山田監督の「あとがき」です、「1972年 晩秋 男はつらいよ第十作「寅次郎夢枕」の脚本執筆中‥‥」と記されています。
書き出しは、
「男はつらいよ」の第1回の脚本を書き始めたのは、思いかえせば三年前の春、桜のつぼみがほころびる頃でした。
この映画のトップシ―ンは、江戸川に散る桜吹雪から始めようと思いたち、それじゃあ、桜の花の咲いているうちに実景だけでも撮りに行こうと、あわててカメラを持って江戸川の堤に駆けつけました。
ところが江戸川の堤には桜は一本も無かった!水元公園にある、というのでそこへ向かい一日かかりで撮影したそうです。
当時、テレビドラマ「男はつらいよ」の映画化に、会社はあまり乗気ではなく、桜の実景を撮るにあたっても、何度も頭を下げてお願いしなければ実現しなかったものです。
思えばその頃、この作品がシリーズになって早くも十本目を準備している現在のこの日があろうとは、夢にも思わなかったものです。
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葛飾柴又という現実の土地の名を借りた、架空の世界、つまり、ぼくら日本人が、今日あこがれてやまない心のふるさとでしょうか――。
現実にふるさとを見出せないことは、ふしあわせなことです。ぼくらは、まさにふしあわせな時代に生きています。右をみても、左をみても、いやなこと、腹の立つことばかりです。
そんな中で、ぼくらがこの映画をつくるのも、観客と共にしばし、幻のふるさとの夢と抱きあうことを願っているのでしょう。しかし、願うだけにとどまるのであってはならないと思うのです。
ぼくらはいつか、幻ではなく、現実のこの日本にふるさとをつくらなければならないことまでをも、観客と共に語りあいたいからです。
ああそうだったのだのか、この映画に引きつけられるのは、ふるさとづくりに参加しようとの声が聞こえたからなのです。
第1作の一コマ