20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

「初秋」

2008年08月21日 | Weblog
 タイトルに「初秋」と書きましたが、今日の書き込みは早川書房から出ているロバート・パーカーの、私立探偵スペンサー・シリーズの傑作、『初秋』についての書評ではありません。
 でも反射的にパーカーを思い浮かべるなんて、我ながら、なかなかいいセンスかもと、自画自賛に興じ書き込みながらニタリとしています。

 このところ、日暮れが早くなりました。
 昨日、帰宅して慌ただしく洗濯物をとりこんでいたら、飛行機雲が青い空に、ぐんぐんと真っ白な線を描いていました。
「明日はきっと、雨」
 飛行機雲を見かけた翌日は、必ずといっていいほど雨です。
 案の定、夕方には雨になりそうです。
 
 気がつけば朝晩はもう、すっかり初秋です。
 季節のうつろいというのは、おかしいくらい生真面目にやってきます。
 それにしても初秋の夕暮れの雨は、うるさかった蝉たちのざわめきも静め、なぜかだれもいない海にぽつんと放り出されてしまったようで、いつも、もの悲しい気持ちがしてきます。
 夏のおわりが近づいています。
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夏の贅沢

2008年08月20日 | Weblog
 今日は友人とランチデートでした。
 彼女とはこうして年に4回くらいはランチをご一緒して、楽しいおしゃべりに花を咲かせています。
 けれど、この暑さ。
 夏のおしゃべりはいつも、ホテルでと決めています。灼熱の炎天下をうろうろ歩かないですむからです。
 今年は、彼女ご贔屓のホテルオークラの「さざんか」でお食事を楽しみました。そのあとは別館の1階ティーラウンジでお茶。
 昨年の夏は、帝国ホテルの「なだ万」でお食事をして、そのあと17階のラウンジで日比谷公園を見下ろしながらお茶をしました。
 ホテルでのお食事やお茶は、他と比べて3割くらいはお高めです。ですから年に一度の、夏の贅沢です。
 でもやはり、ホテルでの一日は快適です。
 
 同じホテルでも目を転じれば、近年、東京には外資系のホテルが林立しています。
「マンダリンオリエンタル」「グランドハイアット東京」「リッツ・カールトン」などなど・・・。
 いずれも「ミシュラン」で「豪華で最高級(さらに快適)」のホテル」として格付けされているものです。
 いつかそんなホテルで、ランチでのささやかな夏の贅沢など飛び越し、ドレスコードで、目の玉が飛びでそうなくらいステキなディナーを楽しんでみたいものだと、手ぐすねをひいているところです。
『これじゃ、痩せるのなんて、無理、無理』
 どこからか、そんな声が聞こえてきそうですが。
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『ピンポンはねる』(ポプラ社刊)

2008年08月19日 | Weblog
 友人の作家、工藤純子さんから新刊をご恵贈いただきました。
 工藤純子さんは『GO! GO!チアーズ』(ポプラ社 Dream スマッシュ)でデビューされた新人作家です。現在は「季節風」の編集委員もされています。
 この『ピンポンはねる』が三作目のご著書になります。
 一作目、二作目でチアーガールの女の子たちの友情を書かれた工藤さんは、今回では卓球少女たちを描いています。
 工藤純子さんご自身がもしかしたらスポーツ少女だったのかも知れません。
 チアガールにしても、卓球にしても実に楽しく、生き生きと細部にまで目を行き届かせて書いていらっしゃるので。

 今回、工藤さんの作品を拝読しながら、それとは別に不思議な感動を覚えている自分に気づきました。
 それは「魚のめがねで世界を見れば・・・」から発展していく、子どもたちの思考の深まりの独自性と、作家・工藤純子が発見した「個別の感動」についてのところです。
「これは、もしかしたら、ありきたりのスポーツ物語ではないかもしれない」
 そのとき、ふとそんな直感が脳裏をよぎりました。
「子どもを、どう捉えるか」あるいは「人間を、どう深めていくか」
 それを、こういう切り口から探り出し深めていった工藤純子さんの作家としての視点の確かさに、「やられたな」という思いがじわじわと胸のなかにひろがっていくのがわかりました。
 そして読み終えて、再度、思いました。
「たしかに卓球の魅力と躍動感が余すところなく書かれていたけれど、この物語はそれだけではない。やっぱりただのスポーツものでもなけらば、キャラクターものでもなかった」と。
 そうです。この作品は卓球の楽しさと魅力を堪能しながらも、他者を発見していく物語でもあったのです。
 
