今回のネパール訪問はハチマキを集めるために全校生徒に呼びかけをし寄付してくださった埼玉県立越谷北高校の生徒会の生徒さん二人(森優斗クン3年生・生徒会長、大村健太クン2年生)が主役です。
ハチマキは6/13日に戴いていました。 250本もあります。
ハチマキにメッセージを入れてくれた生徒もありました。 日本語、英語さらにどこで調べたのかネパール語もありましたよ!
きっかけはカタツムリで一緒に歩いている加藤遼太郎くんのお母様からの情報でした。
遼太郎くんの高校ではハチマキは毎年新しく買い替えるので使ったものは廃棄されるらしい・・・とのことで、それならネパールに・・・ということになりました。
すぐに校長先生と生徒会長さん宛てに手紙を書いてお願いしての結果でした。(この方法も遼太郎君くんのお母様が教えてくださいました)
とにかく反応が早く校長先生→教頭先生→生徒会顧問の先生→生徒会と話しをつなげて下さり、生徒会ですぐに取り組んでいただいた結果のことで、ホントに感激したものです。
日本も捨てたもんじゃない・・・ と思うのはこんな時ですね。
今回は彼らが初めて経験したネパールの様子や山の学校で経験したことなどを書こうと思います。
2014.8.19(火)
成田空港9:30分発の中国南方航空、広州・白雲空港経由でネパールに向かいました。
私も初めての路線でしたので、高校生二人に引っぱってもらうことにし付いて行きました。
結果的には高校3年生、2年生ともなると私がいなくとも二人で充分行動できることがわかりました。
カトマンドゥに着いたのは現地時間の22:15分でしたのでその日の景色は見られませんでした。
2014・8・20(水)
昨夜、空港から車で50分ほどかかるサンガというところにあるボランティア拠点の銀杏旅館に着いたのが現地時間0:00近くでしたので(日本時間3:00過ぎ)、今朝は早くは起きられないだろうと思っていたのですが、みんな意外と早く7:00過ぎ(日本時間では10:15過ぎ)には起きてしまいました。 6~7時間は寝られたでしょうか・・・。
ボランティアの拠点となるサンガの銀杏旅館は現在建築中のためオーナーの筋田さんの部屋でみんなで雑魚寝状態でした。
朝起きて初めて見たのがこのベランダからの景色。 雨季なので遠くのヒマラヤは全く見えませんでしたがもやのあがって来るようすや近くの畑の風景を眺めながら朝食もここでいただきました。
奥に見える男性は20日も前から筋田さんのボランティア活動を視察に見えた滋賀県の方です。
朝食後少しゆっくりしてからローカルバスでタメルまで出ました。
私たちだけでは心配だったのか筋田さんも一緒について来てくださいました。
地元の人の通う商店や露店を見ながらの歩き。おみやげ屋さん等も覗きどんなものがおみやげによさそうか下見をしました。
山の子供たちへのおみやげ(水牛の干し肉)を買ったりし、ぐるぐる見て回っているうちに12:00も過ぎお腹も空いたので、筋田さんお勧めのネパール料理のおいしいお店に入りました。
私は彼らが初めてのネパール料理・ダルバートが食べられるかとても心配でしたが、何ときれいに食べてくれました。
完食です!
