カメラを修理に出してちょうど2週間、修理が出来上がりました。
受け取るときに担当の方におそるおそる画像が出るのか聞いてみると、カメラを操作してくださいました。 わあーっ でた、でたー バンザーイ!
ということで、画像が無事でしたので、今回訪問の最初からブログを書くことができることになりました。
ですが、今回の訪問の目的が、“大地震から一年後の世界遺産の様子を見る” ことでしたので、新たにご紹介するようなことはなく、以前ご紹介した街の様子や崩れてしまった世界遺産等の様子ばかりになってしまいそうです。
2016.5.7(土)
今回同行して頂くことをお願いしたガイドのディネスさんはこの日は都合が悪いとのこと。
一日は私一人で街の様子を見たり、カトマンドゥのダルバール広場の様子を見に行くつもりでしたので、この日が充てられ好都合でした。
タメルの表通りは鉄筋の入った、どちらかというと新しい建物が多いせいかそれほど目立って崩れたままの家は見られませんでした。
タメルチョークからタンヒティチョークに向かう通りをメインの通りとするとその一本東の通り(カレーのお店・ロータスや喫茶店・ちくさのある通り)をJyata(ジャタ)というそうですが、その通りは今では中国人街のようになってしまいました。
10年前は大きなホテルと病院が中国っぽいと思ったくらいでしたが、この3~4年の間に看板が中国語であふれていました。
中国からのお客様が多いのはいいのですが、その人たちが、中国人の経営するホテルに泊まり、中国人の経営するレストランで食事をし、中国人の経営するおみやげ屋さんでおみやげを買うのでは、果たしてどれだけネパールが潤うの??? と心配にもなるところ。
中国人街に続くここから先はネパール人の台所と呼ばれる通り。
通りの小さな寺院は今までと変わりない姿。(向かって左のシンガが少し傾いていますが。)
この路地の奥には広場を囲んで古い家々があるはずですが、そこまでは勝手には入れません。(入口には神さまへのお供えが置いてあります)
道端ではシェルと呼ばれる米粉で作ったドーナツを揚げて売っています。
ここ数年はサンガの銀杏旅館泊まりが多かったので、シェルもしばらく買っていませんでしたが、値段を聞いてみればよかったー!(日本円にして一個10円か15円くらいかと・・・)
アソンチョークに近づきました。
ネパールの野菜も日本とほぼ同じようなもの、色つやもいいですね。
香辛料など
干し魚など
地元の買い物客でごった返すアソンチョークもこころなしかさびしくなっているような気がしました。
アソンチョークのシンボル アンナプルナ寺院。
10年前も5年前も変わりなくお花を売っていたこの方も今日も健在でした。
タパラ(葉っぱで作ったお皿)を売っていた人たちの姿が見えないのが心配・・・。 ここを通るたびに挨拶していたのでどうしたかな~と気になります。
アソンチョークから王宮広場とは反対のラトナパークの方に行ってみました。
なんと、こんなところで牛が休息しているではありませんか。
歩道橋の上から見た景色。 曇り空なのと排気ガス?で、今が盛りのジャカランダもぼんやりです。
乾季なのでラーニポカリの水も干上がっている感じ。
橋の手前にあった高校は地震のために使えなくなってしまったとのこと。
しばらく景色を眺めて元のアソンチョークにもどり、インドラチョークに向かいました。
途中にセトマチェンドラナートがありますが、何度歩いてもうっかり見落としてしまいそう・・。
ハトがますます多くなって糞の被害も相当なもの・・・。でもネパールではハトだけでなく蚊までもかわいがり?ますので追い払ったり、殺したりはしないとディネスさんが言っていましたっけ・・・。
ご本尊は白いお顔の観音様ですがお参りの人が多くて写真には撮れませんでした。
よく見ると外の壊れかけたケースの中に白いお顔のこんな神さまもいらっしゃいました。
他にもいろいろな神さまが・・・。
やがてインドラチョークに出ました。
アカスバイラヴ寺院。 支えなどはみられませんので被害は少なかったのかもしれません。
いよいよカトマンドゥのダルバール広場(旧王宮広場)に到着です。
