Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

2025-01-28 16:06:14 | 日記
 また雪ですね。春のような陽気に油断していました。未だ冬です。今年は2月2日が節分とか、名のみの春でも無い時期です。近年は毎年豆撒きをしてきましたが、昨年部屋の掃除をする度に、何処かしらから豆が出てくるので、今年は如何しようかと考えてしまいます。豆の数を数えたり、一部屋に撒く数量を決めて撒いていたのですが、一昨年が喪中に当たり、昨年春迄喪明けをしない年でしたから、うっかりしたのかもしれません。それでも、掃除をする度にころっと、一粒二粒と転がって来るので、こんなに撒いたかしらと不思議でした。そう言えば、母は豆が好きでした。豆を供えて欲しいというアピールなのかもしれません。

 母の実家は、所謂在所の万屋のような商家でした。豆も扱っていて、木箱に黒豆や金時豆が入って売られていた物です。そのせいでしょう、黒豆も金時豆も大好きでした。よく豆の入ったパンを食べていた物です。高齢になってからは豆ご飯が好きで、グリンピースで豆ご飯を作り、父と共に美味しい美味しいといって食していました。私は未だ豆とご飯の組み合わせが好きな年齢ではなかったので、そんな二人を見て傍で別の献立を作り遠慮していました。

 さて、最近は豆撒きと言っても色んな豆が売られているので、落花生を撒いた時もあります。そう言えば父も一時ピーナツが好きで、落花生の殻を割っては中の豆を食べていました。落花生もピーナツも同じ事、豆好きは母も父も同じ事ですね。私も今の年齢になると、金時豆を煮て赤飯に入れたりしています。郷土食ですからね、ここ何年かで覚えました。未だ好みの出来に仕上がらないので、未だ未だ修行中の身です。

ざらめ雪

2025-01-22 07:58:47 | 日記
 粗目糖の様な雪の事をこう呼ぶのですが、前回の記事で書いた荒い氷の粒子に砕かれた地表の雪の事です。春の日差しで日中溶けた雪が、夜間に再び凍って砕かれ、これを繰り返す内に氷の粒子が荒くなって、ザラザラした氷になった物とか。そうするとこの雪の見られる時期はもう春なのでしょうか。

 私にはその記憶は未だ雪深い冬の事の様に思えます。現在の様に道に融雪装置が作られ、それが作動するようになってからは全く見なくなったのも道理です。それは子供の頃の記憶でしかないのです。夜、湯屋からの帰り道、踏み締める雪がジャクジャクと音を立て始める。踏み締める足元が緩くなりズブズブとのめり込んで行く、そういった感覚で私はざらめ雪の到来を知るのでした。が、それは春の到来だったのでしょう。甘い物好きの私は、この粗目という言葉に文字通り甘い糖を連想して、この雪が好きな物でした。その色からもトウキビの糖、褐色の粗目糖を連想し、黒糖の甘いお菓子を思うのでした。子供時代の私には甘いお菓子は甘味な魅力、憧れの食品でした。甘食、黒棒、白餡入りバナナ等、懐かしい古い菓子です。

 この雪は近所の子も大好きで、ざらめ雪が降ったよ、等、喜びはしゃいで口にすると、勇んで私を呼びに来る夜もありました。そんな夜、私達子供達は常より寒さが増しているのだと思っていました。が、既に気候は春だったのですね。道の側に解けずに山と積まれたの根雪の塊に、未だ未だ冬真っ盛りの時候だと勘違いをしていました。外套も付けずに外に飛び出して、盛んにざらめ雪を足で踏み締め蹴飛ばしその立てる音に喜んだり、両手で雪を掬ったり、個々に独立した粒の鈍い煌めきや粗い結晶の様な形を鑑賞した物です。ああ、これが本当に甘い物ならと思いやると、その色が汚れた雪の塊である事を惜しく思ったりするのです。雪の粒を舐めると言う者もいましたが、余り丈夫では無かった私は、自身のお腹の事を考えるとそれは出来無い相談という物でした。

 そんな時期をほんの少し過ぎた年代に入っていた私は、この名のみの候の夜を思い浮かべて、それ迄聞くともなく聞いていた祖父の話に頷くと、そうだねと同調しました。確かに、降る雪を冷たいと思わず、暖かいとまでは行かなくても、白い吐息の中、寒過ぎ無いと感じる夜も有る。そんな夜を思い浮かべると私は、祖父はあんな気候の夜間商売に向かう雪道を歩いていたのか、と、ふと先程のような光景、祖父の背に振り落ちる牡丹雪が連想され、その苦労が思いやられたのでした。それは家族の為に…。

