20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

物持ちの良さ

2008年08月11日 | Weblog
 先日の会議の帰り、道を歩きながら、作家のMさんと画家のHさんと私の3人で、物持ちの良さについてお喋りしました。
 Mさんは「FAXをもうかなり使っていて、修理するにも部品がないと言われた」と自慢し、Hさんは「私なんか冷気が漏れてる冷蔵庫をずっと使っていたけど、さすがにこれはヤバイと思ってやっと買い換えた」と自慢。
 けれど私も、おふたりに負けず劣らす、かなり物持ちがいいんです。
 冷蔵庫は20年以上使っているし、洗濯機もしかりです。
 FAXだけはなぜかハズレの機種にあたってばかりで、すぐに壊れたり、普通紙のに変えたりと何度か買い換えていますが、あとはなにからなにまで、かなり物持ちがいい方です。
 オーブンレンジにいたってはビルトインのが壊れたときは、Mさんと同じで「よく使いこみましたね。よほど丁寧に使っていたのでしょう。でもこれは、もう古すぎて部品がありません」と業者の方に褒められたくらいです。
 また、アルカリイオン整水器も20年近く使っていて、(もちろんカートリッジはたびたび取り替えていますが)この間、3回くらいモデルチェンジをしているようで、「新しい機種に買い換えませんか」とのお知らせを、日本トリムから何度もいただきました。しかし「壊れてもいないのに、もったいない!」と黙殺しました。ですからずっとむかしの機種をそのまま使い続けているということです。
 じっと生活空間を見つめたら、もっといろいろ出てくるかも知れません。
 要は、それくらい物持ちがいいということを自慢しているわけですが。
 
 ところが、3人でそんなおしゃべりをした翌日、冷凍室から冷気が漏れていることに気づいてしまいました。
 それからというもの、スーパーに買い物にいくたび、通路に陳列してある冷蔵庫につい目がいってしまいます。
「やっぱり買い換えよう」
 ある日、決意して、いままで使っていたのと同じ容量の400リットルの冷蔵庫を、スーパーのバーゲンで買ってしまいました。
 
 さっき、その冷蔵庫が届きました。
 やっぱり新しいのって、気持ちがいい!
 こんなきれいな冷蔵庫に、いろいろなものを入れるのは何年ぶりでしょう。
 うれしくってにたにたしながら、用事もないのに、さっきから冷蔵庫をばたんばたんと、開けたり閉めたりしています。
 
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休日

2008年08月10日 | Weblog
 今日は久しぶりに、息子夫婦、娘夫婦、私たち夫婦の6人で、南青山のフレンチレストラン「ラ・ブランシュ」でランチを楽しみました。
 9月に出産予定の娘がつわりがひどかったため、約束がのばしのばしになっていてやっと実現したのです。
 娘はもうじき9ヶ月です。大きなおなかでふぅふぅ言っています。
 私たちは娘のおなかを幸せな気持ちで眺めながら、出産を心待ちしているところです。

 そんな訳で、楽しいことでみんなで集まるのはお正月以来です。
「ラ・ブランシュ」のフレンチは独創的で、けれど「どうだ!」という、こけおどし的なところがまったくなく、さりげなくプロの仕事を実感させてくれおいしかったです。
 
 今夜は東京湾の花火大会。
 食べ過ぎてしまったおなかを持てあましつつ、お夕食には辛味大根をすりおろしたおろし蕎麦を食べ、デザートに水蜜桃を食べながらリビングの目の前にひろがる大輪の花火を楽しみました。

(花火の写真がどうしてもUPできません。きれいな花火でしたが。明日カメラ屋さんに持ち込み相談してみます)

 
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夏の空

2008年08月09日 | Weblog
 仕事部屋から見上げた、夏の空です。
 ベランダの手すりにかかったベコニアが、風にふかれています。
 このところ東京では積乱雲が発生しやすく、夕方になると遠くの空からごろごろと雷の音が聞こえてきます。
 もくもくと沸きあがる夏雲を見ていると、今日もまた・・・、と思ってしまうくらい。

