junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

葛飾の戦争体験紙芝居

2015-08-02 20:14:47 | ちょこっとお出かけ
 2015.8.2(日)

葛飾昔ばなし研究会の方々による戦争にまつわる紙芝居を見せて頂くためにJR金町駅前にある 「ヴィナシス金町」の読売カルチャーセンターに行ってきました。

一作目は 「コスモスの花はさいたけれど」

1945年8月15日の終戦の一年前に疎開をした子、しなかった子供や家族のお話。 疎開をしなかった子供の家族は不運な目に遭い、終戦後、疎開から戻った友達は疎開をしなかった友達には二度と会えなかったけれどその友達の家にはコスモスの花が咲いていたという内容・・・。


二作目は 「ガラスのうさぎ」

左の方が読み手、右の方は現・会長さん。

当時国民学校6年生だった高木敏子さんという方の体験記を紙芝居にしたものです。

敏子さんは二宮町の親戚の家に疎開し、1945年(S20)3月10日の東京大空襲のあと、ガラス職人だった父と一緒に自宅に戻ってみると、焼け跡からグニャグニャに変形した父の造ったガラスのうさぎが見つかった。 母や2人の妹は行方不明。

お父さんも運悪くその後敏子さんが戻った二宮町の疎開先に行ったときに米軍の機銃掃射に遭い亡くなってしまった。 その後敏子さんは一人残った兄と一緒に暮らし始め、兄の働きで女学校にも行くことが出来た・・ というお話でした。


三作目は 「ゴローのさけび」

当時葛飾区小菅に住んでいた竹内昌三さんが体験したことを紙芝居にしたもの。
飼っていた犬を戦争中に「犬や猫を飼うのは贅沢! 贅沢は敵! 極寒の地で戦っている兵隊さんに毛皮で作った手袋や帽子、服を届けてあげよう」と、犬のゴローを供出させられたというお話。

現在88か7歳という写真の斉藤昭一さん(本人は年は内緒・・と)が読んでくださいました

斉藤さんは初代の葛飾昔ばなしの会の会長さんだった方で、東京で初めて空襲があった終戦の3年前の1942年4/18日のことをよく覚えているということで詳しく話して下さいました。

最後に、

葛飾のお花茶屋には 「高射砲陣地」 というものがあり、その形跡となる写真も見せて頂きました。 
土地の所有者はそれを取り除こうとしたけれどしっかり出来すぎていて取り除くことができず、そのままにして駐車場にしてあるとのことです。


外は暑かったですが、室内は寒いほどで1時間半はあっという間に過ぎました。

知らないことを知ることができた有意義な紙芝居によるお話会でした。 


 ※ 私ごとですが、先週日曜夜から、孫のMIYUUが又熱を出したと連絡が入り、手伝いに行ったのですが、月曜日に病院に連れて行くと 「手足口病」という診断でした。

特にひどかったのが口内の炎症で、飲み物も一口飲んでは痛みがあるらしく泣き出すし、食事はなおさらのこと、ほとんどムリで、豆腐やゼリー、プリンのようなつるんとしたものしか食べられず(たまたま作ったワンタンの皮だけは食べられたのでつゆを薄めて主食代わりに・・)、それでは保育園に預けることができないと、まるまる一週間、ベランダの野菜を枯らしたくないという思いもあり、自宅と娘の家とを行ったり来たりして面倒を見ていました。

朝は4:45に家を出、帰り着くのは夜の10:30ころ・・・ とハードな日々を送っていました。 かなり疲れましたが、きのう、今日とちょっとホッとでき、今日のカルチャーセンターの行事にも参加できたのでした。