 奇才・松本大洋の作品に『ピンポン』というマンガがあります。
『ピンポン』を読んだときに打ちのめされた、あの感情をふいに思い出しました。
「卓球」に夢中になる「ペコ」や「スマイル」や「アクマ」。登場人物たちのくっきりとかき分けられたキャラクターの魅力に度肝をぬかれたことを。


 こうして「個別の感動」を大切にしながら他者を発見する視点を獲得した彼女の、めざましい作家的成長に、同じく私は度肝をぬかれました。
 そんな彼女の作品の力を、批評という形で援助し続けた後藤竜二氏率いる「季節風」の作品を論じ合う力に、私はあらためて感じいっています。「季節風」の人間を深める視線の確かさと、そのすごさに。

 みなさん、ぜひお読みになってみてください。
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そんな人に私はなりたい

2008年08月18日 | Weblog
 雨にも負けず、風にも負けず、2キロ痩せてスリムな人になりたい。

 おいしいスイーツの誘惑にも負けず、どんなに暑くても日に2回は5分間腰回し体操をして。
 転げ落ちそうになりながらも、痩せることを目指して必死でバランスボールに飛び乗って・・・。
 それでも私は、未だ痩せない。

 炎天下を、一日一回は歩き、日焼け止めクリームが例年より減るのが早いわと、朝、お化粧をするたびにつぶやき。
 レコーディングダイエットが効くと聞けば、生真面目にそれを実践し・・・。
 それでも私は、未だ痩せない。

 ホームで電車を待っているときは、儀式のように必ずぎゅっとお腹をへこませ、歩いているときもなるべくお腹をへこまし・・・
「若い頃と違って脂肪燃焼能力が落ちているのだから痩せるのは難しい」と腐される言葉にも負けず・・・。
 痩せて、
「2キロくらい楽勝よぉ」と高飛車に笑える、そんな人に、私は早くなりたい。
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存在理由

2008年08月17日 | Weblog
 今年の夏はどこにも出かけず、家で過ごしています。
 今日は真夏の暑さがエアーポケットにでも入り込んでしまったように涼しい一日ですが、いつもはエアコンの効いた部屋で、お気に入りの音楽を聴きながら原稿に向かっています。
 そして一日一回は、炎天下を買い物がてら日傘をさして歩いてきます。
 そんな日常が、とても充実していて気持ちいいのです。
 
 作品を書くということは、身を削るような大変さを引き受けることに他なりません。
 でもそれをやり続けているのは、書く楽しみ、表現する喜びを私たちは充分に知り尽くしてしまっているからです。無論、楽しさだけで物語が作り上がられるものではなく、人の心をゆさぶる作品、共感してもらえる作品とはなんぞやと、日々私たちは格闘しているわけです。
 なかでも大切な言葉を中村光夫は『小説入門』(新潮文庫)の「小説の美学」の中でこう語っています。

 書こうとする<嘘>をどうしたら小説のなかで真実に転化できるか。
 それには、制作の動機をもっと深く振り返って見なければなりません。

 書く動機。この突き動かされるような思いがあってはじめて、人の心をゆさぶり、共感してもらえる作品が生まれるのかも知れません。 
 作品を書き上げるということは生半可なことではありません。身を削るような困難さと大変さをともなっている作業です。
 それでも、書くこと、表現することをやめられないのは、大仰ないい方をすれば、もはやそれが自分自身の血や肉と化し、生きるための存在理由になってしまっているからかも知れません。
 
 ともあれ、ベートーヴェンの交響曲5番を聴いていると、そんな気持ちを力強くあと押ししてくれるような気がしてきます。

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ショッピングゥ

2008年08月16日 | Weblog
 今日はスエーデンの家具屋さんのIKEAに行ってきました。
 9月に初お目見えするbabyのことをあれこれ想像しながら、かわいい小物をたくさん買ってきました。
 ウインドウショッピングって、なんて楽しいのでしょう。
 どれもこれも、とってもかわいくて、すっかり時間を忘れ、あれもこれもと山のように買って帰ってきました。
 
