この辺で止めてもよいティー・タイムです。ああ勘違い、みたいな事を長々と書いても全く仕様が無いのですが、私が小学生の頃からあった父から聞いたこの話、この年になるまでそうなのかなぁと時折思い出していました。父と同じ様に、私も自分の子供に「そうかもしれないんですって。」と言ったものです。なんら確証無しに話をしているのですから、私も相当よい加減なものです。
今回こうやって、何ら確証が無い話という事実がハッキリ私の方に分かり、知った当初はやはり衝撃を受けたのですが、その後、落ち着いて考えてみると、私の家系は普通の家であるとしみじみと安堵したものです。実は先祖に大きな人がいるという事は、相当なプレッシャーになり、私にすると何となく面映ゆく感じ、妙に世間に対して肩身の狭い思いをして来た物でした。その重荷が一気に無くなったのです。私にとって、今迄半ば無意識に感じていた世間との隔たりが一気に無くなり、人との距離が無くなると、世の中が自分の身近に感じられ、私はその中に溶け込んだ心持がしました。
そして、次には私の祖先としての祖父を思い出しました。すると私はほのぼのと幸福な気持ちになりました。祖父は可なり頑張って今のこの家に来たのだと感じ入ったからです。私は明るい気持ちになり、続いて嬉しくなったのです。何故なら、祖父は商売人としての才覚を現し、かなりな努力をして、家族の生活の為に頑張ったのだという事実に思い至ったからでした。自分の祖先としての祖父に、そういう家族思いの人が確かな人物として自分の家系にいてとても良かった、と、ほのぼのとしてしみじみとした誇らしい感情が湧いてきました。
祖父については、その両親の時代から戸籍が有ります。父の没後、相続の関係で父の戸籍を取り寄せた時、父の両親、私からは祖父母、そのまた祖父の両親の戸籍も父の戸籍に付いて来ました。それで知ったのですが、祖父には姉が2人、妹が2人、そして弟が1人と、何と6人も兄弟がいたのでした。祖父の戸籍に兄弟が入っていた時には、祖父の姉にはそれぞれに子供もいました。相当な大所帯であったことが分かります。しかも、祖父の父、曽祖父は早くして亡くなったという事です。その為、祖父はかなり苦労したという話を私も聞いていました。祖父は本当に苦労して頑張ったんだなぁと、父の戸籍を見ていても、その時の私には祖父の頑張りが目に見えるようでした。
事実に気付いた時に思い至った祖父、そんな祖父にほのぼのとした家族愛を感じ胸が熱くなった私です。この家は当時としてはこの土地の一等地、長者町といってよい場所に立っているのです。『お祖父ちゃん、大所帯を抱えて商売に励んで、頑張ってこの場所まで来たのだなぁ。』と私は微笑むと嬉しく感服していました。
その様な訳で、事実は私には結構ショックを与えました。が、祖父の頑張りを思い出した時、自分の祖先、直近に近い人物に、普通に商売人として頑張っていた人物がいる家系なのだと、嬉しく誇らしく思えたのです。これは私の記憶に確かにある人物であり、不確実な歴史の有名人ではありません。
私の人生は、今までが不鮮明な足元のおぼつかない夢の様な世界にいた感じでした。暗い中遠くにかすかに輝くような光が差しているような感じで人生を過ごしてきたのです。しかし、ハッキリとした事実が分かると、私は私の周囲を確りと現実の物として捉える事が出来る様になりました。真実味を帯びた世界が私の身の周りに広がったような感じです。私の肩に有るのは重い荷物では無く、ありのままの世界がベールの様に私の周囲に降り下りた気がします。そして当たり前に私の周囲を取り巻いている。私はその世界に違和感なく落ち着いているのです。地に足が着き、私の身近に燈明が点り、ほんのりとその蝋燭の灯りの温もりが肌に感じられる。そんな気がした私の過去帳の整理でした。
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