 「お祖父ちゃんは家族の大黒柱だから、家族の為に苦労したんだね…。」

私はそんな事を思わず口にしました。と、祖父ははっとした様子で明るく微笑しました。私が祖父の笑顔を眺めると、彼の目に明るい光が宿っていました。いや、客が待っていてね、…自分の為だよ。…金儲けの為だ。細々と、私の祖父はそんな事を口にしました。

雪景色

2025-01-20 09:27:05 | 日記
 祖父は私の所まで戻って来ました。不本意そうな顔付き、その曇った表情に、私は近付いて来る彼の身を案じていました。今までの祖父は鶴の一声、父との口論の終わりには決まって彼がピシリと何か言い、ヒヤッとした顔で私の父は首を竦め、其れっ切りで退散する、それが彼等親子の日頃の常でした。でも、今日はそうでは無かったのです。最近私はこの逆転劇に薄々気付いていました。今日はそれを確信した日でもありまいした。
 
 祖父は私と目が合うと決まり悪そうでしたが、やはりまだ矍鑠としていました。そうして、誤解していたようだからすまなかったね、と、神妙な態度で私に接してくれたのでした。私はそうか、何か誤解があったのだと理解しました。その後祖父が私の推理事について再び尋ねて来るので、私は今度は誤解の無いようにと、言葉を選んで考えながら彼に説明しました。

 「ほらみろ、…。」

遠く我が家の墓前から、私の父がこちらに向かって何か言っていました。自分も私も昭和の生まれだ、ましてや私は戦後の生まれだ、そんな事知っている訳無いだろう。そんな事を祖父に怒鳴っているようでした。父が何を言いたいのか私には不明でした。私の目の前にいた祖父は、悪かったねと、私の手を取ると、さあもう帰ろうと私の両親の待つ所へ戻り出し、そして直ぐに私の手を離して先に進み始めました。子供と言っても女子の手は持て無い、祖父はそんな言葉を漏らしていました。ふふっと私は微笑みました。物心ついた頃、祖父は私と銭湯へ行く事さえ拒んでいたのです。私は祖父の古風である事を知っていました。過去に家で珍しく祖父と話に興じた日には、祖母から祖父を取る気なのかと叱咤され、彼女の嫉妬心に気付いた物でした。祖父母と孫の関係で、幼くても私にはやはりジェネレーションギャップでした。

 いやいや、祖父は行きかけた歩を止めて私に向き直ると、私の笑いが気になるようでした。もう一度話そうと私を元の場所まで連れ戻すと、自分と連れ合いの何がそんなに気になるのかと尋ねました。私は誤解の無いように、家系を大事にする祖母と、家や土地を大事にする祖父との、二人の食い違い違いが分からない、それが不思議なのだと説明しました。理路整然と話したつもりでしたが、祖父は妙に押し黙り、不機嫌な様子で、機微の無いと言うのでした。

 キビ?、黍か?、穀物の?、私はつい最近学校で習ったこの穀物の事を思い浮かべました。私達の会話に何故この穀物が登場するのか私には不明でした。私の知るキビはこの穀物以外無かったので、さも得意げにキビなら知っていると、学校でこの前習ったものと、桃太郎の黍団子の事さえ例に挙げて、絵本での話でなら、小さい頃から知っているというと、祖父はあからさまに気が抜けた気配でした。

 何が不味かったのだろう私は思いました。学業の話、真面目に学校で習って来ていると言う態度を見せたのに、それの何処が祖父の気に沿わないのだろう?、私には不可解な祖父の心情なのでした。祖父はじいっと私を眺めていましたが、私がそんな彼に愛想笑いをすると、ふっと微笑んで、お前は何処の井戸端会議に顔を出しているのだと、そんな物言いや、大人の茶化し方を何処で覚えたものかのうと、一種興に乗り、感慨深げな態度に変わりました。私は勿論、そんな会議の事を知らず、テレビで見る会社や国の会議、そんな会議を思い浮かべたのでした。

 幾度か言葉を交わし、私にはそんな社員の様な会議もないし、国の議員に成れる訳でも無いのだから、会議には参加しない、出来ないだろうと言うと、祖父は一体何を考えているのかと、今度は私の方が腹立たしくなり、語気も強くなってしまいました。祖父は漸く私が至って真面目に受け答えしているのだと察した様でした。茶化されても構われてもいないのだと、彼は漸く了解した様でした。そして如何して私にこんな孫がと、ガックリと項垂れてしまいました。

