junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

18度目のネパール 初ハプニング

2017-05-18 07:16:13 | ネパール
 2017.5/5(金)~5/12(金)

家の事情があるため今回の訪問もとても少ない日程です。

ところが、11年目にして初めてのハプニング(下痢)が発生、山の学校にも行けず、ご報告することがほとんどなく終わった今回の訪問でした。


5/5日(金)

朝7:00少し前に家を出、途中中国の白雲空港で5時間も待って、ネパールのサンガの銀杏旅館に着いたのは5/5日の夜12時近く。(日本時間では翌日の午前3:00ころです)


5/6(土)

私の近所に住むネパール人・アミタさんの妹さんがパタンに住んでいるとのことで、妹さんに届けて欲しいと荷物をお預かりしました。

バスに乗ってパタンに一人で行くのは久しぶりのことなので楽しみに出かけました。

ところが、

以前は大きなバスパークから出ていたパタン行きのバスは新しく変わったバスパークからではありませんでした。

何人かの人に聞いているうちに、そこまで案内してくれる人が現れました。

「大丈夫かな~」 と思いつつついていくと、「ここだからね」と言って立ち去ってしまいました。「ああ、いい人で良かった」と胸をなでおろしたものです。

以前空港で「親切な人がいるな~」と思ったら、あとで「1000円、1000円」と請求されたことがチラッと頭に浮かんだのです。

ネパールでもそんな人ばかりではないことがわかり、この時はうれしかったです。


やっとパタン行きのバスに乗れホッとしたのですが、着いたところがこれまた、いつも私が下りていたパタンゲート(パタンドカとも言う)ではなく全く知らないところ。

広い道の真ん中に小さな寺院があり、そこに咲くジャカランダはきれいでした。

帰りに反対側からも撮りました。(こちらが正面のようです)


バスを降りた道路の反対側が広場になっていてバスがいっぱい停まっていたので、ここはここで、バスパークのようです。

帰りに分かったのですが、そこはラガンケルというところのようでした。


パタンの山車祭りの山車が二台停まっていて、その山車にたくさんの人がお参りをしていました。










バスのお兄ちゃんが、あっちと指さして教えてくれた方向に歩きます。


きょろきょろしながらまっすぐ進むと、見覚えのある建物が見えてきました。

そこはマンガルバザールと言って、多くの観光客が最初に歩き初めるところでした。



アミタさんの妹さんのご主人もそのお父さんも仏像などを作っているかなり有名な方とのこと。

簡単な場所(マハーボウダの近く)と電話だけを頼りに家を探しました。

マハーボウダ寺院の近くに行ってから近くにいた人に聞くと、あっち行って右・・と教えて下さり、右に曲がった先の店主さんのいる一軒のお店でさらに聞くと、そばにいた息子さんが知っているということで、すぐ連絡を取ってくださり、ご主人が迎えに来てくださいました。

通り沿いと聞いていましたが一軒奥まったところでした。

お邪魔してご家族のみなさんにお会いし、私はすっかり忘れていましたが、話をしているうちにこのご家族が昨年日本に来た時に一度アミタさんの家でお会いしていたことを思い出しました。

お茶を頂き、お預かりしたものもお渡しでき、私の今日の役目がおわりました。

ご家族の皆様です。


ご主人がカトマンドゥまで車で送って下さると言ってくださったのですが、私はせっかくなので、あちこち見ながら歩きたいとお断りして、バスでカトマンドゥまで戻り、バスを乗り継いでサンガに戻りました。

本当はカトマンドゥで知り合いを訪ねようと思ったのですが、帰りに、アミタさんにと行く時よりもさらに重いものを預かってしまい、それが肩にずっしりと重く、たくさん歩くのはムリそうだったので予定を取り止めて帰ることにしました。

ということで、2:00過ぎにはサンガに戻ってしまったのですが、中途半端な時間だったので、行きに入れてもらったボトルのお水とお菓子をつまんで、おやつタイムとしました。


悲劇はその晩から突然始まりました。

11年目にして初めてのハプニング。夕食を戴いてすぐにひどい下痢が起こりました。 

後で考えるに・・・ 原因はどうも行く前にボトルに入れてもらった水のようでした。

出先でも少しは飲んでいたのですが、まだたくさん入っていたので、帰ってからおやつの時に全部飲み干したのでした。

銀杏旅館の筋田さんは 「タンクが2つあり、洗い物やシャワーと飲み水は別けていて、一つのタンクの水はそのまま飲んで大丈夫の水」 と言っていましたが、その水がどうもいけなかったようです。

夜寝ていてもちょくちょく目が覚めてはトイレに駆け込んでいました。


そんなことで、

5/7日(日)

この日は出かけるわけにもいかないので、一日銀杏旅館で過ごしました。

昼食後、これを飲めば下痢がぴたりと止まるというオレンジ色をしたジワンジャルという物を1ℓ飲むと、本当に止まりました。

やれやれよかった!

