散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

雄甲雌甲の梅日和

2020-02-14 12:26:01 | 日記
2020年2月13日(木)~17日(月)
 家人を空港まで送って帰った午後、裏棚の枝に残った八朔やデコポンを10個、16個と採り入れる。雲一つなく晴れ渡り、気温は16℃まであがった。待ってましたと梅の開花。例によって中央のピントが甘い。弘法は筆を選ぶまいが、ヘタクソはスマホだとピント制御ができないのだ。ともかくほんのり紅のさす、これが当家の紅梅である。

 
 下が白梅。接写は断念して背景を入れてみた。コブのような小山が二つ、向かって左奥が雄甲山(おんごやま)239m、右前が雌甲(めんご)山189m、仲良しの夫婦山で、山頂には河野氏が山城を築いていたというが、恥ずかしいことに僕は登ったことがない。中世瀬戸内の雄・河野氏はまさしくこの地の発祥であるが、室町期に道後・湯築城を築いて松山平野に進出したから、その後は山城も意味を失ったはずである。


 「雄甲雌甲の梅日和」で七五のオチ、さて上の五文字をどうつけたものかと3、4日もヘボな思案をしていたら、N先生からこれは鮮やかな一枚が送られてきた。


 千葉県の一隅、とある幼稚園の近くに咲いたものだそうである。
 「地方の山をバックにした写真はほっとする感じがします。子供の頃、野山を駆け巡ったからでしょうか。『ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな』という啄木の歌を思い出しました。」
 先生のこのお言葉こそありがたい。もういいや。

風早の雄甲雌甲の梅日和

 風早(かざはや)はこの一帯の古名である。河野氏50余代は、ここ風早郡河野郷から湯築城へ展開し、再び戻ることがなかった。わが家の祖先はどこからか現れて、ちょうど入れ替わるようにここに住み着いたようである。

Ω