JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

香川移動運用報告③

2024-05-06 | 移動運用結果報告

4/28(日)高松→女木島→高松→神戸
今日はオールJAの2日目です。女木島から50MHzに出てみます。備讃瀬戸の真ん中ですし、山頂から急傾斜で海に落ちてゆく地形なので海上伝搬が理想的に使えます。


朝一番の船は高松港8時発です。宿で朝食を食べて向かいましょう。

高松駅に荷物を預け雌雄島海運の事務所で乗船券を買います。GWは事務所の前に机を出して乗船券を売っています。

来年が瀬戸内国際芸術祭の開催年ということでGW期間中に男木島・女木島のアート作品を観覧できるプレイベントを開催するそうで、出航10分前でも外の座席含め全て埋まっており、立ち客も多いです。船内では「お帰りの船が定員オーバーで乗れない場合もあります」と注意を呼びかける放送が繰り返されていました。

「GWに芸術祭のプレイベントを開いて盛り上げよう」って趣旨、もう時代遅れじゃないです?ただでさえ客の多い時期に開催するのですから宿代はバカ高い・高速は混む・船は一杯・・・何もいいことはないと思います。GW開けかGW前かの混まない時期にやった方が混雑が平準化しますし、他の行楽客がいない環境でじっくり鑑賞した方がベターではないでしょうか。今の日本は余力がどんどん失われており、平準化で分散させるしか手がないはずです。雌雄島海運も予備船の「めおん2」を動かす人的余力がないのですし。

泊まっていた宿もとあるスポーツ大会の遠征組が泊まっていましたが、これとて割高な宿代を払い、高速の渋滞に巻き込まれるのですから辛い遠征になるはずです。


8時20分に女木港到着。バスの乗車券を買って乗り込みましょう。今日は続行便を出せるよう車庫から2台のバスを出してきています。7割方席が埋まって出発です。


洞窟前に到着。

展望台に上がりアンテナを設営です。日差しが強く暑くなりそうです。9時にスタート、まずは50.350から聞こえる局を片っ端から呼んでゆきます。

意外と聞こえる局が少ないです。それでもGWは伸びており、2エリアの移動局は確実にQSOできています。早いタイミングで東海3県を取れています。

さらに石川と福井も取れました。石川の局は5Wだそうでお互い5WでのQSOでした。ロケーションとアンテナさえきちんとしてやればできるんですよ。


11時を回るとGWはさっぱり伸びず、3エリアも聞こえづらくなります。Esが聞こえたという話なのですが聞こえずです。

帰りのバスは12時40分発に繰り上がっており、12時10分で終了としました。片付けてバス停に戻りましょう。帰りは続行便を出していました。女木島からは46局でした。


帰りの船も混雑するのは分かっているので早めに並んでおきました。


13時40分に高松港到着。高速バスの発車は14時15分です。締めのうどんは「めりけんや」に20人以上の行列ができていて無理なので断念。

高松駅の駅ビル「オルネ」が完成、かつて海側のスペースに入居していたスーパーのエースワンが戻ってきました。こちらで昼飯と酒を買って帰りのバスに乗りましょう。100円のハンバーガーも復活しておりこれなら2個買っても安い昼飯です。しかもエースワンで買ったら保冷用の氷がもらえますから冷たいお酒を楽しめますhi

オルネのお土産スペースを見ていたら・・・今治の「ラムリン」が目に留まりました。カステラをラム酒に浸したお菓子で、くろふね菓舗の看板商品でしたが2021年に廃業し消えてしまいました。しかし何とか復活を、と動いた方の努力で他の業者が引き継いで復活しました。まさか高松で扱っていたとは。私は2021年の3月にくろふね菓舗でラムリンを買っており、味を知っていたので目に留まれば買いますよね。


帰りのバスに乗り込みます。ガラガラでしたのでのんびりハンバーガーとラムリンを楽しみます。


前回までで松田聖子さんが1980~1985年にリリースしたオリジナルアルバムのご紹介が終わりました。今回はその落ち穂拾いを。

1980年前後に活躍していたアイドルは年4枚のシングルと年2枚のオリジナルアルバムを出すのが通例でした。多くの場合オリジナルアルバムには直近でリリースされた2枚のシングルからAB両面の曲を収録し(これで4曲)あと6曲を新録していました。当時のLPレコードはこの10曲が標準で、シングルは700円、アルバムは2,800円でした。