手前は私の食べかけ・・。
※帰る日に聞いたところによると・・・ 二人ともネパールの食事が食べられなかった時のためにと、ふりかけやカロリーメイトなどを持参したそうですが、全く使わずに済んだようです。
食事をしながら筋田さんが、ここから世界遺産の一つ・スワヤンブナート寺院に簡単に行けるという話をしたため、食後彼らだけで行くことになりました。
森クン、大村クンはこの日の午後到着する大学生8名と合流し、大学生と一緒にボランティア活動をすることになっています。(大学生とはすでに日本で打ち合わせ済み)
スワヤンブナート寺院から戻って大学生と一緒に泊まるホテルで合流できるよう場所のチェックをし、少しだけ道案内して私と筋田さんは彼らと別れサンガまで戻ってしまいました。
その後無事大学生とも合流できたことが大学生から筋田さんに入った電話でわかりました。
(私はスワヤンブナート寺院には行かなかったため残念ながらその時のようすはご紹介ができません。)
2014.8.21(木)
高校生は大学生と一緒にタメルの散策、買い物、食事を楽しみ午後にはサンガのホテルに移動。(銀杏旅館の工事が間に合わず泊まれないのでサンガのホテル泊まりとなった)
夕方にみんな銀杏旅館にやってきました。
サンガのホテルはシャワーのお湯が出ないとのことで銀杏旅館でシャワーを済ませ、夕食は銀杏旅館で食べることになりました。
にぎやかな夕食風景。
大学生のお一人がこの日誕生日ということでサプライズがありました。 みんなしゃれたことをしますね!
夕食後は山の下のホテルに戻って行きました。
その戻り方ですが・・・
雨が降ったため下りの山道はすべって危ないからとパンネくんがバイクに二人づつ乗せ、5往復し10人をホテルまで送り届けたのでした。
2014.8.22(金)
高校生は大学生と一緒に銀杏旅館から歩いて1時間ほどのところにあるアサブリというところの学校に行きボランティア活動をしました。
(私は付いて行かなかったためこの日の様子もご紹介できません。)
帰りに銀杏旅館に寄りましたが、今日の夕食はホテルのレストランですることにし、全員シャワーだけ使い、6:30過ぎ山を下って行きました。
2014.8.23(土)
いよいよ今日からメールダラというところにある山の学校に出かけます。
チャーターしたバスに不具合が生じ、新しいバッテリーが届くのを待ち、取り替えるのを待ったりしたため朝の出発が予定より2時間も遅れました。
途中ドラルガートというところで食料の調達。約1時間。待つ間も暑くて暑くてまいりました。
その少し先で、魚のから揚げ付きダルバートの昼食、吊り橋のあるスクテに着いたのはなんと午後1:30ころ!
吊り橋を渡る森クン
大村クン
この先はミルク運搬のトラックで学校まで・・・。 ところがここでも問題勃発・・・。
大学生8人、高校生2人、その他の大人が4人、それぞれの大きなザックが14個にプレゼント用衣類の入ったダッフルバッグも数個。おまけに一般の村人も便乗するため6~7人も待っています。
さらにガスボンベ2本、大鍋二つ、圧力なべ、20人分の食器類に1週間分の野菜・果物・卵・油等々、一台では到底積みきれるものではありませんでした。
仕方なく2班に別れ、ミルクトラックには2往復してもらうことにしました。
学校で待ってくれていた子供たちのがっかりした顔が目に見えました。
それでも4:30頃には何とかみんな到着。
大歓迎を受けました。
私たちの宿泊する部屋は以前は半分しか床がなかったのですが、残り半分にも床が張られひろ~くなりました。
その広くなった部屋に落ち着き、大学生先導で打ち合わせ、班分けをし毎日の食事当番も決まりました。
さっそく夕食作りに取り掛かってくれました。 ストロボなしでは暗くてよく見えませんね。失敗。
次からはストロボをたきました。
夕食の終わるのを待ちわびたこどもたちは私たちの泊まる部屋に入ってきて大学生・高校生と遊んでいました。
大学生の代表・高島洸太さん(大学生メンバーの大学はそれぞれですが、彼は法政大学の3年生です。)
高島クンは子供たちに大モテです。それもそのはず、柔道をやっているという彼は全くの疲れ知らず。朝から晩まで目いっぱい子供たちと遊ぶのですから!
そのあと外でダンスが始まったそうですが、私はすでに夢の中でした。
夜中にトイレに起きたとき、教室で何かの気配を感じたのですが、ネズミかな・・?くらいで中をのぞいてはみませんでした。
朝起きてびっくり・・・!
