今回、こういった先祖の話についても、思い立って少し調べてみました。家の先祖が大伴家持関係の出身かどうかという様な事です。本当にそんな可能性が有るのだろうか?心の隅ではそんな事を思いながら、私は今迄、実際に調べた事が有りませんでした。
さて、結論から言うと、これは現状では、私の方では全く紐付けられませんでした。それどころか、どうも荒唐無稽な話のようです。当時の父の話では、学校で社会の先生をしていた伯父が、何やら何処かで調べて来たという話でした。その結果、如何やらそうらしいと、その伯父から聞かされたという話でした。それで私の方でも、あの伯父さんが言っていた事ならと、心の隅でちらりと信頼できる話のようにも感じました。
私は事の真偽を調べずにこの年まで来たのですが、当時の父の話を思い出してみると、家の家紋から溯ったというような話でした。それで、私は家紋について調べてみました。現代風にインターネット検索したのです。すると、この話が可なりの眉唾物である、というよりも、全然当てにならない話なのだ、と判明したのです。予想はしていても、これには可なり驚きました。父の話では、話の出処が可なり信頼できる人であっただけに、全く根拠が無い話だと分かると、一体全体どうなっているのだろうかと唖然としたものです。
私自身が元々信じていなかったとはいえ、そうらしいという父の曖昧な言葉は後に嬉しい物となっていました。所謂、ほんの少しの家に対する希望の光でした。昔、私が家について揶揄した時の父の不満げな様子に、父の為にそうであればよいなと、子供心に心の片隅で願い、ちょっぴりは信じていたので、本当にがっかりしました。
しかし、私の住む故郷のこの地は、可なりな地方で、この事実が現実であり、当たり前なのだと思うと、やはり苦笑してしまいます。極々平凡で、屋号を姓にしていたくらいの家の元祖なのだから、武士というよりも町人の出なのではないか、と考えたりしました。商売をしていたのなら商家かなと、名前から役所の番人かなと考えたり。町人でも、元祖はそれなりに利便性のある人だったのだろうか、等々、あれこれと考察してみたりしたのでした。実際、下級でも、武家の婿養子になったのかもしれません。その時の役に因んだ名前を、屋号で誇らしく苗字に据えたのかもしれないと私は考えた次第です。(勿論根拠は全然ありません。)
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