 
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カワセミのいる水辺

2008年08月15日 | Weblog
 買い物にいく途中にある公園の水辺です。
 毎年、夏になると、この水辺にカワセミがやってきます。
 ところが今年の夏は見かけません。
 カワセミはスズメのような小さな鳥です。止まり木から池に餌をみつけると、長いくちばしを向け急降下で飛び立ちます。その瞬間、息をのむような美しい瑠璃色の美しい羽を羽ばたかせ、きらきらと水しぶきがたちます。
 その瞬間を見たいがために、カワセミを見かけようものなら暑いのも忘れ、木陰に佇むはめになります。

 カワセミは夏の季語です。けれど、春にもこの水辺にやってきます。
 いつだったか、鳥の生態に詳しい作家のKさんにそのあたりのことを伺ったところ、「カワセミは、一年中いる鳥だよ。夏の鳥ってわけじゃないよ。たぶんその水辺に巣があるんじゃないかな」とのことでした。
 では一年中いる鳥を、俳句の歳時記では、なぜ夏の季語に選んだのでしょう。
 翡翠のように美しい瑠璃色の羽が、夏の空に映えるからでしょうか。
 そんなことを考えながら、なぜか、この夏は見かけることのないカワセミお気に入りの水辺を、なにか物足りないような、ぽかんとした気持ちで眺めていました。
 あたりの雑木林は今日も、蝉時雨。
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花火写真

2008年08月14日 | Weblog
 先日、間違ってデジカメの動画で撮してしまった、東京湾花火大会の写真が、やっとパソコンに取り込めました。
 動画なので画像が荒く、見苦しいですが、ご覧になってください。
 
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花たちも元気です。

2008年08月13日 | Weblog
 ハーブの花がぐんぐん、空にむかってのびていきます。
 お水やりも、忙しさのあまりつい、朝に一度だけ。
 それなのに、この暑さにも負けず、ぐんぐんぐんぐん、空にむかっています。
 木槿も花びらをひらきました。
 
 ベランダの花たちも、私も、今日も元気です。
 仕事は、ちょっとサボリ気味。でも胃のあたりをちょっとチクチクさせながら、日々、ちゃんと自覚しています。
 ネジを巻き直して期日までには手直しを終わらせたい。・・・と、これは願望です。あとひと月くらい猶予がありそうなので、明らかに気がゆるんでいます。

 それから、このblogのコメント機能がうまく使えないというメールを、お二人の方からいただきました。
 コメントを下さろうとチャレンジしてくださった方、申しわけございません。ご迷惑をおかけいたします。
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お盆

2008年08月12日 | Weblog
 明日からお盆。
 父が亡くなったのは、11年前の8月でした。
 父のことを考えるたび、あの日の満開の百日紅の花を思い出します。 
 母が亡くなった日も、やはり百日紅が咲いていました。
 ふたりとも、夏に逝ってしまったんだなと、百日紅の赤い花をみるたびに思います。
 これからずっと、来る年も、来る年も、百日紅の花と共に、父を、そして母を思い出すことになるでしょう。

 義父が亡くなったのは18年前の4月。桜が満開のころでした。
 新宿区戸山にある国立東京第一病院の、父の病室からは満開の桜が美しく咲いているのが見えました。
「桜ですよ。満開です。とってもきれいですよ」
 そういって義父に声をかけたことを、今でも思い出します。
 義父の葬儀は、花吹雪が舞い散る満開の桜の下で行われました。
 早稲田の地を愛した父を乗せた霊柩車が、母校である早稲田大学の大隈講堂の前で止まったときも、まるでボタン雪が舞うように花びらが車にふりそそいでいました。悲しく美しい光景でした。
 
 花の季節とともに亡くなった人たちを思い出し、お墓参りをして静かな気持ちで亡くなった人たちと向き合う。
 若いころは、そんなすべてを夢中でやり過ごしてきました。
 でも年を重ねるごとに、それらすべてを慈しむように大切にしている自分がいることを、折々に気づかされています。
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