教室から子供たちがゾロゾロと出てくるではありませんか!(男の子だけ10人くらい・・) 昨夜は食事を食べさせてもらい学校に泊まったということでした。
ハチマキは6/13日に戴いていました。 250本もあります。
ハチマキにメッセージを入れてくれた生徒もありました。 日本語、英語さらにどこで調べたのかネパール語もありましたよ!
きっかけはカタツムリで一緒に歩いている加藤遼太郎くんのお母様からの情報でした。
遼太郎くんの高校ではハチマキは毎年新しく買い替えるので使ったものは廃棄されるらしい・・・とのことで、それならネパールに・・・ということになりました。
すぐに校長先生と生徒会長さん宛てに手紙を書いてお願いしての結果でした。(この方法も遼太郎君くんのお母様が教えてくださいました)
とにかく反応が早く校長先生→教頭先生→生徒会顧問の先生→生徒会と話しをつなげて下さり、生徒会ですぐに取り組んでいただいた結果のことで、ホントに感激したものです。
日本も捨てたもんじゃない・・・ と思うのはこんな時ですね。
今回は彼らが初めて経験したネパールの様子や山の学校で経験したことなどを書こうと思います。
2014.8.19(火)
成田空港9:30分発の中国南方航空、広州・白雲空港経由でネパールに向かいました。
私も初めての路線でしたので、高校生二人に引っぱってもらうことにし付いて行きました。
結果的には高校3年生、2年生ともなると私がいなくとも二人で充分行動できることがわかりました。
カトマンドゥに着いたのは現地時間の22:15分でしたのでその日の景色は見られませんでした。
2014・8・20(水)
昨夜、空港から車で50分ほどかかるサンガというところにあるボランティア拠点の銀杏旅館に着いたのが現地時間0:00近くでしたので(日本時間3:00過ぎ)、今朝は早くは起きられないだろうと思っていたのですが、みんな意外と早く7:00過ぎ(日本時間では10:15過ぎ)には起きてしまいました。 6~7時間は寝られたでしょうか・・・。
ボランティアの拠点となるサンガの銀杏旅館は現在建築中のためオーナーの筋田さんの部屋でみんなで雑魚寝状態でした。
朝起きて初めて見たのがこのベランダからの景色。 雨季なので遠くのヒマラヤは全く見えませんでしたがもやのあがって来るようすや近くの畑の風景を眺めながら朝食もここでいただきました。
奥に見える男性は20日も前から筋田さんのボランティア活動を視察に見えた滋賀県の方です。
朝食後少しゆっくりしてからローカルバスでタメルまで出ました。
私たちだけでは心配だったのか筋田さんも一緒について来てくださいました。
地元の人の通う商店や露店を見ながらの歩き。おみやげ屋さん等も覗きどんなものがおみやげによさそうか下見をしました。
山の子供たちへのおみやげ(水牛の干し肉)を買ったりし、ぐるぐる見て回っているうちに12:00も過ぎお腹も空いたので、筋田さんお勧めのネパール料理のおいしいお店に入りました。
私は彼らが初めてのネパール料理・ダルバートが食べられるかとても心配でしたが、何ときれいに食べてくれました。
完食です!
手前は私の食べかけ・・。
※帰る日に聞いたところによると・・・ 二人ともネパールの食事が食べられなかった時のためにと、ふりかけやカロリーメイトなどを持参したそうですが、全く使わずに済んだようです。
食事をしながら筋田さんが、ここから世界遺産の一つ・スワヤンブナート寺院に簡単に行けるという話をしたため、食後彼らだけで行くことになりました。
森クン、大村クンはこの日の午後到着する大学生8名と合流し、大学生と一緒にボランティア活動をすることになっています。(大学生とはすでに日本で打ち合わせ済み)
スワヤンブナート寺院から戻って大学生と一緒に泊まるホテルで合流できるよう場所のチェックをし、少しだけ道案内して私と筋田さんは彼らと別れサンガまで戻ってしまいました。
その後無事大学生とも合流できたことが大学生から筋田さんに入った電話でわかりました。
(私はスワヤンブナート寺院には行かなかったため残念ながらその時のようすはご紹介ができません。)
2014.8.21(木)
高校生は大学生と一緒にタメルの散策、買い物、食事を楽しみ午後にはサンガのホテルに移動。(銀杏旅館の工事が間に合わず泊まれないのでサンガのホテル泊まりとなった)
夕方にみんな銀杏旅館にやってきました。
サンガのホテルはシャワーのお湯が出ないとのことで銀杏旅館でシャワーを済ませ、夕食は銀杏旅館で食べることになりました。
にぎやかな夕食風景。
大学生のお一人がこの日誕生日ということでサプライズがありました。 みんなしゃれたことをしますね!