タレジュ寺院は私の最も好きな建物です。見るたびに心が引き締まります。 ヒンドゥー教徒でも年に一度(ダサインの9日目だけ)しか中に入ることはできません。一年前の地震でどれくらいの被害があったのかは塀の外からはうかがいしれませんでした。
7時過ぎから歩き始め、まだ9時ということもあって、商店が開く前のシャッター前露店がとにかくたくさん・・・。
このあたりはカーテンやベッドカバーその他いろいろに使える大きな布や衣類を扱っている露店がが多かったですね。
シンボルのピーパルの木のところまでやってきました。
こんなに青々と葉の繁っているのを見るのは何年ぶりでしょう・・・。 木を見ても神々しさを感じます。
根元に作られた祠が少し崩れて傾いているのが気にかかります。
2007年12月のピーパルの根元の祠
懐かしく、又、心配しながら眺めていたら右の方に声をかけられました。
8年前に、ガイドのディネスさんから教えてもらったことを忘れないようにと本にまとめてあったその本と見比べたりしていると、本を見せてくれというのでお見せしたところ、たまたま私がサドゥーと一緒に撮った写真がはさんであるのを見て、自分もおんなじだといい、隣の建物で行っている儀式に出ていいよ、と招いてくれました。
この方は世界的にも有名なグル(えらいお坊さん)ということで写真を撮ってもいいとおっしゃってくださいました。
たくさんの方がお参りにきては、身体を揉みほぐすようなしぐさがあったり、しばらくお話をされたりして帰っていかれます。
ここで一時間近くもお邪魔してしまいました。
10時を過ぎるとチェックポストも開いたので、入場料1000ルピ-を支払って広場に入りました。
2007年には200ルピーだったものが2009年に300ルピーになったのですが、たぶん地震のあと1000ルピーになったのではないでしょうか・・・。
この後目にする被害を見たら、外国人観光客から1000ルピーを徴収するだけでは “焼け石に水”くらいの役にしかたたないなぁ と思いました。
しかもです! 観光客の少ないこと、少ないこと!
こんな時だからこそ多くの方にネパールに行って頂いて、復興の応援をして頂きたいものと思いました。
そんなことを思いながら広場へと進みます。
続きはまた後日になります。
受け取るときに担当の方におそるおそる画像が出るのか聞いてみると、カメラを操作してくださいました。 わあーっ でた、でたー バンザーイ!
ということで、画像が無事でしたので、今回訪問の最初からブログを書くことができることになりました。
ですが、今回の訪問の目的が、“大地震から一年後の世界遺産の様子を見る” ことでしたので、新たにご紹介するようなことはなく、以前ご紹介した街の様子や崩れてしまった世界遺産等の様子ばかりになってしまいそうです。
2016.5.7(土)
今回同行して頂くことをお願いしたガイドのディネスさんはこの日は都合が悪いとのこと。
一日は私一人で街の様子を見たり、カトマンドゥのダルバール広場の様子を見に行くつもりでしたので、この日が充てられ好都合でした。
タメルの表通りは鉄筋の入った、どちらかというと新しい建物が多いせいかそれほど目立って崩れたままの家は見られませんでした。
タメルチョークからタンヒティチョークに向かう通りをメインの通りとするとその一本東の通り(カレーのお店・ロータスや喫茶店・ちくさのある通り)をJyata(ジャタ)というそうですが、その通りは今では中国人街のようになってしまいました。
10年前は大きなホテルと病院が中国っぽいと思ったくらいでしたが、この3~4年の間に看板が中国語であふれていました。
中国からのお客様が多いのはいいのですが、その人たちが、中国人の経営するホテルに泊まり、中国人の経営するレストランで食事をし、中国人の経営するおみやげ屋さんでおみやげを買うのでは、果たしてどれだけネパールが潤うの??? と心配にもなるところ。
中国人街に続くここから先はネパール人の台所と呼ばれる通り。
通りの小さな寺院は今までと変わりない姿。(向かって左のシンガが少し傾いていますが。)
この路地の奥には広場を囲んで古い家々があるはずですが、そこまでは勝手には入れません。(入口には神さまへのお供えが置いてあります)
道端ではシェルと呼ばれる米粉で作ったドーナツを揚げて売っています。
