昨日の新家さんの句の中から、
この二句は横書きでも「意味」は分かります、が……。
立ち姿一升瓶になってきた
飲みましょう電信柱揺れるまで
飲み干されて一升瓶が畳の上に転がされている景では、詠み手の立ち姿ではありませんし、脳内の電信柱は揺れていても寄り掛かるべき物は確りと立っているのです。
だとすればこうなっていなければ、詠み手の姿になりません。
これは一升瓶と電柱だけではないでしょう、こうしてみます、
新家さん、己の人生の役どころは飲兵衛だと、だとすれば一升瓶も電信柱も横倒しにする訳にはいきません、詠み手はもちろん読み手も。