2015.10.11(日)
昨日 10/10(土)ネパールから無事に戻ってまいりました。
ところが、メインに使っていた肝心のカメラをお世話になった銀杏旅館に忘れてきたことに空港に向かう車の中で気がつきました。
予備のカメラも持って行ったのですがほとんど使わずに済んでしまったためほんの少しの写真しか写っていませんでした。 しかもこの予備のカメラは途中から作動しなくなり役に立たなくなってしまったのです!
忘れたカメラは10月末に日本から行く方に持って帰っていただくことになりましたが、予備のカメラにあるだけの写真で簡単な報告をさせて頂きます。
私のお世話になっているカトマンドゥに近い(といってもバスで50分)サンガの銀杏旅館の筋田さんと一緒に住んでいるミナちゃん姉妹兄弟(5人)の実家のあるラムチェ村はネパールの中でも4/25日の大地震と5/12日の余震で最も被害の大きかったところです。
予備のカメラにはそのラムチェ村の様子が少しだけ写っていました。
私たちはミナちゃんと弟のパンネくんの案内でメールダラの学校を訪問した後、ミナちゃんたちの実家のあるラムチェ村を訪れ2泊させて頂きました。(10/5、6、7滞在)
以前から筋田さんと親交のあるベルギーのボランティア仲間のフランソワーズ、エディ、マークの3人と私、筋田さんでお伺いしました。
ラムチェ村の登り口にあるバラビシェの街は一応お店などは開いているようですが復興とは程遠い姿のままです。
ラムチェ村の家々は全滅。 人々は庭先や空いている畑地に、トタン利用のこのような仮住まいで暮らしています。
写真はありませんが、ミナちゃんの実家の仮住居は、かつての住居の一段上の畑に三方をトタンで囲い、屋根にトタンを乗せただけの横長の物で正面に囲いはなくオープンテラスのようなものでした。
したがって夜が明けるころから日暮れまで、ベッドに居ながらにして素晴らしい景色が眺められます!
屋根の下にはベッドが3つあり、普段はそこで家族が寝起きをしています。
最初はそのベッドで寝ると言っていたベルギーの人たちは蚊に刺されるから・・とテントで寝ることにしました。
私とミナちゃんで一つのベッド、筋田さんもベッドをお借りして寝ました。 もう一つのベッドにパンネくん、奥さんのウルミラちゃん、赤ちゃんの竜馬クンの3人で寝ていました。
お父さんとお母さんは地面に敷物を敷いて寝て下さったようです。
他の人は何ともないのに私だけ寝袋から出ていた顔を何ヶ所も蚊に刺されてしまいました。
炊事はもちろん外。 主にパンネくんの奥さんのウルミラちゃんがお料理を作って下さいました。
雨季の時は炊事はもちろん、家のまわりもとても滑りやすく大変だったそうです。(彼女の後ろはもう数メートルの段差のある崖)
下に雲を見るようなこんな山の上の生活ですからね。
こんな状況の中、ミナちゃんの弟のパンネくんのお嫁さん・ウルミラちゃんとまだ生まれて半年の竜馬クンはパパと離れてミナちゃんたちのご両親とここで生活をしています。(出産前後4~5か月は銀杏旅館で過ごしていたようですが)
竜馬(りょうま)クンの命名は筋田さんで、坂本竜馬からとったそうです。
今はまだはいはいもしない竜馬クンですが、はいはいやよちよち歩きをするようになったら危険この上ない環境です。
まずはミナちゃんの家を建て、多くのボランティアの人たちに訪問してもらい、村の復興の手助けをして頂ける拠点にしたいということです。
忘れたカメラが届きましたら、先に訪れた私の支援するメールダラの学校の報告とラムチェ村のことをもう少し詳しくお伝えできると思います。
※ 大地震後にご支援頂いた方々には心より御礼申し上げます。
今回お預かりしたものは目に見える支援をしたいとすべてラムチェ村の
ミナちゃんの家の再建に使わせて頂くようミナちゃんにお預けしました。
ご支援頂いた方々にはミナちゃんが習い始めの日本語(ひらがな)で
手紙を書いて下さいましたので、お会いした時にお渡ししたいと思い
ます。
本当にありがとうございました。
昨日 10/10(土)ネパールから無事に戻ってまいりました。
ところが、メインに使っていた肝心のカメラをお世話になった銀杏旅館に忘れてきたことに空港に向かう車の中で気がつきました。
予備のカメラも持って行ったのですがほとんど使わずに済んでしまったためほんの少しの写真しか写っていませんでした。 しかもこの予備のカメラは途中から作動しなくなり役に立たなくなってしまったのです!
