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junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

福島桜旅 2日目つづき ④花見山 ⑤稚児舞台の桜

2024-04-13 12:51:20 | 国内旅

 2024.4.8(月) 福島桜旅 2日目つづき 

 

 今回の旅の4つ目 

 ④花見山公園(13:10~14:20

 

雲が重く垂れこめてきましたが雨が落ちてこないようにと祈りつつ・・。

 

バスを降りる前から遠くにたくさんの桜が見えました。

バスパーク(地図下の方)から歩き始め、花見山の入り口(入場料の必要になるところ、地図中ほどの黒〇)まで歩いて10分かかるそうです。

   

 

景色を眺めながら、写真を撮りながらしていると10分では着かないような・・・。

レンギョウの濃い黄色と遠くのサクラのピンクが目立ちました。

雨が降ってこないだけいいけど、もうちょっと明るさと空の青さがほしい~~~

私たちがこれから行こうとしている上に黒い雲。

途中にあったピンクと白の大きなハナモモの木。

山の中腹に見える黄色はレンギョウでなく菜の花のよう。

 

手前は一面ボケの畑。

 

何十年前か覚えていないほど昔、一度ここに来たことがあるのですが、その時はこれほどすごいとは思わなかったのです。今回来てみてビックリ。木々も成長してそれはそれは豪華な花見山になっていました。

昔、来たことがあると言っても、遠くから眺めただけなのとその時の花の咲き具合にもよりますね

 

 

わ~っ、すごい、すごいと思いながら歩いています。

どれだけの人たちの努力、協力でこれだけのものができあがったことでしょう。

 

遠くの方に見える大きなモクレンが目立ちました。最高の見ごろ。(もう少しで入り口というところです

 

入り口近くにあったコブシ。(ほんのりピンクがかっています

 

バスを降りてからここまで10分と聞いていましたが、もっともっとかかったような気がします。

 

途中で帰った人たちもいましたが、3人だけは、ここから30分コースを回ることにしました。

30分コースは①~②~③~⑦~①の順に歩きます。 ①~②まで少々の上り。

 

赤い鳥居の先には何が祀られていたのか確認せず通り過ぎました。

 

これは紅花ユキヤナギ。(開いた花はほんのりピンクですが、つぼみが赤くてかわいいそう

 

侘助というツバキ?

ここにも モクレン

 

がんばる一輪、けなげ、えらい、かわいい。

 

まだ ② の手前ですが、大分高さを感じます。近くの花と遠くの景色が見えるのがうれしい。

がんばって来てよかったです。

 

②をすぎたところで、時間が気になり、戻ろうか‥という人も。時計をみたらなんとか大丈夫そう。

戻ると、上ってくる人と鉢合わせになるのでかえって難しいことに

そのまま進み、予定通りの30分コースを終了しました。

結果的には、あそこで戻らずによかったね、でした。

行きにも見かけたお堂、帰りがけにも見かけたので写真は撮りましたが、何のお堂でしたか・・。

左手奥 ↑ には郵便局の方がいらっしゃいました。あそこは郵便局の出張所のようなものだったかも。

 

帰り道は心もち下りですから、来る時よりずっと早く戻れます。

 

途中で見かけたこの花にはアーモンドと名札がついていました。(実はアーモンドザクラだったそう

 

曲がり角の花壇のビオラがボール状でとてもかわいい。

 

側溝のふたにかわいい鳥・・、近くの民家の方にお聞きすると、福島の鳥「キビタキ」とのことでした。

 

時計を見ながら歩きましたが、集合時間にも間に合いました。

 

三春でも ざ・ん・ね・ん、日中線でも ざ・ん・ね・ん でしたが、全くといっていいほど期待していなかった花見山で感激するほどの花に出会え、今回の旅はここで ”はなまる” となりました。

 

このあと、ここから1時間ほどのところにある5つ目の観光に立ち寄ります。

 

⑤ 稚児舞台の桜(15:05~10分間

川は阿武隈川。平安時代の後期、前九年の役で戦勝後通りかかった源義家が、岩の上で舞っている稚児を近くで観ようとし川に落ち、馬は死んだが義家は助かった、そんな伝説の地だそう。

近くの公園のサクラ。

 

