今回は京都の郊外・大原野を回ってみます。

三千院で有名な北の大原(左京区)ではなく、京都から言えば南西、向日市のさらに西にある丘陵地帯が大原野です。元は乙訓郡大原野村でしたが1959年に京都市右京区に編入、1976年に分区され西京区となっています。
向日市や長岡京市とともに農村地帯で昔から京への食糧供給元でした。その後洛西ニュータウンの開発により人口が増加しました。当初は地下鉄東西線を洛西まで延長する壮大な計画があったものの莫大な資金がかかることから断念、バスも道幅の狭い道路を走るなどインフラが貧弱でなかなか改善されません。近年JR桂川や阪急洛西口駅が開業し少しはましになったようですが、依然として渋滞に巻き込まれやすいようです。
また大原野や向日・長岡といった乙訓の里は京の裏鬼門(南西)にあたるため寺社が多いのも特徴で、西国霊場二十番札所の善峯寺をはじめ多くのお寺があります。今回はこの善峯寺とお隣の三鈷寺を回り、暑さが大丈夫なら十輪寺も回ってみたいと思います。
善峯寺へはJR向日町駅から阪急東向日経由の阪急バスがあります。土日は1時間おきの6往復。これを使うのが楽です。
灰方からは道幅の狭い山道に入ります。大型のバスだとギリギリなので灰方からは添乗員が乗車し対向車の確認をしながらゆっくり進みます。バスで行けるどん詰まりに駐車場兼バス停があります。道路に対し直角に停車するという珍しい形です。

車の後ろに立っているのが添乗員さんです。
善峯寺行きのバスは1つ手前の小塩止まりでしたが、参拝者からの要望が多く2003年より善峯寺まで延長されています。土休日は1日8往復で1時間ごとの運転です。ただし路面凍結や積雪で安全が確保できなくなる真冬は小塩止まりとしています。今日も5人のお客さんが善峯寺まで乗っていますので悪くはないですよね。
バス停から沢を橋で渡り坂を上ると山門が見えてきます。

善峯寺は天台宗の単立寺院です。11世紀に源算が開山、1034年に一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜っています。その後後鳥羽上皇から賜った寺額が「善峯寺」であったためこの名前に変更しています。江戸時代に徳川綱吉の母・桂昌院により伽藍が整備され現在の形になっています。

本尊は千手観音像で、たまたま今日が開帳の日でしたので拝むことができました。現在は毎月第二日曜と正月三が日に開帳していますが、2022年より開帳を取りやめるとのことです。以降は秘仏とし次回開帳は2028年(予定)とのことです。仁弘法師作とされる美しい仏様ですのでぜひ今のうちにお参りを。開帳の日は本堂に上がることができ間近でお顔を拝むことができます。

善峯寺の御朱印と御詠歌です。
お隣の三鈷寺に行ってみましょう。善峯寺からは寺の北門を通れば上り下りがなくスムースです。

善峯寺の北門には掲示があり、善峯寺の拝観券を持っていれば再度拝観料を払わなくても再入山できるそうです。

ものの2分で三鈷寺に到着。
三鈷寺は西山宗の本山です。こちらも11世紀に源算が開山、のち浄土宗の宗祖・法然の弟子である西山国師証空が入り浄土宗西山義の拠点となっています。
浄土宗は法然の死後に有力な弟子たちの間で教義の解釈に違いが生じ、大きく分けて5つの派閥に分裂します。このうち親鸞の一派は真宗(浄土真宗)として独立、残り4つのうち有力だった「鎮西派」と「西山派」が現在まで残っています。
一般に「浄土宗」と呼ばれる宗派は知恩院を総本山、増上寺や知恩寺(百万遍さん)などを大本山としています。こちらが「鎮西派」で、もう一つの流れが「西山派」です。西山派はこの三鈷寺に居を構えた証空から始まり、現在は大きく分けて3つの流派があります。例えばもみじで有名な永観堂はこのうちの西山禅林寺派の総本山です。
この浄土宗の歴史とそっくりなのが日蓮宗です。宗祖日蓮の死後6人の弟子たちの間で教義解釈の違いが起き、このうち日興が独立したのが日蓮正宗です。残る日朗など5人の弟子たちから様々に別れて日蓮宗のほか法華宗・日蓮本宗・本門法華宗などの宗派ができています。浄土宗で言う鎮西派にあたるのが日蓮宗で、西山派にあたるのが法華宗など諸宗派だと考えると似ていますよね。
三鈷寺は証空以来西山派の念仏道場として命脈をつなぎ、戦後に独立し「西山宗」を名乗っています。

本尊は仏眼明妃坐像画幅で、十一面観音像もあります。「天空の寺」とも呼ばれるほどの絶景です。標高は340mほど。気温はそれほど低くなく風があれば何とかしのげる程度です。
納経所で御朱印をお願いしました。お寺の奥さんでしょうか、まだ小さいお子さんがいる30代の方でした。

三鈷寺の御朱印と御詠歌です。
今回の御朱印情報です。
善峯寺 4種を本堂納経所で授与。
三鈷寺 7種を納経所で授与(うち4種は限定で書き置きのみ)。
あまりの暑さで十輪寺をはじめ他の寺社を回れませんでした。秋に再挑戦してみたいと思います。

