Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華4 24

2022-02-09 10:50:07 | 日記

 無言の背を向ける母に、今は固まって動かない小さな山の連なりの様なその母の両肩を目にしながら、彼は意を決して口を開いた。

「そんな癖の悪い電話、ほっとけばいいんだ。」

それでも、清の母は極めて静かに、自分の子を拒絶する様に彼に背を見せた儘だった。

 「何かあったの?。」

如何かしたのかい、と、清は自分の母に尋ねた。彼の母は依然変わらず彼に彼女の背中を見せて立っていた。が、その手は微かに動いた様だ。それから彼女の肩が小刻みに揺れ始めた。この時になって漸く、彼女のその背が彼を拒絶する壁の様に清の目に凛とした広がりを以て映り始めた。『何を怒ってるんだろう?。』彼は思った。

 母さんは何を怒ったのかな?。自分は彼女の機嫌を損ねるようなどんな事をしたかしらと、彼は今し方の自分の言動を振り返り始めた。機嫌を直そうとこうやって笑顔を作っているのに。『これ以上はご機嫌の直しに付き合いきれないな。』彼はむくれて内心で膨れっ面をした。母の動きが止まった。彼は来るなと機敏に感じ取った。

 彼の記憶に新しい母の平手が浮かんだ。その時はパン、パンと両頬に2回来た。往復ビンタだ。『痛かったな…』あれは痛かった。あんな経験初めてだと彼は思った。思わず知らず清の足が動き、彼は母の背から後退した。ふとそのことに気づいた彼は、この辺りまで来れば大丈夫だなと、部屋の隅に近い場所で独り言を零した。その言葉が聞こえたのか如何なのか、彼の母はゆっくりと振り返って清の顔を見詰めた。彼は思わず膨らみ掛けていた自分の頬を引くと、先ほど浮かべた笑みと同じ笑みを浮かべて彼女の顔に向けた。そんな彼に母は、湖水がけぶる様な静かな表情を顔に据えて見返して来た。そんな彼女の落ち着いて見える顔付きに、怒ってはいない様だ、と清は感じた。

 「私は能面が好きじゃなくてね。」

息子の顔を遠く見詰めながら、その場で佇み、清の母は静かに幼い彼に語り始めた。

「特に媼や翁」

そのお面の、顔、顔付きが嫌いなんだ。「欺瞞   」、…自然じゃ無い、無理に作った様なその、欺瞞の笑顔というやつさ。そいつが好きじゃ無くてね。いや、嫌いなんだ、昔からね。父と兄の傍らで、見たよ、よくね、私はね。その顔の後にその顔の開いた口から世辞追従が出てくるんだよ。 清の母の開いた口から吐息が洩れた。自分の子の顔にそいつを見るとは…。彼女は嘆息して項垂れた。


うの華4 23

2022-02-05 11:22:47 | 日記

 「母さん、智ちゃんとこが来たみたいだよ。」

一心不乱に電話と格闘する彼女は息子の声掛けに気付かない様子だ。彼はもう少し洒落た言い方をしようと言葉を変えた。お母さんと声を大きくして母を呼んだ。が、母の方はそれでも彼の呼び掛けに気付かなかった。

 はぁっと清は嘆息して、部屋の隅に身を寄せている彼の母の背に近付いた。小刻みに揺れている彼女の肘に手を伸ばすと、チョンチョンとその袖を引いた。母さん、母さんと数回声も掛けてみた。漸く息子の呼び掛けに気付いた母は、ハッとして自分の子の声に耳を傾け始めた。

 「何だい?。」、息子に問い掛けながら、やはり手元の黒い捻れが気になってしまう彼女だった。『もう少しなのだ。』、後一捻り。彼女は完璧に元通りの、整った綺麗な螺旋形の形にコードを戻したかった。『もう一寸なのに。』『五月蝿い子だ。』、何時も邪魔しに来るんだから…。彼女は内心彼女の息子に苦情を言った。

『何で人の仕事の邪魔をしに来るんだか、私の邪魔をする為に生まれて来た様な子だよ、お前は。』

ああ、ええ、生返事をしながら、彼女は息子の再三の呼び掛けにも容易に電話のコードを手離さなかった。

 遂に清が何をしているのだと彼の母に声を掛けた。捻れた紐を直しているんだよ。彼女は少々声を苛つかせながら彼に答えた。なぁんだ。息子は呆れた様に言った。

「新しいの貰えばいいじゃないか。」

こう言いながら、清はその母の声音から自分が彼の母の不興を買っているらしい事を察した。そこで彼は自身に向けられて受けたという、彼の記憶に未だ新しい近々の様相、猛々しい母の叱責の形相と凄んだ声、その時の一部始終を眼に彷彿とさせた。これを脳裏に浮かべた彼は母の背後から静かに足を引き始めた。彼は母から少し離れた場所へと移動し始めたのだ。音を立てない様にして、さり気無く、さり気無く…。彼は後退した。そうして母とある程度距離を置いた彼は、ニコッと愛想の良い笑顔を作ると、そのスマイルを母へと向けた。

 『母のご機嫌を取らなければ、何とかこの場を丸く収めなければ。』清は思った。この前みたいに無防備でいてはいけないのだ。相手の様子を見ながら対処して行かないと。向かい合う相手からとんでも無い不興を買う事になるのだ。こう清は学んでいたのだった。彼は愛想の良い物腰で目の前の自分の相手、目下対抗している相手の様子を窺った。彼は幼い思いで彼女から酷く叱られたという事を恨んでいた。もはや母は自分と敵対する相手だ、そうだ自分の敵なのだ。彼は気の置ける相手として見做した自らの母の、その出方を窺った。