「何時までもあると思うな親と金」
父は折に触れてよくこんな言葉を私に言ったものです。小学校、中学校、時には高校と、これが最後くらいの頃でしょうか。
父が祖父母に言われた言葉なのだろうと、私は聞くたびにそう思ったものです。父は転職を何回かしていました。会社勤めの前は家の家業を手伝っていましたから、定時収入を得るようになったのは会社に出てからでした。
元々丈夫な方ではなく、休日になると半日布団の中、活動は午後からという風でしたから、休日に何処かへ行くといっても、ドライブ程度、ちょっと喫茶店などにより休憩、お茶や軽食で帰宅が常でした。それさえもたまにの事でした。
質素を旨とし、一汁一菜なども口癖のような言葉でした。
私が大学入試にかかる頃は、お金が無いから県外に行くなら短大に、しかも公立でなければお金は無いと言われたものです。
幸い、短大でも授業料の安い公立に合格でき、安上がりについたと父はご満悦であったようです。
入学して通い始めてすぐの事、父は私に奨学金を受けるように薦めました。使わないで貯めて置けばその分利息だけ儲かる、という業突く張り(けち臭い事)を言ったものです。
若い私は閉口しましたが、出すだけ出せという父の言葉に逆らうまではしませんでした。
卒業して直ぐに、私は奨学金を一括変換しました。後ろめたい気がしましたし、借金を早くに返してしまいたかったからです。
私の貯金から出しましたが、父も自分の通帳から送金するという風に二重払いになった経緯があります。
私の子になると、実際に母子家庭ということで、奨学金は欠かせないものとなりました。今回は父も高齢という事で、何時まで孫の学資が続くか分からない、私も体調を崩し働けないと、危機迫る感じがありました。刻一刻の時の流れの中、不安でもあり、孫の卒業と同時期の父の死は、私にはまさに感無量の思いがありました。
考えてみると、私の修学から父は常に、自分は何時まで持つかという思いがあったのかもしれません。奨学金を貯めて利息を云々の欲張り面の裏に、子への就学の責任感があったのかもしれないと、今は思ったりします。
親の心子知らず、子の心親知らずとよく言いますが、そうかもしれません。