 夕立ちという、風情ある言葉とはほど遠い、ちかごろのスコール(むかし夫がシンガポールに赴任していた頃、たびたび遭遇した東南アジア特有の雨)みたいな豪雨は、暑さで焼け焦げたコンクリートをたたきつけ、濁流を流していきます。
 このごろの日本ってなんだかおかしいです。立秋といえばたしかに一年で一番暑い季節ではあります。でもかつては朝夕には涼風がさざめき、秋の気配を感じたものです。
 立秋をすぎ、暑さの勢いは日に日にパワーアップしていて、まるで亜熱帯のように暑くて湿気を帯びた空気があたりを覆っています。
 先日タイに赴任している夫の会社の人が一時帰国し、「4~5年前は明らかにタイの方が暑かったのに、いまは東京のほうが暑い」と話していたと聞きました。
 東南アジアの国より暑い国、日本、っていったいなんなのでしょう。

 井上陽水の『傘がない』や『少年時代』の、あの頃の日本がなつかしいような気がします。 
 
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真夏の会議

2008年08月08日 | Weblog
 今日は午後3時から、神楽坂の児文協事務局で「部長・委員長会議」です。
 公益法人制度改革についての論議が、今後繰り返し課題にあがってくると思います。
 
 昨日は午後1時から、新宿「伊勢丹」向かい裏にある、昔ながらの名曲喫茶「らんぶる」で「子どもと本・九条の会」の会報部会でした。あれこれ議論しながらも楽しく、内容の全貌が固まりました。なかなかおもしろそうな会報誌が出来そうです。
 やはり編集者の方たちが中心になってやってくださると、作家や画家の思考とは違った実利的な視点でのこだわりがひろがっていき、とてもおもしろいです。
「ああ、なるほど」といろいろ勉強になりました。
 
 真夏のこの時間帯での会議は大変です。エアコンの効いた部屋からヒートアイランド化した町に繰り出すのには勇気がいります。
 昨日の昼下がりの新宿の町も熱気から陽炎が立ちのぼり、歩いているだけでアスファルトと一緒に溶けてしまいそうでした。
 
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ピンクリボン運動

2008年08月07日 | Weblog
 7月29日、母が亡くなった日の午前中。
 予約してあった健康診断の、超音波と視・触診での乳ガン検査を受けてきました。
 触診での検査は受けたことがありますが、こうした本格的な検査ははじめてでした。
「ピンクリボン運動」といって、乳ガン検査が叫ばれていますが、日ごろ体調がいいときは、こうした婦人科の検査はなんとなく敷居の高いものです。
 でもきちんと検査をして、早めに治療する大切さを、あらゆるメディアの情報から私たちは知っています。
 そんなわけで、きちんとした検査を受けようと決意して予約を入れました。
 友人たちからマンモグラフィーでの検査は「すっごく痛い」と聞いていたので、エコーと触診の病院を探しました。
 エコーはぜんぜん痛くなく、検査時間も10分か20分程度です。
 腹部エコーと一緒で、気軽に受けられる検査方法だと思いました。
 でもほんとうは、マンモグラフィーとエコーを併用するのが完璧な検査方法のようです。マンモグラフィーとエコーにはそれぞれ利点と弱点があるようです。
 ですからベストなのは、一年おきにマンモグラフィーとエコーを交互に行うことだそうです。
 
 今や、予防医療の時代です。
 大正生まれの母たちの時代には、「ピンクリボン運動」なんて言葉はもちろんありませんでした。母も骨粗鬆症ではありましたが、そのほかの病気は持っていなかったようです。
 けれどこういった運動が広まるということは、食生活や生活習慣などから、人間の体が急速な変化を遂げていることだけは間違いないようです。
 そのために医療格差はますます広がり、『日経ヘルス』などを読むと、美容のアンチエイジングではなく、体のアンチエイジングのための(例えば癌予防などのためにひと月7~8万円かけて、すでにアメリカなどで、強力な抗酸化作用として承認されている高濃度ビタミンC点滴を受けたり)などの治療をはじめた医療機関が次々と開設されているようです。
 我々庶民は、せめて検査くらいは受けて、自分の身を守りたいものです。
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木の葉のレース編み

2008年08月06日 | Weblog
 真夏の木かげの贈り物です。
 葉っぱが、お日さまに照らされ、まるでレース編みのような木かげ模様を作りあげています。
 見回すと、あちらにもジグザク模様の木かげが。
 
