昨年行ってみて面白かった埼玉県の川越、御朱印巡りの第2弾です。

川越市は江戸時代に「小江戸」と呼ばれ、近郷で取れたサツマイモなどの産品が集められ舟運で江戸まで運ぶ集積地となり栄えました。現在の埼玉県のエリアではトップの経済力を誇り、埼玉県で最初に市制を敷いた町です。しかしながら明治になると舟運から鉄道に主役が交代する中で浦和(1883年)、大宮(1885年)に対して本川越駅の開業は1895年と遅く、しかも都心へは一旦中央線の国分寺に出てからになるためにその後の発展が遅れ取り残されます。都心直結の東武東上線が開通するのが1914年で、30年遅れてしまった形です。このため古い蔵の町並みが残されました。
今回は「川越七福神」のお寺を中心に回ってみましょう。前回回った喜多院などは省略します。

それでは池袋から東上線で向かいましょう。急行以上の種別に乗れば川越駅まで先着します。
川越駅に到着。まずは徒歩で天然寺を目指します。「川越七福神」の二番(寿老人)になります。

市内には川越七福神を回るのに便利な道標が整備されています。

天然寺は川越市中心部のある河岸段丘の下にあります。

天然寺は1554年に栄海上人が創建した天台宗の寺院です。本尊は大日如来です。

本堂は1991年に完成したものです。

天然寺の御朱印です。
川越駅に戻りましょう。

この橋は「富士見橋」といい、1936年に完成した開腹コンクリートアーチ橋です。橋の下の道路を開削するにあたり設けられた橋のようです。

バスに乗って今度は菓子屋横丁方面に向かいましょう。菓子屋横丁の近くに見立寺があります。

この看板が目印です。「川越七福神」の六番番(布袋尊)になります。

見立寺は1558年に北条氏康の子感譽上人が蓮馨寺の門前に建立寺として創建、のち見立寺に改められています。1670年頃に現在地に移転、19世紀前半に2回の火災に遭い、1881年に現在の本堂が完成しています。

「通達無碍」という言葉があります。これは法華経の如来神力品第二十一に出てくる言葉だそうです。法華経を基本経典とする日蓮宗系のお寺でしたら当然出てくるでしょうが、浄土宗のお寺では珍しいですね。

「御朱印の方は先に庫裏へ」とありますので庫裏で御朱印をお願いすると線香をもらえます。本堂にお供えしお参りしましょう。

見立寺の御朱印です。
それでは続きます。

川越市は江戸時代に「小江戸」と呼ばれ、近郷で取れたサツマイモなどの産品が集められ舟運で江戸まで運ぶ集積地となり栄えました。現在の埼玉県のエリアではトップの経済力を誇り、埼玉県で最初に市制を敷いた町です。しかしながら明治になると舟運から鉄道に主役が交代する中で浦和(1883年)、大宮(1885年)に対して本川越駅の開業は1895年と遅く、しかも都心へは一旦中央線の国分寺に出てからになるためにその後の発展が遅れ取り残されます。都心直結の東武東上線が開通するのが1914年で、30年遅れてしまった形です。このため古い蔵の町並みが残されました。
今回は「川越七福神」のお寺を中心に回ってみましょう。前回回った喜多院などは省略します。

それでは池袋から東上線で向かいましょう。急行以上の種別に乗れば川越駅まで先着します。
川越駅に到着。まずは徒歩で天然寺を目指します。「川越七福神」の二番(寿老人)になります。

市内には川越七福神を回るのに便利な道標が整備されています。

天然寺は川越市中心部のある河岸段丘の下にあります。

天然寺は1554年に栄海上人が創建した天台宗の寺院です。本尊は大日如来です。

本堂は1991年に完成したものです。

天然寺の御朱印です。
川越駅に戻りましょう。

この橋は「富士見橋」といい、1936年に完成した開腹コンクリートアーチ橋です。橋の下の道路を開削するにあたり設けられた橋のようです。

バスに乗って今度は菓子屋横丁方面に向かいましょう。菓子屋横丁の近くに見立寺があります。

この看板が目印です。「川越七福神」の六番番(布袋尊)になります。

見立寺は1558年に北条氏康の子感譽上人が蓮馨寺の門前に建立寺として創建、のち見立寺に改められています。1670年頃に現在地に移転、19世紀前半に2回の火災に遭い、1881年に現在の本堂が完成しています。

「通達無碍」という言葉があります。これは法華経の如来神力品第二十一に出てくる言葉だそうです。法華経を基本経典とする日蓮宗系のお寺でしたら当然出てくるでしょうが、浄土宗のお寺では珍しいですね。

「御朱印の方は先に庫裏へ」とありますので庫裏で御朱印をお願いすると線香をもらえます。本堂にお供えしお参りしましょう。

見立寺の御朱印です。
それでは続きます。