 祖父はもう行こうと、我が家の墓所目指して歩み始める様子を見せたのですが、私の方は自分の知りたい謎について聞こうと、祖父に食い下がって行きました。何故二人は違う事を言ったのか?、と彼に問い掛けました。私が祖父と面と向かって話す機会はそう無かったので、この機会を逃したく無かったのです。祖父はもうお前とこの手の話はしたく無いと言い出し、全く、場の無い等言うのでした。

 「未だ分からないのか。」

祖父は内心の怒りを抑えている風でしたが、口早に、あれから聞いていないのか、家と土地は、そう言うと、彼は口ごもり、家と土地はあれの持ち物なんだ、と言うのでした。当時、私には祖父のこの言葉が理解出来ませんでした。当然、土地と家は家長である祖父の持ち物と思っていたせいでした。後年私は祖父母の遺言書等、書類を父から見せられたり、私の両親の相続手続きに置いて祖父母の戸籍を見るに至り、我が家の転居の時期や、その他諸々の事に合点したのでした。私の、我が家の謎は解けたのでした。

 私は祖父がもう帰ろうと私の両親に呼びかける声を聞きながら、祖父の後を追って家の墓所へ向かいました。前を行く祖父の後ろ姿、その白髪混じり頭、背に、ふっと雪が舞い降りていました。え、この時節に、私は見間違いかと目を擦りましたが、目を開けても白いふんわりとした牡丹雪が、風に吹かれ祖父の周りに降り落ちているので、その現実離れした光景に半信半疑で驚愕した物でした。

 祖父は私の徒ならぬ気配を感じたようで、私にそっと視線を送りましたが、雪がと呟く私の言葉が聞こえた様子で、彼の周囲の雪に気付きました。彼はパッパと掌でそれらの大ぶりの白い物を叩き落とすと、灰だよ、近所の畑で野焼きでもしているんだ。そう言うと、立ち竦む私には構わず行ってしまいました。私は又、その牡丹雪の様な大振りの灰に興味をそそられ、墓所の壁の向こう、田畑の続く田園に思いを馳せるのでした。

雪の降る光景は暗く荒涼として寒々

深淵の空から無数に降り出されて来る

細かい紙の切片ひらひらと

見上げれば無限の高みより頭上に振り落とされて来る

凍てつく冬の日夜空を見上げて

この白く降り続く濃い群青の深淵の向こうに

繋がっている大気の向こうに

私と未だ出会っていない

私と繋がりのある人の

そんな存在を希望しながら

振り落ちる牡丹雪に物思う

心の中にひらひら舞い落ちる雪は温もって

心に降り積もって行く雪は暖かい

 私は雪国の生まれでね、雪はそう嫌いじゃ無いんだ。此処も故郷だが、私の生まれたのはもっと雪深い土地でね。いつの間にか傍に立つ祖父はそんな事を語り始めていました。空に舞う数片の灰を目で追う私は上の空で彼の話を聞き流していました。両親の行商先で自分は生まれたのだ。自分も商売で歩く時に何度も深い雪に降られたが、寒いのは一時、雪が暖かく感じられる時もあるんだよ。私が寒がりなのを知っていて、祖父は私が雪を厭うと慰めてくれた様です。真冬に、深夜に近い頃、ジャクジャクと凍る氷砂糖を砕いた様な雪の粒の敷き詰められた道路、そこに降り落ちる牡丹雪、そんな底冷えする冬の夜は、降り落ちる雪さえ美しく清らかで、雪掻きする私は手袋を外し、そっと指先や掌で落ちて来る雪を受け止めるのでした。こんな神妙な夜の雪は、私にも、冷たいはずの雪が温かく好ましく感じられるのでした。



ジェネレーションギャップ

2025-01-11 10:40:50 | 日記
 帰ろう…、祖父が言うので、私はハッとしました。私は祖父の背を見ながら彼に着いて歩き始めました。そうして歩きながら、先程までの彼の物思いであろう祖母の事について考えていました。

 「もう帰ろう。夕刻だ。」

じきに暗くなってしまう、夜の墓地は嫌だろう。誰に言うとも無く祖父は言うと、歩を止め私に向き直り、そっと微笑みました。私は祖父の顔を探るように見上げていました。また家の事で何かを言われるのではないか、そんな事が胸を過りました。祖父はそんな私に構わず皆の所へ戻り掛けて、又歩を止めました。そして、お前今何を考えていたのだ、と、私に再び問い掛けて来ました。私が正直に話したものか如何かと案じていると、祖父はそれを察してか帰りを急ぐからもう余計な話はしないと言うのでした。