 ふり仰げば、降るような蝉時雨。
 日傘をくるんと回すと、また私は歩き出します。
 夏は、いまが真っ盛りです。

 
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毀誉褒貶(きよほうへん)

2008年08月05日 | Weblog
 留守中にたまってしまった新聞を整理していて見つけたのが、グッケンハイム美術館に関する記述です。
 カタツムリのような奇妙な形をしたこの美術館は、ニューヨークのセントラルパークの東側にあります。カンディンスキーのコレクションで有名な美術館です。
 ニューヨークの五番街をセントラルパークのところで折れて、公園に沿って歩いていくと、白い大きなカタツムリのような形の建物が見えてきます。 この美術館、外観も奇抜ですが、なかも実に奇抜です。
 なにしろらせん状のスロープをぐるぐるまわりながら全館を一周するという、きわめて斬新な作りになっているのですから。
 設計したのは、旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトです。 
 新聞によると、この美術館、建設当時はアーティストや美術館関係者には、おそろしく不評な建物だったそうです。
 自己顕示欲のはげしい建築家の妄想だとか、アートを侮辱するものだとか・・・。
 おまけに、こんなカタツムリのような形は、ニューヨークの美しい碁盤の町並みを無視したものだと。
 それでもライトはそんな批判にめげす信念を貫き通し、16年の歳月をかけ構想を巡らせたそうです。完成したのは彼の死の半年後。
 けれど、グッケンハイムはいまや、ニューヨークのシンボルです。

 アバンギャルドというのは、そういうものかもしれないと私は新聞記事を読みながら思いました。
 建築物ということでいったら、同じくセントラルパーク沿いにあるメトロポリタン美術館などより、はるかに強烈なインパクトを放つこのグッケンハイムを人びとが認めるまでに時間がかかったことをわかる気がします。
 
 それは文学にしてもしかりです。
「毀誉褒貶」(きよほうへん)。悪評や好評という意味です。
 いつか、グッケンハイム美術館のような、毀誉褒貶される作品を書いてみたいものです。
 ただしそれを書くのは生半可なことではありません。かなりのインパクトがないと、毀誉褒貶の俎上にさえ登れないことを、私たちはすでに充分承知しているのですから。
 
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再会の場所

2008年08月04日 | Weblog
 母の葬儀に際しては、ほんとうに遠くから叔父叔母そして従兄弟たちや又従兄弟たち、たくさんのなつかしい人たちにお越しいただきました。
 
 幼なじみというのは不思議なものです。
 会ったとたん、○○ちゃんと、「ちゃん」づけでお互いを呼び合っているのですから。
 客観的にみれば、みんなもう、ずいぶんいい年です。
 けれど心の中は、あの頃のまま。
 そう、子ども時代の、あの頃のままなのです。
 叔父や叔母の印象はさすがに年月を重ねられたという実感を抱きましたが。でも従兄弟たちや又従兄弟たちは、年齢が近いということもあり、顔を見たとたん
「あっ!」と指さし会って、あとはおしゃべりに花が咲きます。
 なのに、ひとりだけ、どうしてもわからない人がいました。
 親しそうに肩をたたかれたのですが、私は怪訝そうな顔をして首をかしげると、夫や子どもたちや母方の従姉妹に、小声で、
「あの人、だれ?」
 そんなふうに聞くだけ。
「ほんとに、わからないの?」
 シビレを切らしたように、彼が言いました。
「うん」とうなずくと、「オレだよ、オレ!」
 でも、わかりません・・・。
「だれだっけ?」
「ひでえなぁ。Y家のKだよ」
「うそ!そんな顔してた?」
「してたよ」
 実は彼は、私の父方の祖母の年の離れた長姉の曾孫にあたる人だったのです。
 Y家というのは、いわば祖母にとっては実家のような場所だったので、よく彼の家でみんなで集まってお正月のお餅つきをしたり、小さかった私は祖母に手をひかれ、お釈迦さまの甘茶を飲みにいき、その帰りに決まってY家に立ち寄ったことを覚えています。
 また彼のお父さまは、私の中学の数学の先生でもありました。そして私は、彼のお母さまが経営していらしたピアノ教室でピアノを教えていたこともあるのです。
 ですから、とても近いところにいた人なのです。それなのにすっかり顔を忘れてしまったなんて!
 