 ちょっと立ち寄った・・だけでした。(今にも雨が落ちてきそうな暗さ) 

 

 ここから1時間40分ほど走っていわき駅に向かいます。

 

雨が落ちてきました。通りのサクラも見栄えはイマイチ。

 

いわき駅到着 (16:50ころ

大きな駅でしたね、来た時にはすぐにバスに乗ってしまうので駅舎を眺める余裕もありませんでした。

 

いわき駅発17:21ひたち24号 ー 勝田着18:20(乗り換え)18:47発 - 柏駅着19:45

 

私はここで皆さんとお別れ。東武野田線で船橋に出、JRに乗り換え津田沼へ。

21:15ころ自宅に戻りました。

 


福島桜旅 2日目 ③日中線シダレザクラ

2024-04-11 17:54:47 | 国内旅

 2024.4.8(月)

 

 福島桜旅 2日目 

 

朝起きて窓をあけて見えたのはこの景色。(松林の向こうは檜原湖なのですがよく見えませんね

 

 ホテル出発は8:40

山に雪が見えたのがうれしかったですね。

 

右手には檜原湖が見えましたが、バス席が反対側で、写真がとれませんでした。

 

 今回の旅3つ目の目的地に到着。

 

 ③日中線シダレザクラ並木(9:30~10:00

旅行会社のこの写真をみて、是非一度行ってみたいと今年の桜旅を計画したのでした。

喜多方駅から徒歩5分のところ~3kmの並木

 

廃線となった旧国鉄日中線の跡地を整備したもので、全長3km 1000本のシダレザクラの並木は日本最大級のシダレザクラの並木だそう。

 

でも、今年は開花が遅れに遅れて上の写真には程遠く、ここも ざ・ん・ね・ん 

 

並木全体が赤く色づいているのは感じられますが。

 

たった30分の見学時間なので、ほんのちょっとでも咲いているところを探し写真を撮るだけ。

根元にはヒメオドリコソウやオオイヌノフグリなどがかわいく咲いています。

 

今回のメンバーはこちらの5人に私を入れた6人。にぎやかに旅しています。

 

この SL は、1974年まで走っていた C11形63号機蒸気機関車だそう。

 

解説版の下に写っている線路は SL の近くにだけあるようです

 

時間がないのでここからもう戻らなくてはいけません。

 

帰りの景色。

 

これが一番きれいに咲いていたかな~?

 

旅行会社の写真とは程遠かったので、又挑戦しましょうという話も。

又、先の目標ができました! それまでみんな元気でいないとね。

 

 日本人の時間厳守感覚はすごいものです。

たった30分の見学時間でしたが、遅れる人一人もなく出発です。

 

遠くに雪の山が見えましたが、どこの山なのか、ガイドさんの説明もなかったので分かりません。

地図をルーぺを使って見ると、烏帽子山、大日岳、飯豊山などの山があります。どの山かしら・・。

 

トイレ休憩(11:10~10) 道の駅? 建物に あだたら亭 とあります。

そのトイレのきれいなこと。折り紙がたくさん、感激しますね! 外国の方ならなおさらでは?

最近は国内のどこを旅してもトイレがきれいなのが素晴らしいと思います。

 

(今回の旅は地図がはっきりせず、車の運転もしない私はどこをどう走っているのかさっぱり)

 

1時間半ほど走ってランチタイム(12:00~12:45

 

バスを降りたところの桜はもうけっこう咲いていました。(これはソメイヨシノかな?

昨年の会津鶴ヶ城公園のサクラがちょうど今頃(4/10)素晴らしかったのを思い出しました。

 

こちらはおみやげ屋さん。奥に見える建物がレストラン棟でした。

 

レストラン前の庭の素晴らしいこと。

 

建物の後ろに回ってみたのは渡辺さんと私だけ、こんな素敵な景色が見えたというのに・・。

でも青空がほしい・・・

 

レストラン入り口のお花がきれい。

 

レストランには、たぶん同じ方の作品だと思うのですが、私好みのたくさんの絵が飾ってありました。

落款にあった敏明という名を頼りに調べると、渡辺敏明という画家さん(1939-2005)のようです。

このような絵を墨彩書画と名付けていらっしゃったそう。

まだまだたくさんの作品がありましたが、写しきれませんでした。

 