忘れたカメラは10月末に日本から行く方に持って帰っていただくことになりましたが、予備のカメラにあるだけの写真で簡単な報告をさせて頂きます。
私のお世話になっているカトマンドゥに近い(といってもバスで50分)サンガの銀杏旅館の筋田さんと一緒に住んでいるミナちゃん姉妹兄弟(5人)の実家のあるラムチェ村はネパールの中でも4/25日の大地震と5/12日の余震で最も被害の大きかったところです。
予備のカメラにはそのラムチェ村の様子が少しだけ写っていました。
私たちはミナちゃんと弟のパンネくんの案内でメールダラの学校を訪問した後、ミナちゃんたちの実家のあるラムチェ村を訪れ2泊させて頂きました。(10/5、6、7滞在)
以前から筋田さんと親交のあるベルギーのボランティア仲間のフランソワーズ、エディ、マークの3人と私、筋田さんでお伺いしました。
ラムチェ村の登り口にあるバラビシェの街は一応お店などは開いているようですが復興とは程遠い姿のままです。
ラムチェ村の家々は全滅。 人々は庭先や空いている畑地に、トタン利用のこのような仮住まいで暮らしています。
写真はありませんが、ミナちゃんの実家の仮住居は、かつての住居の一段上の畑に三方をトタンで囲い、屋根にトタンを乗せただけの横長の物で正面に囲いはなくオープンテラスのようなものでした。
したがって夜が明けるころから日暮れまで、ベッドに居ながらにして素晴らしい景色が眺められます!
屋根の下にはベッドが3つあり、普段はそこで家族が寝起きをしています。
最初はそのベッドで寝ると言っていたベルギーの人たちは蚊に刺されるから・・とテントで寝ることにしました。
私とミナちゃんで一つのベッド、筋田さんもベッドをお借りして寝ました。 もう一つのベッドにパンネくん、奥さんのウルミラちゃん、赤ちゃんの竜馬クンの3人で寝ていました。
お父さんとお母さんは地面に敷物を敷いて寝て下さったようです。
他の人は何ともないのに私だけ寝袋から出ていた顔を何ヶ所も蚊に刺されてしまいました。
炊事はもちろん外。 主にパンネくんの奥さんのウルミラちゃんがお料理を作って下さいました。
雨季の時は炊事はもちろん、家のまわりもとても滑りやすく大変だったそうです。(彼女の後ろはもう数メートルの段差のある崖)
下に雲を見るようなこんな山の上の生活ですからね。
こんな状況の中、ミナちゃんの弟のパンネくんのお嫁さん・ウルミラちゃんとまだ生まれて半年の竜馬クンはパパと離れてミナちゃんたちのご両親とここで生活をしています。(出産前後4~5か月は銀杏旅館で過ごしていたようですが)
竜馬(りょうま)クンの命名は筋田さんで、坂本竜馬からとったそうです。
今はまだはいはいもしない竜馬クンですが、はいはいやよちよち歩きをするようになったら危険この上ない環境です。
まずはミナちゃんの家を建て、多くのボランティアの人たちに訪問してもらい、村の復興の手助けをして頂ける拠点にしたいということです。
忘れたカメラが届きましたら、先に訪れた私の支援するメールダラの学校の報告とラムチェ村のことをもう少し詳しくお伝えできると思います。
※ 大地震後にご支援頂いた方々には心より御礼申し上げます。
今回お預かりしたものは目に見える支援をしたいとすべてラムチェ村の
ミナちゃんの家の再建に使わせて頂くようミナちゃんにお預けしました。
ご支援頂いた方々にはミナちゃんが習い始めの日本語(ひらがな)で
手紙を書いて下さいましたので、お会いした時にお渡ししたいと思い
ます。
本当にありがとうございました。