ここ数年はサンガの銀杏旅館泊まりが多かったので、シェルもしばらく買っていませんでしたが、値段を聞いてみればよかったー!(日本円にして一個10円か15円くらいかと・・・)
アソンチョークに近づきました。
ネパールの野菜も日本とほぼ同じようなもの、色つやもいいですね。
香辛料など
干し魚など
地元の買い物客でごった返すアソンチョークもこころなしかさびしくなっているような気がしました。
アソンチョークのシンボル アンナプルナ寺院。
10年前も5年前も変わりなくお花を売っていたこの方も今日も健在でした。
タパラ(葉っぱで作ったお皿)を売っていた人たちの姿が見えないのが心配・・・。 ここを通るたびに挨拶していたのでどうしたかな~と気になります。
アソンチョークから王宮広場とは反対のラトナパークの方に行ってみました。
なんと、こんなところで牛が休息しているではありませんか。
歩道橋の上から見た景色。 曇り空なのと排気ガス?で、今が盛りのジャカランダもぼんやりです。
乾季なのでラーニポカリの水も干上がっている感じ。
橋の手前にあった高校は地震のために使えなくなってしまったとのこと。
しばらく景色を眺めて元のアソンチョークにもどり、インドラチョークに向かいました。
途中にセトマチェンドラナートがありますが、何度歩いてもうっかり見落としてしまいそう・・。
ハトがますます多くなって糞の被害も相当なもの・・・。でもネパールではハトだけでなく蚊までもかわいがり?ますので追い払ったり、殺したりはしないとディネスさんが言っていましたっけ・・・。
ご本尊は白いお顔の観音様ですがお参りの人が多くて写真には撮れませんでした。
よく見ると外の壊れかけたケースの中に白いお顔のこんな神さまもいらっしゃいました。
他にもいろいろな神さまが・・・。
やがてインドラチョークに出ました。
アカスバイラヴ寺院。 支えなどはみられませんので被害は少なかったのかもしれません。
いよいよカトマンドゥのダルバール広場(旧王宮広場)に到着です。
タレジュ寺院は私の最も好きな建物です。見るたびに心が引き締まります。 ヒンドゥー教徒でも年に一度(ダサインの9日目だけ)しか中に入ることはできません。一年前の地震でどれくらいの被害があったのかは塀の外からはうかがいしれませんでした。
7時過ぎから歩き始め、まだ9時ということもあって、商店が開く前のシャッター前露店がとにかくたくさん・・・。
このあたりはカーテンやベッドカバーその他いろいろに使える大きな布や衣類を扱っている露店がが多かったですね。
シンボルのピーパルの木のところまでやってきました。
こんなに青々と葉の繁っているのを見るのは何年ぶりでしょう・・・。 木を見ても神々しさを感じます。
根元に作られた祠が少し崩れて傾いているのが気にかかります。
2007年12月のピーパルの根元の祠
懐かしく、又、心配しながら眺めていたら右の方に声をかけられました。
8年前に、ガイドのディネスさんから教えてもらったことを忘れないようにと本にまとめてあったその本と見比べたりしていると、本を見せてくれというのでお見せしたところ、たまたま私がサドゥーと一緒に撮った写真がはさんであるのを見て、自分もおんなじだといい、隣の建物で行っている儀式に出ていいよ、と招いてくれました。
この方は世界的にも有名なグル(えらいお坊さん)ということで写真を撮ってもいいとおっしゃってくださいました。
たくさんの方がお参りにきては、身体を揉みほぐすようなしぐさがあったり、しばらくお話をされたりして帰っていかれます。
ここで一時間近くもお邪魔してしまいました。
10時を過ぎるとチェックポストも開いたので、入場料1000ルピ-を支払って広場に入りました。
2007年には200ルピーだったものが2009年に300ルピーになったのですが、たぶん地震のあと1000ルピーになったのではないでしょうか・・・。
この後目にする被害を見たら、外国人観光客から1000ルピーを徴収するだけでは “焼け石に水”くらいの役にしかたたないなぁ と思いました。
しかもです! 観光客の少ないこと、少ないこと!
こんな時だからこそ多くの方にネパールに行って頂いて、復興の応援をして頂きたいものと思いました。
そんなことを思いながら広場へと進みます。
続きはまた後日になります。