後輩達と一緒にいる見知らない新しい年少の子供達の手前、大抵の先輩達は恥ずかしさからでしょう、見知った子の傍によるとぽそぽそと小声になります。それは、知らない子供達、自分がかつて指導していなかった子供達にまで責任は無いと考えたり、わざわざこの場で知らない子供達にまで恥をかくことは無いと思ったりするからでしょう。過去に堂々と間違いを口にしてしまった先輩にとって、多分これが人生最初の懺悔の時、自分の言葉を訂正し謝罪するという、非常に恥ずかしい瞬間であることはまず間違いないでしょう。
学校で習ったんだというような言葉が続きます。そこにはかつての、後輩が全幅の信頼を置いて仰ぎ見ていた親分の勇ましい姿はありません。妙に自信を無くした小さくてちっぽけな雰囲気に包まれた子供がいるだけです。憧れの存在であるガキ大将がごく普通の子供にしか見えなくなった瞬間です。この出来事はかつての年少者達にも可なりなショックを与えます。先輩や物事など、今迄吸収して来た知識、不変の真理と思っていた知識が覆るのです。物事は万全では無く、間違いや訂正がある物だという事を知ります。先輩後輩について、人間関係等にも様々に物思う人生の節目となります。
「今の内に勉強しろよ、」
そんな事を言う先輩もいて、「学校へ行ってから困るから」とか、「自分のようにならないように」など、かつての指導者は指導者然として後進者の行く末を案じて来てくれたりするのでした。だからこそ、後進者の方でも間違いを教えられたと一時は怒りながらも、わざわざ自分自身が恥ずかしい思いをすると知りながらでも彼等が来てくれた事、真実を伝える大切さや将来の自分の為、皆の為にかつての遊び仲間を案じて来てくれた先輩に、少しでも物の分かる子は痛く感激するのでした。これは社会的に一般の児童が通う園とは関係の無い、幼い遊び仲間と就学に着いた子達のお別れの式典のようなものかもしれません。しんみりと涙する先輩後輩を発見する事も出来る出来事です。
そして、皆幼いだけに、この日の事は日頃の喧騒に追われてあっさり忘れてしまう出来事でもあります。だからこそ、毎年のように先輩後輩は同じようなやり取りを繰り返す事がままあるのでした。
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