夕食後は山の下のホテルに戻って行きました。
その戻り方ですが・・・
雨が降ったため下りの山道はすべって危ないからとパンネくんがバイクに二人づつ乗せ、5往復し10人をホテルまで送り届けたのでした。
2014.8.22(金)
高校生は大学生と一緒に銀杏旅館から歩いて1時間ほどのところにあるアサブリというところの学校に行きボランティア活動をしました。
(私は付いて行かなかったためこの日の様子もご紹介できません。)
帰りに銀杏旅館に寄りましたが、今日の夕食はホテルのレストランですることにし、全員シャワーだけ使い、6:30過ぎ山を下って行きました。
2014.8.23(土)
いよいよ今日からメールダラというところにある山の学校に出かけます。
チャーターしたバスに不具合が生じ、新しいバッテリーが届くのを待ち、取り替えるのを待ったりしたため朝の出発が予定より2時間も遅れました。
途中ドラルガートというところで食料の調達。約1時間。待つ間も暑くて暑くてまいりました。
その少し先で、魚のから揚げ付きダルバートの昼食、吊り橋のあるスクテに着いたのはなんと午後1:30ころ!
吊り橋を渡る森クン
大村クン
この先はミルク運搬のトラックで学校まで・・・。 ところがここでも問題勃発・・・。
大学生8人、高校生2人、その他の大人が4人、それぞれの大きなザックが14個にプレゼント用衣類の入ったダッフルバッグも数個。おまけに一般の村人も便乗するため6~7人も待っています。
さらにガスボンベ2本、大鍋二つ、圧力なべ、20人分の食器類に1週間分の野菜・果物・卵・油等々、一台では到底積みきれるものではありませんでした。
仕方なく2班に別れ、ミルクトラックには2往復してもらうことにしました。
学校で待ってくれていた子供たちのがっかりした顔が目に見えました。
それでも4:30頃には何とかみんな到着。
大歓迎を受けました。
私たちの宿泊する部屋は以前は半分しか床がなかったのですが、残り半分にも床が張られひろ~くなりました。
その広くなった部屋に落ち着き、大学生先導で打ち合わせ、班分けをし毎日の食事当番も決まりました。
さっそく夕食作りに取り掛かってくれました。 ストロボなしでは暗くてよく見えませんね。失敗。
次からはストロボをたきました。
夕食の終わるのを待ちわびたこどもたちは私たちの泊まる部屋に入ってきて大学生・高校生と遊んでいました。
大学生の代表・高島洸太さん(大学生メンバーの大学はそれぞれですが、彼は法政大学の3年生です。)
高島クンは子供たちに大モテです。それもそのはず、柔道をやっているという彼は全くの疲れ知らず。朝から晩まで目いっぱい子供たちと遊ぶのですから!
そのあと外でダンスが始まったそうですが、私はすでに夢の中でした。
夜中にトイレに起きたとき、教室で何かの気配を感じたのですが、ネズミかな・・?くらいで中をのぞいてはみませんでした。
朝起きてびっくり・・・!
教室から子供たちがゾロゾロと出てくるではありませんか!(男の子だけ10人くらい・・) 昨夜は食事を食べさせてもらい学校に泊まったということでした。