Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 番外編8

2024-11-11 09:08:26 | 日記
 妹は姉の言葉に弾かれた様に窓辺から姿を消した。その頃には向かい家の二階の窓にも、妹の許嫁がその姿を現していた。部屋に置いてあったのだろう、彼の学生帽など被っていた。

 部屋に残された姉の目には涙が溢れてきた。希望という物は持ってみる物だと彼女は思う。自分の許嫁も直ぐに戻って来そうな気がしてくる。ジーンと心が熱くなった。

 暫くして、彼女は窓辺の小箪笥からハンカチを取り出そうと小さな引き出しを開けた。涙で曇った目でハンカチを探してみる。『おやっ?。』、彼女はそこに、自分の物では無い色柄のハンカチを認めた。これは?、確か妹のものじゃ無いかしら。時折、妹が自分の部屋の文箱から取り出しては眺めていた物だ。何故自分の小箪笥に?、『何時の間にこんな物が紛れ込んだだのかしら?。』彼女は不思議に思った。
 
 つーと、涙が頬を伝わる感触で我に返った。彼女は妹のハンカチを自分の傍の小箪笥の上にそっと置くと、引き出し中から適当なハンカチを選び、それを取り出して目頭と頬を拭った。それから自分の両目に静々とハンカチを押し当てて、深々と感慨に浸った。

 「お涙頂戴じゃねえかよ。」

こちとらまで泣けてくるぜ。外の道では史が片袖で目を拭いながら言った。子供にもこの状況が分かるとみえる。が、同じ子供でも智は違っていた。先程からの遊び仲間の史と、この姉妹の遣り取り、彼等三人の会話の中で通り交わされた言葉の数々、それ等の意味、内容が、この子供にはサッパリ理解出来無かったのだ。智は史に対する劣等感と、彼等からの疎外感で、心中言いようの無い圧迫感を感じていた。自分では如何仕様も無い人生経験や知識の乏しさ、そこから来る不可抗力に、智はこの場にドンと押し潰される寸前だった。

 姉妹の妹は、今や向かい家の二階に到達した様だ。ドタドタと足音の響く音、窓の奥からは男女二人の歓喜の声が響き渡って来る。

 「まるで芝居じゃないか。ロマンスの場面がそのまんまだな。」

大きな家の二階を見上げて、史はそう言うと、笑顔で振り返って遊び仲間の智を見た。が、もう一方の子供は酷く顔を曇らせて顰めっ面をして立ち竦んでいた。史にはこの目出度い場にそぐわない智の顔付きと様子が意外だった。そこで、目をパチクリとさせて連れの子の智の様子を覗った。

 ははぁん、史は思った。

 「姉さん、智に何かしただろう。」

窓辺の姉はあらぬ疑いを史に掛けられて、一瞬キョトンとした。もうハンカチを目から離していた彼女だが、外の子供の一方が、自分に何を言ってくるのかと彼女は不思議そうな顔をした。『何の事やら?。』彼女は戸惑った。

 「手に何か持ってるんじゃないのか?。」

史は言う。「それを智ちゃんに投げただろう。」確信した様な口振りだ。さっきの姉妹の様子から、そういった事が起こったと容易に推察出来る事を、史は道から姉娘に捲し立てた。分かっているんだからな、と、姉娘を指差した。

 「わぁーん!」

史の傍で身動き出来ずに佇んでいた子供が、急に顔を紅潮させて大声で泣き出した。わーん、ーわぁーん。一頻り大声を張り上げ、後にはえっ、えっと嗚咽混じりの泣き声を発している。「皆んなで、皆んなで、自分を虐めるー。」漸くの事にそれだけ口にすると、子供は再び泣きじゃくるのだ。これには世慣れた子供を自負する史にもお手上げ状態となった。史は訳が分からず智を眺め続けた。それでも流石に目の前の子供が奇妙に見え始めると、一旦この泣いている子供から逃れようと決断し、史は智を見詰めた儘で一歩、二歩と後退りした。数歩引いた史はそこで向きを変えると一散に駆け出し、智からそれ相応の距離を置いた場所で立ち止まった。史はまた振り返って智の様子を覗った。

うの華 番外編7

2024-11-01 10:06:32 | 日記
 「もうその辺にしたら如何です。」

子供相手に少々大人気ないでしょう。若そうな男の人の声だった。姉妹達は怪訝に思った。声のした家は長く空き家で、誰も住んでいなかったのだ。一瞬通りはシンとした。が、余計な口を挟むなと、姉も参入。更に姉妹は鼻息も荒くなり、向かいの窓の奥にいるらしい人物に代わる代わるに苦言を呈した。引っ越して来たらしい新参者に、あなたにこの近所の子等の事は分からないと突っぱねた。

 「そうでしょうか、私だからこそ分かります。」

彼は姉妹に応じた。この近所の子だけで無く、貴方達姉妹の事も、私はよく存じておりますよと男性はにべも無い。姉妹は妙に感じたが、悪ガキを庇護する態度のこの男性の様子が気に食わない。顔も見せずに何様だと詰ると、彼女等の矛先は、向かいの家の二階の窓の奥、姿を見せない男性に向かった。すると、一階の開き窓が大きく開いて、姉妹の兄が姿を見せた。

 「二人共いい加減に止めませんか。声を聞いて彼が誰か分からないの?。」

兄は妹達に言葉を掛けた。彼の声には愉快そうなニュアンスが含まれていた。「この家もそうだし、この家から声を出す男の人といえば、…。」と、彼はクイズの様な言葉を妹達に投げ掛けた。「二階にいる男性は誰でしょう?。」。

 姉はハッとした。住む人もなく長らく空き家になってはいたけれど、大きなお屋敷ともいえる趣を兼ね備えた家だ。そこにはかつての職業軍人、その家柄を代々引き継いで来たという、この土地でも有数の士族一家が住んでいた家だった。それも今は昔、跡取りが戦死し、男系の家系が悉く絶えると、残された一家は離散して移り住み、今は売りに出されて久しくなっていた。

『もしや、…そうかも。」

姉は思い出した。町内の余興で金色夜叉のお芝居をした時に、この家の跡取り息子と貫一お宮で共演した時の事を。『あの声、そうだ、澄ました青年風に気取ってやると、あの人は笑ってそう言って演じていた。』そうだ、あの声だ。姉は懐かしそうに遠くを見つめ、そして直ぐに嬉しそうに目を輝かせた。『あの人は、帰ってきたんだ。』。

 出征してから無事の帰還を待ち焦がれて、遂に彼が戦死したと通知が来たと聞いて悲嘆に暮れ、彼の家族が去り、ひっそりとした目の前の家を虚に眺め、もう今はと諦め掛けて、巷で戦死の通知が来ても、生還してくる人が何人か有ったと聞くに及ぶと、自分の彼ももしかしたらと希望を持ち、それでも現在になると戦後十五年以上が経つからと、彼のことはキッパリ諦め、自分の未来に希望を繋ごうと思い立った矢先の事だ。

 「彼は帰ってきたんだ。あの声は彼の声だよ。」

お向かえのお兄ちゃん。と、姉は妹の服の裾を引いた。確かにあの声だ、確かに彼だよ。姉の心には感無量の喜びが湧き上がった。「早く、早く向かいの家に…。」姉は妹を急き立てた。「お前の許嫁は帰ってきたんだよ。」