 Kちゃん、このblog、読んくださってます?ごめんね。ぜんぜんわからなかった。あの秀才の美少年があんな風にバイタリティーに溢れた大人になるとは思ってもみなかったので。
 
 そういえば、お通夜の前に喪服姿で、夫と私と子どもたち夫婦、6人で秩父神社にお参りをしようと道を横切ったところで、目の前を通りかかった車の窓が突如、開いて、
「ジュンコちゃ~ん」
 女の人が、にこっと、顔を覗かせました。
 だれだろう・・・。だれだかわかりません。信号がかわって車が発進し始めました。焦って私は、
「だ~れ?」
 思わず車に向かって叫びました。
「T」
「えっT? T○子ちゃん?」
 言ってはみたもの、咄嗟に下の名前を間違えて呼んでいました。小学生のころからの同級生でした。
 Y家のKちゃんのことといい、Tさんのことといい、まったく、ボケてるとしか言い様がありません。
 そんな自分をにやにやしながら眺め、なんだかすごくうれしくなっていくのがわかりました。顔をすっかり忘れてしまうくらいなつかしい人たちと、こんなふうに再会できたことに。

 葬儀というのは、別れと共に、日ごろご無沙汰して遠くなってしまった親戚の人たちや、なつかしい人たちに、ふたたび巡り合わせてくれる場所なのかもしれません。
 原点を思い出せ、とでも、言われるみたいに。
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鎮魂~祈り

2008年08月03日 | Weblog
 山本丘人さんの日本画のような色あいの夕焼けが、西の空いっぱいに広がっています。
「赤とんぼ」をよく口ずさんでいた母への鎮魂の思いをこめ、この写真をUPします。
 はるか向こうには、秩父連山の山並みが黒いシルエットで横たわっています。
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黄泉の国

2008年08月02日 | Weblog
 7月29日、母が老衰で亡くなりました。
 93歳でした。

 前日、従姉妹と母を訪ねたときは、精いっぱいの力をふりしぼり、栄養補助ドリンクをひとくち、口にいれるたび「おいしい、おいしい」と、これ以上ないくらいの極上の笑顔を浮かべながら言い、さらにお水をあげると「おいしい、おいしい」と、晩年の母特有のくしゃくしゃのうれしそうな笑顔をむけて言っていました。
 さらには、
「立派な人になってね」
 と、私の手を握りしめてつぶやき、
「うれしい、うれしい。ほんとうによくやってもらった。幸せだ、幸せだ。」
 と、弟やその家族にむけて、数え切れないくらいの感謝の言葉をつぶやきました。
 まるでそれが遺言のように。
 あまりに大きな声で母と従姉妹と私の笑い声が聞こえてくるので、弟がびっくりして二階の事務所からおりてきたくらい、楽しい一時間を過ごすことができました。
 もしかしたら、大笑いをしたあの時間が母の命を縮めてしまったのかもしれません。
 その翌日の深夜、母はあまりにも唐突に、なんの前触れもなしに黄泉の国に逝ってしまったのですから。
 でも、あの大きな笑い声とうれしそうな母の顔を思い浮かべるたび、あんなふうに楽しい気持ちを胸にいだきながら逝ってしまったことに、悔いは残りません。
 あれはすべて、あの日、楽しいことが大好きだった母が、自分の死を予感しながら仕掛けた、楽しい時間だったのかもしれないと思いながら。

 たくさんの人たちに集まっていただいた神道でのお通夜、告別式でした。
 黄泉の国から、母はこの様子をきっと、うれしい気持ちで眺めていたことでしょう。
 
 昨晩、帰宅し、今朝このblogに向かいながら、もう母がこの世にいないことを、しみじみと実感しています。
 いつも明るく楽しく、ほんとに人間が大好きで、おしゃべりの大好きな母でした。
 なぜか、母は、あの日、私の手を握りしめこう言いました。
「いい文章を書いてね」
 大往生をした母のことを、ちょっぴり誇らしいような、そしてもの悲しいような気持ちで思いだしながら、いま、この言葉を噛みしめています。
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