散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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水仙の御挨拶

2020-02-12 08:57:10 | 日記
2020年2月12日(水)
> 水仙は良い匂いがしますよね。
 はい、良い香りがします。わが家では、内側の筒状の花びらが山吹色、外側の花びらが白(6枚のうち3枚が花弁、残り3枚は萼(がく)なんだそうです)というものが大半ですが・・・
 

 裏庭に一箇所だけ、外花びらの黄色いものがありました。こちらの方が、香りが少し強いようです。(ピントが甘いですね、ごめんなさい。)



 きれいで香りが良くて、世話もしないのに年の初めに必ず姿を現して、庭の花としては文句ナシなんですが、敢えて難を言うなら「強すぎる」ということでしょうか。


 この通り毎年どんどん広がって、放っておくと庭中が水仙畑になりそうです。今年は花が終わったら少し整理するつもり。強さの秘訣は・・・


 球根ですね。花が終わった後、地上の葉っぱだけ刈り取っても球根は無傷です。一手間かけて、球根を掘り起こさないといけません。球根は冷暗所に保存すれば、長く移植に堪えるのではないでしょうか。
 2月の庭は一年で最も彩りが少なく、水仙の一人舞台かと思えばそうでもなくて、


 ツルニチニチソウの5弁の薄紫が、ちらほら見えていました。


 今朝の空はこんな感じ。ロールパン状の白雲が行列していましたが、その後は一面鈍色に垂れ込めてきました。昼前から雨の予報で、午後は外作業は難しそうです。小豆島はいかがでしょう?

Ω

寒桜、西の便り

2020-02-10 21:46:24 | 日記
2020年2月10日(月)
 小豆島の室崎若子さんから深夜にメールあり、御了解を得て転載:

 こんばんは、お久しぶりです。お変わりないですか?
 私は母と妹夫婦と城山へ行き、寒桜をみてきました。

 
 城山とは、高松城に隣接するお山のことか。ググってみれば高松城は「近世城郭の海城としては最初で最大の例で、『讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上』と謡われている」そうな。すべての濠に海水を引き込んで城内に直接軍船が出入りでき、水軍の力をそのまま城の防御に活用できる。瀬戸内あたりの縄張りとしてはきわめて有力と思われ、水戸・松平家から藩主を迎えたことからも戦略的重要性が窺われる。
 のみならず、
 「本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。その様子は、解体される以前に写真におさめられ、また1884年にイギリスの週刊新聞「ザ・グラフィック」でイギリス人のヘンリー・ギルマールの絵によって紹介されている。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/高松城_(讃岐国)
 とあるから、保存されていればさぞユニークで魅力的な景観であったに違いない。惜しいことに版籍奉還によって廃城となった後、老朽化の一途をたどって1884(明治17)年には天守が破却され、1945(昭和20)年の高松空襲で三の丸の桜御門が焼失。生きのびた遺構が重要文化財に指定されている。


 何しろ海城らしいなので、通常の「城山」と違って「お城」と「お山」の関係がイメージしにくいけれど、そんなこと桜の風情には関わりがないね。早い桜と言えば関東では河津桜が有名だが、ライバルは各地にあって咲き競っている。

Ω

空の青

2020-02-04 07:16:50 | 日記
2020年2月4日(火)

 

 空が青いので壁紙に使おうと撮ってみたが、何だか怖くなってやめた。海の碧さはなお深いだろうに、ふたつまとめて背景に並べ「白鳥はかなしからずや」と詠んでのける歌人の、何と恐ろしいことをするものか。
 鳥ならぬ身の染まずただよへるものかは

Ω


預言者の系譜

2020-02-02 16:52:56 | 日記
2020年2月2日(日)
 C.S.の礼拝では教案誌に沿って今日から預言者シリーズで、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルと続く。   
 預言と予言の違いと重なりから説き起こして、「召命」と呼ばれる乱暴なリクルートの形、現実に語られた警世の言葉などを中高生らに伝えながら、あらためて感じるのは「預言者」という存在の不思議である。
 権力に屈せず民衆に阿らず、神から直接託された言葉をひたすら発信し続ける、歩く放送局という役どころだが、どう考えても危険が大きすぎる。畳の上で(?)安らかに死ねた預言者がどれだけあったか、洗礼者ヨハネは投獄された後に首を切られ、イエスその人は十字架で惨死を遂げた。前者は権力者にたてついて圧殺され、後者は宗教上の権威主義とポピュリズム的激情の共通の敵と見なされ血祭りの好餌にあげられたのである。
 それでも(あるいはそれゆえに)預言者の存在はかけがえのないもので、「幻亡き民は滅ぶ」とするなら、「預言者を生まない社会は既に滅んでいる」と言えそうである。預言者の言葉に耳を貸さない社会は、いずれ滅亡と捕囚の憂き目を見るだろうが、預言者という存在をもたない社会はそのことにおいて既に死んでいる、そういった意味である。
 そうは言ったものの、いったい現代社会のどこに預言者がいるのかと自ら首を傾げ、手足のよく伸びた中高生(珍しく今朝は男子が3名混じっている!)の艶々した頬を眺めて思い当たった。
 グレタ・トゥーンベリ(2003-)が "How dare you" を連発しつつ世界のおとなに啖呵を切ったとき、聖書の民の多くはそこに預言者を見たのではないか。苛烈とも言える彼女のスピーチは、感動と賞賛ばかりでなく反発や憎悪も引き起こしたし、無視黙殺のポーズも広く見られたが、それこそ代々の預言者が例外なく経験したことだった。「地球温暖化など存在しない」と力に任せて言いつのるトランプ大王がまた、この構図を完成するために不可欠の存在である。やや遡って、マララ・ユスフザイ(1997-)も同じ系譜に属するだろう。彼女は実際、タリバンに銃撃されて九死に一生を得た。今日、預言者の役割はしばしば少女らに託される、そういう時代なのかもしれない。
 そこであらためて考える。日本の歴史の中で、預言者の役割を果たしてきたのはどのような人々か。彼らの後裔は今もなお生まれつつあるのか、あるとするならどこへ行けば会えるのか?

      

Ω