散日拾遺

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あの一件この一件、歴史上のその一件

2020-06-04 08:46:10 | 日記
2020年6月4日(木)
 ・・・今朝からは1998年の第23期名人戦挑戦手合い七番勝負、大三冠(二度目)の趙治勲名人に、リーグ戦8戦全勝の王立誠九段が挑んだ。名人の2勝1敗で迎えた第4局、「七大タイトル戦史上初の珍事が起こる」と記事の予告。そうか、あの一件か。
~ 5月31日(土)「さらに道草」
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 大まちがい、この一件はあの一件ではなかった。たいへん失礼いたしました。
 記録係に趙が尋ね、係がうっかり「はい」と言って趙がコウを取ってしまい、それで無勝負になった「あの一件」はこれより18年前のこと。舞台は同じ名人戦、趙(挑戦者、当時八段)が2勝1敗で迎えた第4局というところまで奇しくも同型である。

 以下「gonaの囲碁日記」から転載させていただく。
 http://www.gona.seesaa.net/article/412184223.html

 「第5期(1980年)の名人戦、大竹英雄名人対趙治勲八段戦で、趙挑戦者がコウの取り番を(記録係に)確かめたところ、取り番ではないのに記録係がうっかり「はい」と発してしまい、趙挑戦者がコウを抜いてしまう事件が起こりました。
 この碁は協議の末、無勝負となりました。」
 内藤由起子『囲碁の人ってどんなヒト?』

 「当時は記録係が一人だった。記録係は一手ごとの消費時間と打たれた時刻を記録し、両対局者の秒を読み、棋譜を最低限二枚書かなければならない。(中略)氏は記録係がこの碁で二度目だったという。」
 「この事件のあと、朝日観戦記者陣の一員でもあった私は、編集委員である田村竜騎兵に、記録係を二人にしたらどうですか、と提案したが、竜騎兵は「ウン、そういう意見もある」と言っただけで一向に取りあげる気配がなかった。しかし、名人になった趙治勲さんから、数か月後に「今後、記録係を二人にしてくれませんか」との申し出があった時は、棋院とかけあった末に、一も二もなく実現している。」
中山典之『昭和囲碁風雲録』

 「さらに、記録係は聞かれて答えたことがたとえ間違っていても、記録係に責任はなく、対局者の責任、ということになったそうです。」
 「(第23期名人戦で)趙治勲先生が「今どこ抜いたの?」と記録係に聞いてきたときには、私も肝が冷えました。(中略)趙先生は「今どこ抜いたの?」と聞いたあと、「あ、聞いちゃいけないんだ。棋譜見せて、前打った手を教えて」と言い直しました。高野くんが棋譜を指して、一件落着しました。」
内藤由起子(前掲書)
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 肝の据わった内藤記者が、肝を冷やした第23期名人戦の第4局、今度は「この一件」が起きるのだが、そのさなかに18年前の珍事を再現するようなニアミスが生じたというのが、まるで芝居の台本である。
 何から何まで芝居がかり、その主人公は趙治勲を置いて他に考えられない。芝居がかりより神がかりとはこの人のこと、学年も同じこの鬼才と一度お目にかかってみたいものだ。ついでに井目風鈴つけて教えてもらえたら、冥土の土産としてこれに卓るものはないんだが。

 「この一件」とは、三コウ無勝負だった。
 今朝の観戦記から:

 「こんがらがってきたぞ」と趙。王も「なんだこれ?」。言いながら次々とコウを抜く。Aの切りがあり、白は上辺のコウを謝れない。黒が両コウの一方をツグと白もツグ。上辺のコウ勝負はコウ材が足りず、黒負け。どちらも譲れない。
 王の「無勝負? 三コウでしょ」に趙が「ああ、いいですよ」。双方の合意がなされ、七代タイトル戦史上初の三コウ無勝負となった。
 公式戦の無勝負(三コウ、四コウ、五コウ、長生)は、記録のある1960年から対局当時までで13局、今年(2020年)4月まででも25局だけ。約8,800局に1局しか発生しないほどの珍事に、趙はなんと最多の3回遭遇している。
 「第8局を打つかも? そりゃめでたいことで」
 趙は声を上げて笑った。負け碁をしのいだ王は続く第5局を制して追いついたが、第6,7局を落とした。趙は史上初の第8局を待たずに防衛を決めた。」
内藤由起子記者

三劫 (https://www.nihonkiin.or.jp/match/kiyaku/kiyaku11-12.html)

***

 信長が本能寺で討たれる直前、盤上に三コウが表れたとする伝説がある。対局者の一人は日海すなわち後の本因坊算砂。三英傑はいずれも碁を好んだが、中で最も強かったと言われる信長も、この師には五子置いてなかなか勝てなかったという。
 この日の御前対局、想像の場面:

 攻合いのぐあいが、やたらとむずかしい。あっちにもこっちにもコウの形がある。コウをつなげば負けになるし、つながなければ際限がない。結局コウは三つできた。外ダメをつめ、三つのコウを取り合うと、ぐるぐるまわって碁が終わらない。
 「はて、異な形よな。日海、これはなんとしたことじゃ?」
 もう、うれしくて仕方がないという様子で、信長が声をかけた。戦国の世を荒々しく生きてきたこの大将は、平凡を嫌い、いつでも新奇と混乱を求める。
 「はっ、まことに面妖なる形にございます。たがいに三つのコウをとり続け、果てしがございませぬ。拙僧も初の経験にて、三コウとでも申しましょうか…」
 「では、勝負なしと申すか」
 「そうする以外にございませぬ」
 「ふーむ、それは残念じゃが、まあよかろう。おもしろい碁を見せてもろうて、なによりであった。信長、ひさしぶりにたんのうした。夜もふけたゆえ、心して帰るがよい」
 日海、利玄、揃って平伏し、拝領の品を受け取って帰路につく。ちらと目をとばしたが、さきほどの空席はそのままである。光秀はとうとう戻らなかったのだ。
 帰る道すがら、利玄はしきりと三コウの珍形を話題にしたが、日海は生返事をしながら、なぜ光秀が姿を消したままなのか、そればかりを考えていた。
 深更、子の刻。歩いて行く二人の背後で、とつぜん「ワーッ」という大喊声があがった。光秀の反乱であった。
田村竜騎兵『物語り 囲碁英傑伝』より

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