ところがアルバムのセールスは評価されず、専らシングルの成績だけが評価されるため、アルバムには6曲の新録があっても「捨て曲(穴埋め目的と思われるクオリティの低い曲)」が収録されることもあり、熱心なファンのためのコレクターズアイテムの性格が強いものでした。山口百恵さんでもシングルが30~40万枚のセールスだったのに対してアルバムは数万枚だったとされています。一方、聖子さんの場合シングルの売り上げもさることながらアルバムも30~40万枚の売上を誇っていました。アルバムの売り上げはシングル4枚分に相当しますから、百恵さんを遙かに超える売上だったと言えます。


その違いは何だったかと言えば「シングルのB面をアルバムに収録しない」ということでした。A面の2曲は営業上入れるとしても残り8曲が全てオリジナル、しかも「捨て曲」がなく完成度の高い内容であれば単価の高いアルバムをシングル並みに売ることができたのです。これはシングルよりもアルバムの売り上げを重視していたユーミンなどニューミュージックの歌手に近い制作手法ですし、現在のJ-Popでも例えばaiko姉さんもシングルは収録するがB面に相当するカップリング曲はアルバムに収録していません。


プロデューサーの若松さんの先進的な考え方が見て取れますし、「全盛期の聖子さんの正体はニューミュージックのボーカルだった」という説の裏付けになると思います。ということでB面だけを収録したベスト盤「Touch Me, Seiko」が後にリリースされるのですが、一方でA面(または両A面)の曲なのにオリジナルアルバムに収録されなかった不幸な曲がいくつかありますので聴いてゆきたいと思います。

 

・小麦色のマーメイド(1982年7月)
この年「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」とユーミン作曲の名曲が続き、この曲もユーミン作曲だったのですがなぜか影が薄い曲で、本来なら「Candy」に収録されてもおかしくないのですが未収録となっています。

「小麦色のマーメイド」は特にサビの部分が盛り上がりに欠けると若松さんが修正を依頼したもののユーミンが拒んで今の形に落ち着いたとされています。そういったいきさつも影響していたのでしょう。


・ガラスの林檎/SWEET MEMORIES(1983年8月)
両A面でありながら両方ともアルバムに収録されなかった唯一の例です。本来なら「Canary」に収録されるタイミングでしたが収録されませんでした。

「ガラスの林檎」は本気でレコード大賞を狙ったものの作詞の松本さんや作曲の細野さんが気負いすぎて空回りしてしまった曲ですし、その保険として入れ込んでいたのに「ガラスの林檎」を食ってしまった「SWEET MEMORIES」はどちらもオリジナルアルバムに入れ込むには難しかったかも知れませんね。「SWEET MEMORIES」はその後多くの歌手からカバーされており、最近では「YOASOBI」の幾田りらさんがカバーしています。幾田さんの公式サイトからも聴くことができますが近年では出色の出来映えです。

 

・夏服のイヴ(1984年5月)
「時間の国のアリス」と両A面だった「夏服のイヴ」も未収録です。同名の映画の主題歌として制作され、世界的トランペッターの日野皓正さんが作曲しています。本来であれば「Tinker Bell」に収録されるタイミングでしたが見送られたようです。

この「夏服のイヴ」は聖子さんの曲の中でもひときわ歌うのが難しい曲で、拍の取り方や和音進行などが極端です。ご本人も生放送の歌番組ではかなり苦しい歌になっていたこともありました。

 

明石海峡大橋から先で渋滞に巻き込まれ定刻の10分遅れになる17時15分に三宮到着。JRで帰宅しましょう。


今回は43局でした。ありがとうございました。来年は瀬戸内国際芸術祭の開催年ですからオールJAは女木島以外の場所で考えます。理想的なロケーションを捨てるのは惜しいのですが。

コメント
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