散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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トニー・カーチスも

2022-01-08 19:28:20 | 日記
2022年1月8日(土)

ママコチャ様より
> トニーカーチスも良かった。最後のシーン今でも憶えています。

まことにもって。イケメンってったら、誰をおいてもトニー・カーチスでしたが、この作品ではシドニー・ポワチエと見事なコンビネーションを見せてくれました。

トニー・カーティス(Tony Curtis, 1925年6月3日 - 2010年9月29日)
私が観たのは、
『空中ブランコ』(1956)
『ヴァイキング』(1958)
『お熱いのがお好き』(1959)
『ペチコート作戦』(1959)
『スパルタカス』(1960)
『グレートレース』(1965)
『クリスタル殺人事件』(1980)
などなどたくさんありますが…
うーん、断然 "The Defiant Ones" がいいですね。

この役は最初にロバート・ミッチャムに話が行ったところ、彼は「人種差別の激しいこの時代のアメリカ南部で、黒人と白人が一緒に護送されることなどあり得ないとして、ストーリーの欺瞞性を理由に出演を断った 」と Wiki にあります。これはこれで見識だと思いますが、結果的にトニー・カーチスがこの役を演じることになったのは幸いでした。

コメントありがとうございました。

Ω


土曜のクイズに言葉を教わる

2022-01-08 13:35:35 | 日記
2022年1月8日(土)

 毎度ながら知らない言葉はいくらでもある。前三者の解説はインターネット上のコトバンク(『精選版 日本国語大辞典』)からコピペ:

【五一三六(ぐいちさぶろく)】
① 賽の目が五一と三六とであること。いずれも値打のない数。
② 転じて、とりえのないこと。優劣のないこと。どんぐりのせいくらべ。
※江湖機関西洋鑑(1873)〈岡丈紀〉初「各国の大商売と肩をならべて、同一平均(グイチサブロク)に貿易(とりひき)をする事はむづかしい」

→ 用例が興味深い。明治6年当時のどんな出版物、どんな書き手であったのか。「岡丈紀」は「陸蒸気」をもじったものに違いない!

【天涯地角(てんがいちかく)】
 天のはてと地のすみの意から、双方の地がきわめて遠く離れていること。また、遠く離れた場所。
[使用例] 天涯地角到るところに花の香しきをかぎ人情の温かきに住む[国木田独歩*空知川の岸辺|1902] 

→ 用例からは、「(互いに)遠く離れた」というより、「世界の果てまであらゆるところに」の意に見えるが…?

【天手古舞(てんてこまい)】
〘名〙 (「天手古」は当て字) ← そうでしょうとも…
① 「てんてこ」は太鼓の音。太鼓の音に合わせて舞うこと。転じて、あることの準備や対処のため、きわめてあわただしく立ち回ること。
※雑俳・柳多留‐一五一(1838‐40)「てんてこ舞の門へ来る除夜の獅子」
② 喜んで小踊りすること。
※歌舞伎・桑名屋徳蔵入船物語(1770)口明「余り嬉しうて、〈略〉てんてこ舞ひをしてゐたわいなう」
③ うろたえてたち騒ぐこと。あわてること。
※歌舞伎・三千世界商往来(1772)三つ目「その三百枚で継目の手形さへ取って来れば、もう伯母がてんてこ舞ひしても叶はぬ事」

【十六大角豆(じゅうろくささげ)】
 これは「ささげ」を大角豆と書くことを知らなんだ当方が申し訳ない。

【多年生植物】
 多年「性」植物ではないのですよ。

以上、おわり!
Ω


 


訃報:シドニー・ポワチエ

2022-01-08 10:49:51 | 日記
2022年1月8日(土)

シドニー・ポワチエ(Sidney Poitier, KBE、1927年2月20日 - 2022年1月7日) 父と同年の生まれだったのか、何しろ残念。

サイトが共通して挙げる代表作は、
 『暴力教室』(1955)
 『野の百合』(1963)
 『夜の大捜査線』(1967)
 『招かれざる客』(1967)
などで、幸い全部見ている。『暴力教室』で高校生を演じた時は、実際には28歳だったのか。
 どれも佳作であるうえ、アメリカ社会を理解する上でそろって不可欠。とりわけ『野の百合』の登場人物らはすべてマイノリティ ~ 黒人、カトリック、(第二次大戦直後の)ドイツ人、ヒスパニック ~ で、その彼らが力を合わせて教会を建てるというモチーフの意味を踏まえずに観たら、何も観ないのと同じである。言語/字幕もちょっとしたピットフォールで、建設現場が混乱してシスターらがドイツ語で命令するのに、働き手はスペイン語で勝手に動いて全くかみ合わず、そこへ主人公が英語で介入する場面は実に傑作であり象徴的でもあるのだが、原語を聞こうとしない限り面白くもなければありがたくもないはずだ。
 『偉大な生涯の物語』(1965)のキュレネのシモンは端役だが彼しかいないところ、『いつか見た青い空』(1965)は真に感動的だった。

 けれども個人的なイチ押しは上記らではなく、
"The Defiant Ones" 邦題『手錠のままの脱獄』(1958)

 黒人と白人をたとえば日本人と韓国人なんどに置き換えて見直すなら、今でも/いつでもグッと腹に堪えてくる。


合掌