いつものことで、読みあきた見飽きたことですので、ご報告まで。
「てんがらもんラジオ」視聴出来ません、つぶやけません、ぼやくだけ
です。永野さんのお話を伺うことを楽しみにしていたのに残念です。
明日は是非視聴出来るようにしたいと思ってます。
いつものことで、読みあきた見飽きたことですので、ご報告まで。
「てんがらもんラジオ」視聴出来ません、つぶやけません、ぼやくだけ
です。永野さんのお話を伺うことを楽しみにしていたのに残念です。
明日は是非視聴出来るようにしたいと思ってます。
部、篇、章というのは、住所の表示に似てます。
住所は国、県、市(郡)町村、字、丁目、枝番 とつながります。
章の後は節です、住所でいえば枝番に当ります。
ある国を知りたいと思い訪ねることにしました。
案内書もなしに、その国の 「入口」 から歩きだして、道に迷う。 そして歩く
ことを諦めてしまう、その国は分からぬ難しい国だ、ということになります。
それを 『思想史の中のマルクス』 では、
≪『資本論』の最初の3章には、~が長々と書かれています。大部分の読者
は、ここで 『資本論』 を読み通すことは自分には無理だな、と諦めてしまい
ます。≫と書かれているのです。
ならばどうするか、というのが、昨日の
「はじめて 『資本論』 に挑戦される場合には、~まずは第四章から読
み始めるのが良いかもしれません」 です。 この「~」には、
「とりあえずここは飛ばして、」 とあります。 「国訪問」 のたとえで言えば、
「とりあえず、歩かず車で行くかヘリを飛ばして、」 ということでしょう。
そして少し高台の見通しの良い「第4章」地に立ってみよう、ということです。
なぜ、そこ 「第4章」地が見通しが良いのか、何が見えているのか?
まだその「地」の入口に立ったばかりですが、どうやら此処に「資本」が書か
れているようです。 実際最初の第1章から3章までには「資本」という文字さ
え稀にしか見ませんでした。
「資本」について理解したいと 『資本論』 を手にした人は、どこから「資本」
がはじまるのか、と思ったでしょう。
ここからです、第4章は 「貨幣の資本への転化」 というのですから、ここに
「資本」が居ます、という表示です。 でも少し気になるのは 「貨幣」 について
勉強を 「飛ばして」きたが、大丈夫なのかです。
でもそいうことをいちいち気いしていたら先に進めないのです。
テキストでも 「とりあえず」と言っているのですから、そのうち分かる仕掛け
があるのでしょう。
スマホとタブレットを使いだして変わったのは、寝転びながら書くこと。
寝転びながら読むのは日常のことですが、書くことはやりませんでした。
それが出来るのは、指で画面を触れることで文字になるからです。これは
文明の利器の新たな発達の恩恵をこうむっているわけですこし早いですが、
長生きしていてよかったというわけです。
それが「資本論」とどう関係するのか?
三日ほど前に、Yさんから 「資本論を勉強したいが一緒にやらないか」
との誘いがあり、渡りに舟と乗りこむことにしました。それは、「kaeruの
つぶやき」 に “「『資本論』も読む」を読む” という 「カテゴリー」 があり
まして、「『資本論』も読む」 を読む。 2013-04-29 からはじめて
いました。 半年も続かず、そのままになって気になっていたところでの誘い
です。何人かと一緒なら続けられるかと考えたのです。
その何人かの一人に今年92歳になるWさんがいます。 お誘いしてみた
のですが、寝た切りの状態なので残念だが遠慮する、とのことでした。
意欲があっても出来なくなる、自分にも迫ってくる問題です。寝た切りのま
ま学び続けられる状態をつくっておかなければ、と思います。その時になっ
て何とかしたい、と思っても何ともならないことも多いでしょう。
予測できることで、自分で手を打てることはやっておこう、それに寝転び
ながら勉強できるスタイルは、いかにも高齢者らしく、そのまま眠りに落ち
こんでも続きは夢のなかでということも出来そうです。
一昨日、4人集まりました。各々持っている 『資本論』 もバラバラでした。
それぞれ読んできて話合うという形ですすめようとなりました。 Hさんから参
考にだされたのが、これです。
(この写真は
http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/blog/?p=830)
に依ります。)
このテキストに、「はじめて 『資本論』 に挑戦される場合には、~まずは第四
章から読み始めるのが良いかもしれません」とあり、それではそこからはじめよ
うということに。
そして、第4章を読みだして、なるほどと思いました、そのことは明日に。
■奥の細道の旅
○現在地 須賀川に到着しました。
○次の目的地 郡山
○次の目的地までの距離 12.4km
○次の目的地までの歩数 16,790歩です。
芭蕉がじっさに須賀川に着いたのは元禄二年二十二日(1689年5月9日)です。
ここで、七泊しています。kaeruの「おくのほそ道」もいきなり雲巌寺からはじめま
したのでここらで、スタートまで戻って芭蕉の歩きを追ってみたいと思います。
7月29日に、アプリからメールが届いたいました。 この日に深川をたったのでした。
■奥の細道の旅 ○現在地 深川 ○次の目的地 千住
○次の目的地までの距離 9.9km ○次の目的地までの歩数 12,493歩で達成。
随時、芭蕉の足取に触れていきたいと思います。
現在の深川は、
こちらは、古池や…… の句碑、モダンな蛙です。
この写真はこちらから、クリックしてみて下さい。
http://senbonzakura.skr.jp/05hosomichi/13tokyo/003fukagawa/fukagawa.html