 私はホッとして祖父に歩み寄りました。祖父は私より先に歩き掛け、それでも又私に振り返ると、それで一体、お前はさっきから此処で何を熱心に考えていたんだい、と質問を繰り返して来ました。ふふふ、と、何やら面白そうな祖父の笑顔でした。お前は面白いところがある子だからな。祖父にそう言われると、私も何やら愉快な気分になりました。そこで私は自身の内緒話を話す様にほくそ笑むと、祖父母の謎について考えていた事を打ち明けました。何だそんな事かと、祖父にとって意外な事に私が熱中していた物だと、彼はあからさまに興醒めした顔になりました。そんな事、下らない、祖父は芯からそう言うと、失望した顔付きで俯き、暫く言葉を選んでいたようでした。

 子供というのは、いや、お前という者は、下らないというか、碌でもない事を考える物だ。そう言うと、明らかに不機嫌な様子を見せました。私は祖父が何故怒るのか理解出来ませんでした。物事深く考える、その行為は良い事ではないのかと、彼が怒る理由に合点がいかないのでした。

 「女というのはこれだから、子供でさえこうだ。」そんな事を言って、祖父は妙に不機嫌になるのでした。私とあれの違いなど、一目瞭然だ。そんな見てくれ如何でも良いでは無いか。そんな事を言い捨てると、祖父はプリプリ、押さえていた怒りが遂に顕になって来ました。その勢いに私は叱られると思わず首を縮こめました。すると祖父は、まぁお前を叱ったりしないと、私の前から身を翻すと、スタスタと足速に私の両親が墓参している場所迄行き、彼は二人に何やら話す素振りとなりました。私がその様子を覗ってみると、物言う祖父に父はそう動じた様子も無く、幼少期から彼等の口論を何度と無く見て来た私には、彼等父子の勢力の均衡が崩れ、祖父の家長としての威光が衰退しつつある事を感じたのでした。

走馬灯の時

2025-01-09 10:27:42 | 日記
 私は祖母の話した事を思い出してみました。今しがた考えていた所ですから、それは容易に私の脳裏に浮かびました。

 「誰かに頼まれたとか、⋯約束したとか、させられたとか。」

そんな事を祖母が言っていたと、私は彼女の言葉の端端を思い出す儘に祖父に語ったのでした。「代を継いで欲しい…、出来るだけ続けて欲しい、」「そう、祖母にそう言った人がいるとか…。」ここ迄話してきて、私は改めて祖母の言った言葉に思い当たるのでした。それは第三者の影でした。私の知らない影の人物がいるのです。祖父母以前に、又は親戚に、家の跡取りや家名の存続を心配していた人物がいたのです。そんな誰かの影。私はそれを察知したのでした。

 すると祖父は、あの人がそんな事を、と口にすると、遠く物思う風情で感慨深い顔付きになりました。又、そんな事をと、私の父方の従姉妹の愛称を呟き、「…はそんな事を言われたのか。」と呆然とした様子になりました。私はこの愛称に従姉妹の顔を思い浮かべたのですが、思えばその愛称は祖母の方だったのでしょう。名前の頭文字が祖母と従姉妹は同一ですから。私はかつて祖母が愛称で呼ばれるのを聞いた事が無かったのです。それは私の記憶には無いのでした。しかし、今から思うと、祖母の名前の最初の文字ですから、この時祖父が言っのは祖母の愛称の方でしょう。話の流れから言ってもそれが自然で確実です。

 祖母に家の子孫の継続を心配して託した人物、祖父があの人と言う人物、当時は漠然と親戚だろうと考えていた私ですが、今はそれが祖父の父か母、祖母にすれば舅姑だろうと推察出来ます。祖父方の曽祖父は早くに亡くなったと聞きますから、それは私の曾祖母でしょう、祖父の母でしょう。祖母にとって姑である彼女の言葉は、嫁の立場の祖母にとって大層重たかった事でしょう。

 その後の私の祖父は茫然自失となり、過去を振り返っていた様子でした。物思う風情が深くなり、彼の目は虚ろとなるとその場をうろうろゆるゆると周り、徘徊する彼の脳裏には昔の出来事が走馬灯のように浮かんでは消え、明滅していた事でしょう。祖父を見守る私にもそんな彼の状態がぼんやりと理解出来ました。

 「そんな事を、あの人が。」祖父はこの言葉を何度か繰り返すと、やがて歩を止めその場に佇んでいました。彼の傍らにいた私には、彼の頭の中の記憶に及ぶ知見も歴史も無い身なのでした。只、迫り来る当時の現実、その日の日差しが私達の影に茜を差して来る時刻である事、又祖父の時も夕暮れを帯びて来ている事を私は感じ始めていました。