五七五としての俳句との関わりは、小学校の時の宿題で詠んだ、
“ 無灯火の自転車通る夜早し ”
が記憶に残っているし、子供の頃はつけていた日記に時々書き残していたようですが、新聞雑誌等に投稿した記憶はないのです。社会人になって日記もつけなくなり、生活のなかで文学的なものといえば読書を通じてしか接しなくなりました。
そんな時期、介護の職場にいた頃高年齢の方々とのバスでの小旅行に出かけた時です。自己紹介で品のいい御婦人が「(趣味として)俳句を少々」
という言葉が印象に残り、自分も「俳句を……」などと言ってみたくなったのです。知人がやっている句会に顔を出すようになり、パソコン講座を通じて月一の句会仲間に入り20年弱になります。
五七五のもう一つの川柳は、「てんがらもんラジオ」が縁ですから10年くらいになるでしょう。と言っても柳誌「つばさ」の購読、それも付き合い読者という程度でした。それでも川柳が持つ魅力と主宰の石神紅雀さんの教えの良さに惹かれ、遂に「入来わくわく番傘川柳会」の会員になってしまいました。
その結果、「つばさ」に名前・がら天が出たのです、
ということでこれも「芸術の秋」の良き幕開けの一つとして、これからへの励ましにここに記しておきます。