恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

現代版「カノッサの屈辱」

2007年03月04日 | 所感とか
歌手の森進一が自身の代表曲でもある「おふくろさん」に、
独自の台詞を付け加えたことに対して作詞を手がけた川内康範がこれを認めず、
森進一に対して「おふくろさん」を歌うことを禁じたと言うニュースが、
昨今のワイドショーを賑わせております。→(参考)
当初は楽観しているかのような森も、徐々にその深刻さを理解したのか、
ついには折れて謝罪をすると言うようなことになったわけですが、
なかなか怒りの静まらない川内は森の謝罪を全面拒否。
滞在先を訪れた森を門前払いにし、後日実家にやってきた時も同じく取り合わず。
このときは雪が降りしきる青森の実家を訪れたわけなのですが、
家にも上げてもらえずに呆然と立ち尽くす森進一の姿を見て、
歴史上の「カノッサの屈辱」をイメージしてしまいました。

こういう風に思った人って他にもいるんだろうなぁ、と思って、
ヤフーで「森進一 カノッサの屈辱」で検索したら、けっこうヒットするもんです。
ちなみに、カノッサの屈辱とは、
聖職叙任権をめぐってローマ教皇と対立していた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、
1077年1月25日から3日間、教皇による破門の解除を願って、
北イタリアのカノッサ城に赴いて許しを願った出来事です。
この際に皇帝のハインリヒは武器をすべて置き、
修道士の服装(粗末な服に素足)に身をつつんで城の前で教皇にゆるしを求め、
3日間、真冬の城外で赦しを請い続けるというもの。
(参考:wikipedia)

今回の一連のニュースがこの出来事と重なって見えて、
必死で破門を解いてもらおうとする皇帝ハインリヒが森進一、
かたくなに拒否する教皇グレゴリウスが川内康範に見えて仕方がありません。
敢えて狙ってやってるんじゃないかという気がするぐらい。
だったらこの場合、森進一は川内康範の家の前で3日間立ち続けるのが筋ですが、
さすがに今の世にそのようなことできませんからね。
パフォーマンスとしてもあまりにキツすぎるし。
ただ、カノッサの屈辱という歴史上の出来事では、
一度は教皇に苦汁をなめさせられた皇帝が後に力を盛り返して反撃していますから、
果たして今回の出来事がどのように収束するのか、それはそれで楽しみです。

世界史やってるとこういうことが面白くなるからいいなぁ、と思うのは私だけ?

恐懼謹言。
コメント
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