ランチは松花堂弁当におそばとお味噌汁。お弁当もですがおそばがとてもおいしかったです。

私の普段の2回目の食事14:30~にしては時間が早すぎてあまり食べられなかったですけれど。

 

 

お土産やさん棟です。試食に頂いたお菓子(いもくり佐太郎)がおいしく、私だけでなく多くの方が購入されたようです。

 

このあと、花見山に寄り、いわき駅にもどり、千葉まで帰るわけですが、写真が一日分の取り込み数をオーバーしたとかで途中から入れられなくなりましたので、今日はここまでで終わりにします。

 つづきは又後日。

 

 


福島桜旅 1日目①地蔵桜②三春滝桜、番外 五色沼一部

2024-04-10 00:19:28 | 国内旅

 2024.4.7(日)

 

 昨年も東北のサクラ旅をしましたが、今年は日中線のシダレザクラをメインに・・と計画しました。

ところが、ところが、今年は昨年と比べて10日以上も開花が遅れているようで、花はまだまだ・・となってしまったのでした。

 

 今回は柏から参加できるので私以外のとねるずのメンバーには好都合な1泊2日の特急での旅です。

 

 1日目(4/7(月)

 

 柏駅 8:27発  ーー  特急ひたち3号  ーー  いわき駅10:23着

 

  この先は2日間バスで移動です。

 

旅行会社から頂いた地図で見にくいですが ↓ 今回まわる大まかなところにピンクのマークがあります。

 

  最初に向かったのは

①ベニシダレ地蔵桜 (11:45~12:00) (三春駅の北東:地図右上の〇印

 

今年はまだこんな感じ ↓ 全く咲いてはおりません。 ざ・ん・ね・ん

 

一本だけの大きな桜は、三春の滝桜の娘といわれ、樹齢は400年ほどだそうです。

満開になるとこんなふうになるよう。(現地にあった写真

木の下には延命地蔵尊を祀ったお堂があります。

 

根元に近いところ

上部 ↓

花は年によって開花時期が変わるので、ツアー旅でちょうどいい時期にあたるのはむずかしいですね。

それはそれで仕方のないことなのであきらめます。

 

次は三春の滝桜に向かいます。 バスで10分ほどのところのようです。

 

②三春の滝桜(12:10~13:00 

 

     入場券

     

 

今年も途中のお宅や花などを眺めながら進みます。

植木の販売もされています。白いアケビが珍しくて・・。

こんなアジサイ見たことない!

途中の花壇

 

私のご近所さんにはなかった八重のスイセン。

 

樹齢1000年の三春の滝桜。今年はまだチラホラ。 ざ・ん・ね・ん

昨年は4/9日に訪れたのですがすっかり散っていました。今年はまだ全く咲いておらず。

一つでも咲いているところを探してしまうほど。

 

少し後ろに回ってみると、木全体がこころもち赤く濃く見えました。

満開のパンフレットの写真。今年はこの光景に会えるだろう‥と思っていたのになんということ!

 

近くで結婚式の前撮りをしていらっしゃいました。花嫁さんステキ。

 

高いところにある神社の前のシダレが少し多めに咲いているよう。

でもこんなものですが。

 

この左手にまとまってたくさんあるソメイヨシノも咲いているようには見えませんでしたので上の方までは行きませんでした。

 

 時間もないので、ここから帰り支度、

見学時間50分では忙しいですね。せめてあと30分は欲しいところ。

 

ランチ地点までのバスの中から遠くに見えるサクラ。(雨がポツポツきたので一層暗い

 

 昼食は郡山市内?の、フレンチレストラン・エルマールのランチコース( 13:20~14:35

 

写真は撮らずに食べ始めてしまったので、写真がありません。

 

    メニューと最後のデザートだけ・・。

       

 

 ランチの後は今日の宿のある猫魔温泉に向かいます。

16:00頃には着いてしまうそう。

 

バスの中から見えた裏磐梯山。(私は全く山の名前など分かりませんので、ガイドさんから聞いたもの

 

 今晩の宿は猫魔温泉にある「裏磐梯レイクリゾート五色の森」

ホテルについてから写したものには、右の方に白い雪山がちょっとだけ姿をみせています。

ホテルの展望室から見えるのは檜原湖。(この時間は逆光

 

