寺からの帰り道、何時ものお姉さんと顔の合った智だ。
「あんた、お寺で何かあったのかい?。」
お姉さんは尋ねた。お姉さんは彼女の家の窓辺に顔を出していた。この窓辺の前を先程史が通って行ったのだ。彼女はその時、史のせいで智が悪影響を受けた、悪い言葉を教えたね、と、窓から罵った。すると史の方も負けてはいなかった。自分は教えて無いさ。智にしても本当の事を言っただけだろう、と、一向に怯まなかった。そうして、あいつは間が悪い奴だから、寺で何か嫌な事に出会して、あんたそのとばっちりを受けたんだろうさ。と悪態をついた。続けて史は、事は昨日の事だったんだろう。丁度寺が取り込んでた時だよ、姉さんはその時、ムシャクシャでもしてた智に出会って、きっと八つ当たりされたんだよ。それだけさ。とにべも無く、彼女は子供にやり込められた。
「ふん、俺だって忙しいんだ。あいつの面倒ばかりみてられないよ。」
そうあんたの妹の方にも言っといてくれ。史はそれだけあっさり言うと、又足に力を入れて疾風の如く彼女の家の前を駆け去って行った。窓辺には唖然として去って行く子供の後ろ姿を目で追うだけの、彼女の姿がポツンと取り残された。
「八つ当たりか…。」
彼女は呟いた。それはそうとして、大人を馬鹿にして、あの子、子供のくせに許せない。彼女は頬を朱に染めて憤慨した。寺の方向を見ると、先刻物陰から見送った子供の方は未だ寺から帰て来てい無い様子だ。そう推量した彼女は、『待っておいで、八つ当たりのお返しはするからね。』と、ほくそ笑んだ。友の仇は友で、史の仇は智で、なんて、丁度いい名じゃないか。如何してやろうか、と彼女は思案投げ首となった。
家の中を覗くと、丁度裁縫中の尺が布の上に置かれていた。妹の物だが、これをちょっと拝借しよう。彼女は取り敢えずそれを手に取ると、寺から戻る智の事を待ち受けた。するとそう長く待つ事も無く、寺の方からぽつぽつ歩いて来る智の姿が見えた。まず何と言って言葉を掛けようか、この窓の下に上手く誘き寄せないと…。彼女は考えあぐねていた。
「ああ、お姉さん…。」
しょぼくれた智の姿に、言葉を掛けかねていたのは彼女だった。昨日の事が気になっていた智の方は、彼女の家が近付くに連れ、昨日彼女に言い放った言葉が気に掛かって来た。窓辺に彼女の姿を認めてからは、謝ろうかどうしようかと煩悶しながらここまで歩いて来ていた。そこで二人の内最初の言葉を口にしたのは子供の智の方だった。智にしても何と言って良いか分からないので、これはごく自然に出た言葉だった。お姉さんの方は子供が涙で潤んだ目で彼女を見上げて来るし、見ると頬には涙の跡さえ残っている。何と対応して良いのやらと、暫し無言の体でいた。
「今日は。昨日はごめんなさい。」
子供の方は漸くそれだけ口にした。他に言葉が浮かんで来無い。智はそれじゃあと言う様にこの窓辺から立ち去り掛けた。
「一寸お待ち。」
彼女の方は漸く言葉を発したと言う感じで、子供を呼び止めた。「御免で済めば何とかは要らないと言うでしょう。」と、この子がきっと知りもしないだろうと思う言葉を口にしてみた。「それ何の事?。」、案の定、子供は彼女の言葉に興味を示して、彼女の言葉に乗って来た。言葉巧みに子供を窓下に誘い込んで、彼女は今しも手にした物差しを子の頭に振るおうとした。その時、
「それ、私の尺じゃ無いですか?」
彼女の妹の声が掛かった。振り返ると、部屋の入り口には何時の間に戻って来たのか彼女の妹の姿が有った。「当然、するなら自分の物で。さっき子供の方は謝罪していた様だけど、姉さんはそれでもそうしますか。」等々、妹に嗜められた結果になった彼女は、手から尺を離すと、妹から顔を背けた。そうして、バツが悪そうな顔をすると、再び窓辺から子供を見下ろした。妹の方はそのまま彼女の部屋に入り、正座すると遣り掛けていた裁縫の続きをする気配だ。彼女はとんだ邪魔が入ったと気が削がれてしまった。
窓辺にまで来てしまった子供に、世の中には謝っても済まない事があるのだと、渋々説明する彼女だったが、昨日の言葉なら、やはり意地悪の方だったと妹の声。史という子にも確認したし、智の身近な子や大人にも確認したが、その子はそんな言葉の意味を知らない様だ。そう妹は姉に進言した。
「気にする事ないわよ。気にすると返って変よ。」
妹はそう言うと、何にしても単なる子供の戯言でしょう、一笑に付してしまいなさいよ、お姉様。と、如何にも落ち着き払い鷹揚な態度だった。子供の方は、訳も分からずにその場に佇んでいたが、姉妹の遣り取りにやはりもう一度謝った方が良いと感じていた。再び謝りの言葉を口にしようとした時、姉の方が先に寺で何か有ったのかと子供に尋ねた。彼女は子の涙の訳を知りたかったのだ。史の先程の言葉も気になっていた。子供は寺で何か有ったのだろうか?。