この時点で、今回は山の学校に行くのはムリそうだと思い、やめることに決めました。


5/8日(月)

お腹も癒えてきたようなので、カトマンドゥに出てネパール語の先生を訪ねることにしました。

何となく怪しいお腹の具合でしたが、片道1時間のバスも何とか大丈夫でした。 

先生にお会いし、あすからの授業をお願いして長居はせずに帰途につきました。

帰りも何とか大丈夫でした。


バスパーク近くに咲くジャカランダ。





5/9日(火)

ネパール語の授業は12:00からでしたので、早い分にはお茶を飲んで時間をつぶせばいいからと余裕を持って2時間半前には出かけることにしました。

外に出て歩き出したもののどうもお腹が冷えて怪しいので、一度戻って筋田さんからホカロンを分けて頂き、お腹に貼って出直しました。

ところがところがです・・・。

この日はブッダジャヤンティと言ってお釈迦様のお祭りの日とのこと、カトマンドゥまでのバスも途中から混みだし、全く動かない状況になりました。

そうこうしているうちにお腹の具合があやしく・・・。 せっかく張ってきたホカロンの効き目もなく、途中でバスも全く動かなくなったこともあり、停留所ではなかったのですが、ここで下りますと言ってバスを飛び下り、他の車の間を縫って近くにあったお店に飛び込んでトイレをお借りしたいとお願いしました。

日本のように店の中にトイレがあるわけではなく、外のちょっと歩いたところまで若い方が案内してくれ、なんとか事なきを得ました。

ここで、すでにネパール語の先生との約束の12:00を過ぎてしまいました。

ケータイもないので、そのまま次にやってきたバスに乗りました。


ところがところが・・・、

そのバスはいつものバスパーク方面には行かず、その道を通り過ぎて大分行ったところで曲がりました。まわりは見たことのない景色、ここはどこ?あの建物はなに?という感じであわてました。

ただ、バスパークと平行している道を曲がったらしいということが感覚でわかりましたので、あまり遠くに行きすぎないうちに下りた方がよさそうと思い、そこでもバスを飛び下り、私の行きたい“タメルチョーク”はどっちですか?と聞きながら、「まっすぐ行って左、まっすぐ行って右」と言われるままに進んで行くと、見覚えのある歩道橋に出ました。

先生の所に着いたのは何と1:00近く。1時間も遅刻をしてしまいました。

2時間の授業のうち1時間だけ授業を受け、終ってから両替や昼食など済ませて帰途に着きました。

帰りは何とか大丈夫。


5/10日(水)

ず~っとすっきりしない天気が続いていましたが、今朝は何とかお日様が顔を出しました。


まわりの住宅も徐々に建て替えられています。


ちなみに私の滞在したサンガの銀杏旅館はカトマンドゥよりさらに300mほど高いところで1700mくらいあるせいか朝晩はかなり肌寒く毎日ダウンのジャケットを着て過ごしました。

この時期にまさかダウンのジャケットがいるとは思わなかったと話しながらの朝食です。

ミナちゃんは毎日ここでお参りをします。



この日もネパール語の先生の所に行きましたが、往復とも何とか無事に過ぎました。


バスを降りて先生のところに伺う途中で見かけた風景。

古い寺院のようでしたが地震のために隣のビルに倒れ掛かり、隣のビルの一部が少し傾いているようです。


5/11日(木)

この日はもう23:00の便で日本に帰る日なのでカトマンドゥには出ずに、洗濯や帰り支度をして一日のんびりと過ごしました。


銀杏旅館の工事も昨年12月よりは少し進んでいるようですが、作業をする人の気分でなかなかはかどらないのが現実のようです。


遠くから見た銀杏旅館。なかなか立派です。




空港までの車は夜の8:30分にお願いし、夕食後に銀杏旅館を後にしました。


空港ではこれも11年目にして初めての経験で、最初のX線検査場で筋田さんからお預かりした荷物も、私の荷物もどちらも開くように言われました。

筋田さんからお預かりしたものは、日本から子供たちのために衣類を運ぶための空のダッフルバッグ多数と奥さまに頼まれたというコーヒーが入っていたのですが、それがX線に映し出されチェックされたのでした。

私のトランクは、例のパタンでお預かりしたものがひっかかりました。

お預かりしたのはいいのですが、中身は何かと聞かれ、冷蔵庫で保存していたので、食べ物らしいとは思いましたが、お味噌のように柔らかいのですが何というものか聞いておりませんでした。

アミタさんの妹さんが、二重、三重に輪ゴムでぐるぐる巻きにして留めてあったものを苦労して開くと、現地の方は見てすぐわかったらしく、しまっていいと言って下さいました。

これはなんというものですか? と逆に私が質問すると、「グッパック」と教えて下さいました。
又どこかでひっかかるといけないので、その場でメモをし名前を忘れないようにしました。

元のようにぐるぐる巻きにして仕舞いましたが、開けるのを手伝って下さった担当者の方も私も手がべたべたになってしまいました。(でも大丈夫、私は常にバッグにウエットティッシュを入れていますので・・)

日本に戻って、アミタさんにお届けすると、それは2月に出産をしたアミタさんのためにお母さんが作って下さったもので、出産した人にとてもいい食べ物とのことでした。


今回の訪問は「これだけ!?」ということだけで終わってしまいました。

新しく建て替えた家も増えてはいますが、まだまだのネパールです。 

下痢になったこと、バスを途中で降りたこと、トイレが借りられたこと、再度乗ったバスが思いもよらないところに行ってしまったこと、空港でX線検査にひっかかったこと等18回目の訪問にして初めて経験したたくさんのこともいい思い出となることでしょう。


最後に、銀杏旅館のすぐ前のお茶屋さんのオーナー。私の顔を見るといつも声をかけて下さいます。笑顔っていいですね。



簡単ですが、以上で今回の報告を終わります。