別の展望室から外を見ると、白い円盤状の雲が二つ。この時間になってよく晴れてきました。

 

まだ時間があるので、近くにあるという五色沼の一部を見に行こうということになりました。

 

外に出てホテルの外観を眺めましたが、一枚の写真にはとても納まりきらないほど大きなホテルです。

 

ホテルのフロントで教えて頂いた30~40分コースを歩くことにしました。

奥に進むと雪道で、ぐちゃぐちゃとしたところもあり、実際には1時間近くかけて戻ってきました。

上の地図の左下の方から歩き始め、青沼とるり沼だけ見てきました。

ホテルで頂いた地図が分かりやすくてよかったのですが行方不明に

 

これが青沼。あまりにきれいなブルーで大喜び。(20代の頃に見た記憶が思い起こされました

見る位置によりブルーの色が少々異なります。

ちょっと濃い目のブルーだったり、柔らかいブルーだったり、心休まる色です。

それにしてもきれいなものです。

 

すれ違った方にお聞きすると、るり池はすぐそこ、裏磐梯も見えますよとのことでした。

 

るり沼から見える裏磐梯山。

山に焦点が合うと、手前はこんなに真っ暗。

 

瑠璃色って群青色(ぐんじょういろ濃い青色)のことだそう。宝石でいうとラピスラズリのような色。

日が当たっていたらその色に見えたかな~。

日が陰ってしまったからか、それほど濃い青とも言えず感激するにはちょっとかな。

 

夕暮れに近いので、ここで引き返すことにします。

 

行きに通った所の写真を撮ればよかったのですが、下の写真よりもっと雪があり、融け始めてぐちゃぐちゃというところもありましたが、スニーカーでもなんとか大丈夫でした。

 

時間は見なかったのですが、暗くなる前にはホテルに戻れました。

バスの駐車場は少し高いところにあり、改めて裏磐梯を眺めました。

ホテルの展望室からは檜原湖しか見えませんでしたが、この景色の見える展望台があったらなおよかったのにね

 

 沼に行かなかった人は先に温泉に入っていたそうです。

 

 夕食は19:00から。 

バイキングなので食べたいものだけ頂きます。私はこれで十分でした。

 

最近一日2食にしているので、3食目はなくてもよかったはずですが、ついみんなと一緒に、うどんとおかずだけを。

 

ワイワイ言いながら1時間半くらいかけて食べました。

食後、部屋で少し休んでから温泉に入り、11:30ころ就寝しました。

 

     ~   ~   ~   ~   ~   ~   ~

一週間後の4/14()、近所に住む福島出身の方が、「田舎からメールがあり、今三春のサクラ満開だって」と。

昨年よりちょうど2週間遅れで満開になった感じ。(昨年は又特別早すぎだった

なんとなんと・・ですね!

 

 


佐渡の旅 3日目 ③佐渡金山 ④夫婦岩 ⑤無名異焼窯元

2023-11-04 11:33:11 | 国内旅

 2023.10.24(火)

 

 北沢浮遊選鉱場をあとにし、佐渡金山に向かいます。(11:55

 

すぐ近くのようですが、途中、バスの中から ”佐渡奉行所” と本物の ”道遊の割戸” がみられました。

 

佐渡奉行所

 

佐渡金山を象徴する山 道遊の割戸(どうゆうのわれと

道遊の割戸(どうゆうのわれと)前回もネット情報からコピーで貼り付けましたが、今回も又。

壮大な採掘跡を残す佐渡金山のシンボル

佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿になっています。山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達します。道遊脈と呼ばれる脈幅約10mの優良鉱脈を有しており、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。

 

 北沢浮遊選鉱場からバスで10分足らずで、佐渡金山入り口に着きました。

 

 ③史跡 佐渡金山(11:05~12:00

 

 

見学コースは宗太夫坑、道遊坑、無名異坑、大切山坑の4つあり、ほかに山師ツアーなるものもあるようです

 

ここを訪れるのが初めての人は、宗太夫坑(そうだゆうこう)がいいでしょうということで、かつて来たことのある青木さんにも付き合って頂いて宗太夫坑に入りました。

 

      金山だからか入場券が金色!

