昼の飛行機で鹿児島へ。
到着後、夕方より通夜が営まれました。
しかしまぁ、身内のことをあーだこーだ言いたくはないのですが、
そういう通夜とか葬式の席で写真を撮るというのはどうなんだろうと思ったんです。
というのも、親類の男性が常にデジタルカメラを携帯しておりまして、
ことあるごとにシャッターを切るんです。
歳を取ってからパソコンとかデジタルカメラを使いこなすことを覚えたらしく、
それを使って写真を残すと言うことは悪いことではないのですが、
やはり時と場所とを弁える必要はあるんじゃないのかなぁと。
式が一通り終わって、そのあとで語らいあうような場面ならともかく、
坊さんが読経しているときや参列者が焼香しているとき、
ましてや翌日の納骨のシーンなんかをパシャパシャと撮るのはさすがに抵抗を覚えました。
確かに記念と言えば記念で、親類が一斉に集まるということはなかなかないし、
せっかくだから、という気持ちもわからんでもないのですが。
やはり人生のイニシエーションの特に重要な場のひとつであるそういう際には、
いかなる宗派であれ故人への哀悼の意を表して神妙にするのが普通で、
それをも気にせずにシャッターを切るというのはいかがなものかと思いました。
最近では棺の中に携帯電話のカメラを向けて撮影すると言う人もいるようですが、
もし私が棺の中の人であればそれは避けてほしいと思うはず。
人によって哀悼の捧げ方や故人への思いは違うとは思いますが、
最低限のマナーと言うのはあるんじゃないかなぁと思ったわけでした。
恐懼謹言。
到着後、夕方より通夜が営まれました。
しかしまぁ、身内のことをあーだこーだ言いたくはないのですが、
そういう通夜とか葬式の席で写真を撮るというのはどうなんだろうと思ったんです。
というのも、親類の男性が常にデジタルカメラを携帯しておりまして、
ことあるごとにシャッターを切るんです。
歳を取ってからパソコンとかデジタルカメラを使いこなすことを覚えたらしく、
それを使って写真を残すと言うことは悪いことではないのですが、
やはり時と場所とを弁える必要はあるんじゃないのかなぁと。
式が一通り終わって、そのあとで語らいあうような場面ならともかく、
坊さんが読経しているときや参列者が焼香しているとき、
ましてや翌日の納骨のシーンなんかをパシャパシャと撮るのはさすがに抵抗を覚えました。
確かに記念と言えば記念で、親類が一斉に集まるということはなかなかないし、
せっかくだから、という気持ちもわからんでもないのですが。
やはり人生のイニシエーションの特に重要な場のひとつであるそういう際には、
いかなる宗派であれ故人への哀悼の意を表して神妙にするのが普通で、
それをも気にせずにシャッターを切るというのはいかがなものかと思いました。
最近では棺の中に携帯電話のカメラを向けて撮影すると言う人もいるようですが、
もし私が棺の中の人であればそれは避けてほしいと思うはず。
人によって哀悼の捧げ方や故人への思いは違うとは思いますが、
最低限のマナーと言うのはあるんじゃないかなぁと思ったわけでした。
恐懼謹言。