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恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

理想を持つということ

2007年03月20日 | 所感とか
4月から担任になるということもあって、時間があると昨年の資料などを参考に、
流れなどを確認しているのですが、やはり一番気がかりなのはクラス運営。
生徒と教員の距離が比較的近いということもあるのか、
そのクラスの雰囲気がどうなるかというのは担任によってかなり左右される、
というのは、今年1年間いろんなクラスを見てきて切実に感じた部分でした。
授業をやっていてやりやすいなぁ、とかいいクラスだなぁというクラスは、
大概、担任の先生がよく生徒に働きかけをしているように思えました。

翻って、どうもクラスがギクシャクしていて、授業をやってもどうも白けてる、
なんていうクラスの場合はなにかしらの問題点が解決されぬまま放置されていたり、
生徒指導がうまく行き届いていない場合など、色々とあったように思えました。
もちろん自分がそのクラスの担任をしているわけではないので、
頭ごなしにそれらを批判したり評価することは慎むべきですが、
それでもそういった好悪の両例を見ていると、
それらをいかに研究して自分のクラス運営に活かしていこうか、
なんていう風に考え込んでしまったりしています。

ただ、機会あって次年度から担任をやるもう一人の先生と話しているときに、
ふと気付かされたのは「自分の理想は何なのか」とか「どんなクラスにしたいのか」
ということを忘れていないかということでした。
もちろん過去の先例を学んでそれを活かしていくということは大事なのですが、
それだけに囚われすぎてしまうと「こうならないようにしよう」なんて風に、
守りに入ってしまうことになるんだなぁと思い至りました。
特に失敗例を学び、いかにしてそれをしないようにするか、なんて場合は。
それよりも重要なのはやはりその教員一人一人が何を目指してクラス運営をするのか。
その一点に尽きるのではないかと思います。
過去の先例を学び、自分に活かすというのは主と従で言えば従。
どうも歴史という学問が自分とは気って切り離せないような部分があるので、
そういう考え方が専攻したのかもしれませんが、
本来、歴史とは過去を鏡にして今と未来に活かしていくことであり、
そのためには未来に向けてのビジョンがなければならないわけですからね。

あと2週間もしたら怒涛の生活が始まってしまうのかと思うと、
今から落ち着かないというのは私が小心者だからでしょうか。
先のことを考えるから不安になる。
とにかく、今、目の前にあることを一つ一つこなしていくことに集中したいものです。
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