        

 

地下坑に下って行きます。(坑内はひんやり

 

パンフレットから

採掘坑の作業風景が本当によく再現されていたのが印象的でした。

 

坑内は明かりはついていますが、写真を撮るにはちょっと暗く、私にはうまく撮れませんので解説板の写真(+私の写真)で紹介いたします。(手抜きですみません

 

  

 

 

 

 

 

              ↑ 昔の人の知恵ってホントにすばらしいと思います。

 

                 ↑  穿(うがつ)という字を使って 穿子=ほりこ と言うのもぴったりで納得。

 

電気のない時代、唐箕で新鮮な空気を送ったり、 照明に工夫を凝らしたり ↑、知恵の深さに感心するばかり・・

気絶と書いて「けだえ」だそう。 ↑

 

最初のパンフレットの写真と同じものですが、役名が入っているので改めてここに。

いつの時代にもおしゃれ心はあったのですね。↑

 

 

戸籍を持たないような人のほか江戸後期には罪人もつれてこられたそう!

 

たがね(金偏に賛)という言葉は知っていましたが、上の絵で「あ~これ」と納得しました。そのたがねを2日に一本消費ということですから、どれだけ大変なことだったか想像できるというもの!

 

紙のこよりを固くよって作られた「てへん」というかぶりものは今でいうヘルメット、役職を持つ人だけしかかぶれなかったのですね。

間切は「けんぎり」と読みます。仕事内容は上の解説に。↑

 

 

荒縄がただの紐でなく命をつなぐものでもあったとは・・・。

上の解説のところの写真(ほとんどこんな風にボケてしまいました)

 

 

金銀を含む富鉱帯(黒い帯がくっきりと見える ↓) の前で行われる祭礼・やわらぎ(解説はすぐ上に

 

坑内最後の解説

 

 佐渡金山400年の歴史

慶長6年(1601)山師3人により開山

慶長8年(1603)徳川幕府の天領として佐渡奉行所設置。小判も製造され幕府の財政を支えた

明治2年(1869)明治政府が官営佐渡鉱山とする

明治22年(1889)宮内省御領局管轄の皇室財産となる

明治29年(1896)三菱合資会社に払い下げ

平成元年(1989)資源枯渇により操業を停止

 

坑道の総延長は400km(佐渡~東京間)に達しているそう。江戸、明治、大正のころだってほとんどが人力だったでしょうからすごいものです。(それこそたがねが2日でダメになってしまうほどの重労働ですからね

 

先の方に外のあかりが見えました。

 

採掘坑を出ると橋があり資料館のようなところにつながっていました。(紅葉がほんのちょっと見えます

 

 進むと資料館に入り通り抜けられるようになっています。

 

資料館は細かいことがたくさんあり過ぎて読むのはとても大変、ざっと見て出ました。

写真を見てわかるところはメモ書きしましたが、わからないところも多いです。

 

資料館らしき建物の入り口にある坑道の断面模型。

 

 室内の展示物を見ながら時計と反対回りに進みます。

 

鉱脈の見える石

 

使われた道具類

 

坑道外での仕事風景

 

役所、商店、住宅など日常の生活がここですべて間に合うよう一つの街を形成していた。

 

茶屋、あめ屋、湯屋など

 

一番左が研ぎ師の家のようです。

 

くさり(金偏に連という字)置き場:鉱石の入ったカマスを置く

 

金銀改め出張所:選鉱した鉱石の軽量、記帳、検査をする

 

せり(難しい字)場:金、鉱石を粉砕し板取リやねこ流し?を繰り返しながら自然金と硫化銀?を取り出す

 

床屋:製錬により金塊をつくる。

 

小判所Ⅰ: 金塊を再び粉砕し塩と炭火により金の純度を高める。

 

小判所Ⅱ:金塊を小判の比率に混ぜて鋳造し、打ち延ばした延金(のしがね)から荒切り小判をつくる。

 

後藤座:延金(のしがね)の銅分や金位を鑑定し、荒切小判の形や色を整えた後、極印を押して貨幣となる。

 

小判になるまでの間に使われた様々な桶

 

できた小判を江戸に運ぶための千両箱など?