三千院で有名な北の大原(左京区)ではなく、京都から言えば南西、向日市のさらに西にある丘陵地帯が大原野です。元は乙訓郡大原野村でしたが1959年に京都市右京区に編入、1976年に分区され西京区となっています。
向日市や長岡京市とともに農村地帯で昔から京への食糧供給元でした。その後洛西ニュータウンの開発により人口が増加しました。当初は地下鉄東西線を洛西まで延長する壮大な計画があったものの莫大な資金がかかることから断念、バスも道幅の狭い道路を走るなどインフラが貧弱でなかなか改善されません。近年JR桂川や阪急洛西口駅が開業し少しはましになったようですが、依然として渋滞に巻き込まれやすいようです。
また大原野や向日・長岡といった乙訓の里は京の裏鬼門(南西)にあたるため寺社が多いのも特徴で、西国霊場二十番札所の善峯寺をはじめ多くのお寺があります。今回はこの善峯寺とお隣の三鈷寺を回り、暑さが大丈夫なら十輪寺も回ってみたいと思います。
善峯寺へはJR向日町駅から阪急東向日経由の阪急バスがあります。土日は1時間おきの6往復。これを使うのが楽です。
灰方からは道幅の狭い山道に入ります。大型のバスだとギリギリなので灰方からは添乗員が乗車し対向車の確認をしながらゆっくり進みます。バスで行けるどん詰まりに駐車場兼バス停があります。道路に対し直角に停車するという珍しい形です。

車の後ろに立っているのが添乗員さんです。
善峯寺行きのバスは1つ手前の小塩止まりでしたが、参拝者からの要望が多く2003年より善峯寺まで延長されています。土休日は1日8往復で1時間ごとの運転です。ただし路面凍結や積雪で安全が確保できなくなる真冬は小塩止まりとしています。今日も5人のお客さんが善峯寺まで乗っていますので悪くはないですよね。
バス停から沢を橋で渡り坂を上ると山門が見えてきます。

善峯寺は天台宗の単立寺院です。11世紀に源算が開山、1034年に一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜っています。その後後鳥羽上皇から賜った寺額が「善峯寺」であったためこの名前に変更しています。江戸時代に徳川綱吉の母・桂昌院により伽藍が整備され現在の形になっています。

本尊は千手観音像で、たまたま今日が開帳の日でしたので拝むことができました。現在は毎月第二日曜と正月三が日に開帳していますが、2022年より開帳を取りやめるとのことです。以降は秘仏とし次回開帳は2028年(予定)とのことです。仁弘法師作とされる美しい仏様ですのでぜひ今のうちにお参りを。開帳の日は本堂に上がることができ間近でお顔を拝むことができます。

善峯寺の御朱印と御詠歌です。
お隣の三鈷寺に行ってみましょう。善峯寺からは寺の北門を通れば上り下りがなくスムースです。

善峯寺の北門には掲示があり、善峯寺の拝観券を持っていれば再度拝観料を払わなくても再入山できるそうです。

ものの2分で三鈷寺に到着。
三鈷寺は西山宗の本山です。こちらも11世紀に源算が開山、のち浄土宗の宗祖・法然の弟子である西山国師証空が入り浄土宗西山義の拠点となっています。
浄土宗は法然の死後に有力な弟子たちの間で教義の解釈に違いが生じ、大きく分けて5つの派閥に分裂します。このうち親鸞の一派は真宗(浄土真宗)として独立、残り4つのうち有力だった「鎮西派」と「西山派」が現在まで残っています。
一般に「浄土宗」と呼ばれる宗派は知恩院を総本山、増上寺や知恩寺(百万遍さん)などを大本山としています。こちらが「鎮西派」で、もう一つの流れが「西山派」です。西山派はこの三鈷寺に居を構えた証空から始まり、現在は大きく分けて3つの流派があります。例えばもみじで有名な永観堂はこのうちの西山禅林寺派の総本山です。
この浄土宗の歴史とそっくりなのが日蓮宗です。宗祖日蓮の死後6人の弟子たちの間で教義解釈の違いが起き、このうち日興が独立したのが日蓮正宗です。残る日朗など5人の弟子たちから様々に別れて日蓮宗のほか法華宗・日蓮本宗・本門法華宗などの宗派ができています。浄土宗で言う鎮西派にあたるのが日蓮宗で、西山派にあたるのが法華宗など諸宗派だと考えると似ていますよね。
三鈷寺は証空以来西山派の念仏道場として命脈をつなぎ、戦後に独立し「西山宗」を名乗っています。

本尊は仏眼明妃坐像画幅で、十一面観音像もあります。「天空の寺」とも呼ばれるほどの絶景です。標高は340mほど。気温はそれほど低くなく風があれば何とかしのげる程度です。
納経所で御朱印をお願いしました。お寺の奥さんでしょうか、まだ小さいお子さんがいる30代の方でした。

三鈷寺の御朱印と御詠歌です。
今回の御朱印情報です。
善峯寺 4種を本堂納経所で授与。
三鈷寺 7種を納経所で授与(うち4種は限定で書き置きのみ)。
あまりの暑さで十輪寺をはじめ他の寺社を回れませんでした。秋に再挑戦してみたいと思います。