい。なきがら/ぬけがらと同じ一組の双子である。蝶が羽化して蛹の殻が残る。実体は既にそこになく、疾うに軽々と大空を舞っている。実体が ψυχη (魂/蝶)であり、残った土の器が「ぬけがら/なきがら」なのた。

 「なぜ、生きている者を死者の中にさがすのか  τι ζητείτε τον ζώντα μετά των νεκρνεκρών ?」(ルカ 24:5)

 「わたしはそこにいません、眠ってなんかいません」(千の風になって)

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 11時14分に12個めの添付ファイルを編集者に送信し、絨毯にへなへなと(いい言葉!)座り込んだ。少し横になろうかと考えるより早く、豆腐の角に頭をぶつけた。いやに固い豆腐で金属音がした。昔からよくやるのである、たぶん最後は頭部外傷が決め手になるかな。

 新しく学部科目として精神医学を新設することになったのは、公認心理士資格対応のための政策的判断と聞いている。これまで精神医学は大学院科目の「特論」があっただけで、学部の学修にもこれを充てるよう勧めていた。学部科目を新設できれば基本事項はそこへ降ろし、次回に「特論」を改定する際 advanced な情報に焦点を絞ることができる。学部の基礎編と院の応用編、これでようやくあるべき形に落ちつき、そこまでやって自分も潮時かなと美しい展望。

 ともかく、新規科目15章のテキストを書き上げねばならず、その〆切が2月28日である。そのうち3章は信頼する人々に外注し、残り12章は自分で書くこととした。「特論」や「メンタルヘルス」のリライト素材がかなり含まれ、9月から着手して毎月2章のペースで進めれば、ちょうど間に合う勘定である。潔斎していざと居ずまいを正したとたん、母が急逝した。しばらく慌ただしく、またそれ以上に意欲を動員することの困難が続いて、当惑を他人事のように感じながら昨年中は一字も書かず。

 クリスマス過ぎからようやく始動し、1月2月は返上できる予定はすべて返上して、この日に至った。このうえ不慮の事態が重なるなどしなければ、必ず間に合うと踏んではいたが、終わってみて気づく小さからぬ緊張と閉塞感。親切な同僚らが快く雑務を肩代わりしてくれたことがありがたい。この種の状況にある人間をつぶすのは、赤子の手をひねる(!)ほどに易しい。

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 午後から診療に向かう道々、むやみに深い息を繰り返している。ため息吐息に深呼吸がひっきりなく、蓄積した疲労素を焼却するのに酸素がいくらあっても足りないといったところ。気が抜けたとはこのことで、気をとり直して日常順応を図る、気をつけないと平地で転ぶぞと言い聞かせ、そうそう「気」のつく言葉についてまとめたいのだった等々。

 今日の診療に精神医学的な難しさは何もなく、代わりに若い人々や壮年男女の生きる困難が次々に語られた。「親の期待」の重さを思う。「そんな昭和な」ということではない、多様なコミュニティが緩やかに重畳するのと違って、核家族内で一対一、多対一の熱い期待が若い人々を直撃し続ける。親も余裕がなく、具体的な期待図の想定内でしか、子どもの成長を喜べないのである。

 日本で生まれ育ち、ペルシア語を話せない青年のイランへの強制送還を無効とする訴えが、東京地裁で棄却された。「本人に責任のないこととはいえ、法の秩序が云々」とある。法とは何か?とりわけ日本の法とは何か?この国は国民を(いわんや非・国民を)守ることを至上命題としていない。司法も同じで、法制度を必要悪以上の何ものかと考えることが、この年齢に至ってひどく難しくなっている。せめてより少ない悪を我らに与えよ!

 疲れてろくなことはない。少し休んで頭を冷やし、それからまた考えることにしよう。

Ω