 

急ぎ足で一回りし、集合時間に合わせて外に出ました。

 

入った時と同じ門のところに出てきたと思いましたが、どうも別の門だったようです。

 

 これで佐渡金山の見学をおわり、次の昼食地点=夫婦岩に向かいます。(12:00出発

 

 ④夫婦岩(めおといわ)(12:15~13:10

 

むこうに見える岩が夫婦岩ですね。

よく見ると、海岸名は七浦海岸となっていました。

ここにもたらい舟がありました。昔はこのたらい舟も嫁入り道具の一つだったそうです。

仲良さそうな二つの岩。夫婦岩(めおといわ)という命名がいいですね。

 

目の前にあるレストラン(兼おみやげ屋さん)で昼食です。前もって選んで注文しておいたものです。

レストランのベランダに干し柿が吊るされていました。

 

夫婦岩をバックにハイチーズ

 

 次に向かうは今回の旅の最後の訪問先。(13:10出発

 

⑤無名異(むみょうい)焼きの窯元です。(13:30~14:00

無名異焼き(むみょういやき):恥ずかしながら佐渡に来て初めて耳にした焼き物でした。

初めに店主さんから無名異焼きの説明がありました。

 

いままであちこちで見てきた無名異焼きは ↓ 下の茶と黒っぽい色合いのものでした。

思っていたのとは全く違う感じのものもありました。

 

ここでは無名異焼きの体験もできるようです。

 

一通り見せて頂き外に出ました。(インパチェンス:店に入る時には気がつきませんでした)

 

通りに面してこんな大きな花瓶が展示してありました。かっこいい!

 

 

 ここから両津港に向かいます。(14:00出発

 

車窓から見えた風景。佐渡とはそろそろお別れです。

 

来た時とは逆に、両津港から新潟港に向かいました。(15:30発

 

船に乗って約1時間(新潟港着16:30)  そしてJR新潟駅へ(17:00ころ着) 

 

新幹線の時間まで時間があるので一度解散。この間に私たちは夕食を調達。

 

 18:00に改札前に再集合して中に入りました。

 

来た時にも目にしましたが、横目で見て素通りするしかなかった銅像はやっぱりステキでした。

新潟新幹線開通の時、新潟三越から寄贈されたものだそうです。

 

新潟駅始発18:18 とき342号にて東京に向かいます。

動き出すと間もなく夕食をたべてしまいました。

 

 東京駅着 20:12 (私以外は6分前に上野駅で下車

改札を出たところで解散。21:30分ごろには家に着きました。

 

 


佐渡の旅 3日目 ①尖閣湾揚島遊園 ②北沢浮遊選鉱場跡

2023-11-01 14:14:58 | 国内旅

 2023.10.24(火)

 

今日、今回の旅の最終日3日目の観光は昨晩の宿の近く(島の中ほど両津港の反対側(西))にまとまっています。

 

①尖閣湾でグラスボートに乗る ②北沢浮遊選鉱場跡 ③佐渡金山 ④夫婦岩 ⑤無名異焼き窯元 と回り、両津港 →新潟駅 →東京へと戻ります。(地図の番号とは異なります

 

 

 今日最初の訪問は ホテルからバスで15分ほどのところでした。

 

 ①尖閣湾でグラスボートに乗って魚を眺めます。(9:15~10:25

佐渡の尖閣湾は初めて耳にした場所なのでどんなところなのか全く想像もつきませんでした。

 

お天気にも恵まれ、小さな湾だけれど、なんてきれいなところ!と感激しました。

 

尖閣湾の岩は縞模様の目立つ流紋岩で、縞模様に沿ってはがれやすいそう。

切り立った崖は縦の縞模様になっているとのこと。

 

軽石のお化けのような岩もあります。

 

この湾の正式名称は下のとおりです。(揚島は”あげしま”と読む

 

ドラマ「君の名は」の撮影が行われたことで全国に知れ渡った地名だそうですが私はまだ仕事をした時期でTVも映画も観ていなかったためあまり詳しいことは知りませんでした。

歌碑が建っていました。

 

展望台があります。ちょうどグラスボートが出て行くところ。私たちは順番待ちをしています。

 

順番がくると、このようなトンネルを下って船乗り場に移動します。

 

 今日もA B C D班に分かれて乗船しました。

 

船底がガラスで、箱型のぞき窓から海の中が見えるようになっています。

 

きのうのプレジャーボートと違い安心して乗っていられますね。

 

わあ、魚が見える! 何の魚かな~。 説明があったような気もしますが、聞いてもどれがどれだかさっぱりわからないのでメモもしていませんでした。

なぜか全く見えなくなることもありましたが、海の深さに関係あったのでしょうか?

 

陸の景色は断崖絶壁。縦の縞模様の流紋岩ですね。

 

この橋は先ほど渡ってきたのですが、「君の名は」の歌碑のあったところにあるものでした。

 

横縞模様の流紋岩がよくわかりますね。

 

ほんの20分ほどの乗船でしたが、海もきれいで魚も見えたし、景色もステキで満足でした。

 

カモメがたくさんいる景色も私たちには珍しく・・・、嬉しい風景です。

 

先ほどのトンネルをくぐって集合地に戻ります。

 

 

 次の訪問は

 

 ②北沢浮遊選鉱場(せんこうば)跡。(10:25~10:55

 

もともと浮遊選鉱法という技術は銅の製造過程で行われていたものでそれを佐渡の金銀鉱石に採用したので地名の北沢をつけて北沢浮遊選鉱場となったようです。

 

これこれ、この景色が見たかったのです! なんというか昔の人の知恵が詰まったところ・・・。

(北海道のタウシュベツ橋梁も昔の人の知恵の詰まったところで私はそういうところに興味があるようです。

いつもの歩きでもせっかくの神社仏閣を飛ばされてしまうと、もったいないな~と思ってしまいます)

 

以下、パンフレットや解説板を写真に撮り、大きく見えるよう切り取って使用してあります。

絵を見ると、佐渡金山と北沢浮遊選鉱場(せんこうば)はそう離れてはいませんね。

 

選鉱場:上の解説には”せんこうじょう”と仮名がふってありますが、ガイドさんや他の多くの資料では”せんこうば”となっているものが多いです

 

明治34年(1901)ころの大立地区

 

   明治末の大間地区

   

 

      大正中期の間ノ山地区

      

 

          昭和初期の高任地区

          

 

      昭和10年代の北沢地区

      

          

 

むこうに見える選鉱場とは小さな川(今は水はない)を隔ててこちら側から眺めています。

右に見えるレンガの建物は明治41年(1908)に建てられた火力発電所だそう。

 

選鉱場真ん中あたり。

 

左の方

 

さらに左奥にも階段状に建物が見えます。ですが、そこまで行けるのかどうか、時間がないので私たちは確かめることはできませんでした。

 

北沢地区施設群(解説板のもの)。字は小さくてよくわかりませんが、川の上の方が浮遊選鉱場。

 

上の解説を切り取りました。

  

     

昨夜のライトアップの時、何かなあと思って見た建物は解説の絵に、直径50mシックナーとあります。

 さて、シックナーとは?

水と不純物を分離する装置のことで、水は選鉱場で使用する工業用水として再利用していたそう。

上の建物の手前左側にあったこの建物はなんだったのかわからず仕舞い。

 

 

二つに割れた山は”道遊の割戸”というようです。読み方は「どうゆうのわれと」

「道遊の割戸」は、佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡です。山がV字に割れたような姿になっており、山頂部の割れ目は幅約30m、深さ約74mにも達しますこの割戸(われと)は、人々が争って鉱石を掘り取った結果、山がまっ二つに割れてしまった奇観であり、相川金銀山を象徴しています

佐渡鉱山全景案内となっています。(よく見るとロープウエイや鉄道も描かれています

 

ほんとにうれしいいい天気になりました。

 

当時のレールの名残りがほんの一部残っています。

            

 

最後にもう一度選鉱場を見渡しました。来られてほんとうに良かったです。

 

分からないことがいくつかありましたが、あとで調べてわかり次第追加する予定です。

わかったことだけ追加しました(コピーしたものもあり)

 

 次は ③佐渡金山に向かいます。(10:55発

絵から想像してもここ北沢浮遊選鉱場と金山は近いですね。

 

つづきを書こうとすると、いつになるかわからないので今日はここで終わります。

 

続きは又数日後になりそうです。よろしくお願い致します。