木曜日の「てんがらもんラジオ」のこともあって、この記事に目が止りました。
≪いま、「ラジオ」がピンチです。~盛り返す秘策はあるのでしょうか。≫という
書き出しが気になります。これは若手ラジオ製作者の研修会の取材記事です。
記事の終わりの部分で、「ラジオに将来はありますか?」。参加者の問いへの
答えとして、≪テレビが大都市だとしたらラジオは里山。パーソナリティーを中
心にしたリスナーとのつながりは、テレビでは絶対にまねができない。無縁
社会といわれ、若者もネットでつながりを求める時代、ラジオの果たす役割は大
きくなると思います。≫(太字はkaeru)
テレビにないラジオの魅力とは、何でしょうか。
テレビアナから文化放送のパーソナリティーになった福井謙二さんの感想。
≪テレビはカメラに向かってキャッチボールしますが、ラジオは(番組相方の)水谷
さんと向かい合(う)。会話の中にリスナーがいるラジオの近さにショックをうけまし
たね。
リスナーから 「消費税が10%に上がると困る」 というメールを頂いた時、私は何
気なく 「欧米だってすごい消費税だから」 と口走ったんです。 後で「あなたは税金
に対してどういう気持ちがあるんだ」 と反論がきました。 ~ 庶民感覚を常に押えて
いかないといけないと気付きました。≫
この記事では、ラジオとインターネットによる視聴者との関係、視聴者とブログでの
交流などについて触れておりません。 「てんがらもん」 の魅力のひとつがそこにある
ことは明らかです。 この自分の魅力を鏡に映し確認し、さらに強くしていく作業にどう
取り組んでいくか、2時間枠になって半年を経ようとしている 「てんがらもんラジオ」の
挑戦です。
で紹介しました大ちゃんと昨夜会いました。神社の例大祭の鉢払いにお父
さんに連れられて、実際に会ったのははじめてです。
以前からこのブログで紹介したかったので、昨夜お父さんの春日さんにお願いしました。
そこで、最近の写真から
犬のナナちゃんの迷惑そうな顔と大ちゃんの得意げ。
これは仲良く昼寝です。
こちらは積み木で、
お父さんの解説。
「微妙なバランスの積木。
カンカンカンと言っているから電車系のりものなんだろう。
言葉が増えてくるのと比例して作る形も具体化してくるんだな~。」
こちらは、
「今度は積木でカマドを作り。棒を薪や火吹き竹のようにして焼べたり吹いたりし
ていました。
興味ある経験は想像力を育むんだな~。火は料理ができ、お風呂を沸かし、暖が
とれ、光源や電気まで作れる大事な存在。」
さて、つぎは一年前の姿、自宅です。
この家については、ここでごらん下さい。この写真もこちらからお借りしました。
春日泰宣さん「畳のある暮らし」
今夜、以前紹介した大ちゃんを写真付きで紹介したかったのです
が借りてきた猫ならぬ、借りてきたパソコンがまったく動きません。
何とか、明日にはと願っています。
はじめがあれば終りがある、この真実は全ての物の上に。
我が身にも? いま申し上げたように、全ての物ですので
我が身の話は別です。それはおかしいのでは、普段、身体
も物のひとつだ、と言っているではないですか。
あのね、話をややこしくしないでほしい、それでなくて
も気難し屋のタブレットで書いているのだから、今の話は
何時か話すから先にすすめるよ。ノートパソコンのNが入
力不能なったのは、三日位前でそれはIMFパットとかいう
機能で一回一回一字一字書き込んでいました。
ところで今、目の前にあるパソコンの画面は真っ黒で、カー
ソル以外は闇です。
明日、「病院」に持って行ってどうなりますやら。
よって、今夜はここまで。
縁側という言葉から光景を浮かべられる人の数も少なくなってきていると思
います。 今日の「てんがらもん」のゲスト、鹿児島国際大学教授・蓑毛良助さ
んのお話の最後にでた話題が縁側でした。
そして、今日のお話をふり返った時、この言葉が心に残っていました。ところ
が、どういう話の続きから縁側に至ったのかが分からなくなっていました。
そこで、終わりの部分を聞き直しています。
http://www.ustream.tv/recorded/52529195 の最終部分です。
それはこういうことでした。
認知症の高齢者の暮らしを地域で支える力について語り合っているなかで、蓑
毛さんがいい風景だ、と紹介されたのが地元の老人クラブの一光景です。その会
では地域のゴミ拾いをしたあと、すこし大きな家の縁側でお茶を飲みます。その光
景は、蓑毛さんの子どもの頃の祖父の家の囲炉裏を囲んで語りあっていた光景と
つがるのです。
日本の家屋のもっている人と人のつながりを生みだし保つ造りについて、縁側の
役割を強調されていました。家の中まで入らない、庭と家と接点の縁側は、家の人
と周辺の人との接点でもあったのです。
今日のお話は心理学を研究されてきた経験から、発声と言葉と身体の関係、高
齢者の趣味と子供の頃の体験、「命の電話」の通じて聴くことの大切さ、役割は人
を変えるなどなど、聴けば役立つ2時間といえます。
さて、縁側の代わりに地域ではそれぞれの対応があろうかと思います。合せて
インターネット時代の「縁側」として、ブログに集うというのもひとつのあり方では
ないでしょうか、すくなくてもその可能性のひとつとして考えてもいいでしょう。
ポプラ社刊 「椋鳩十全集」の第1巻の表紙です。ぼんやりしていますが、
この方が内容を知るのにはいいでしょう。
話の内容を一行で紹介しようと、次のような紹介文があります。
「子グマを助けようとして滝つぼめがけて飛びこむ母グマの愛情のきびしさを描いた」
「小グマを守ろうとする、母グマは30メートルもある滝つぼに身を投げる・・・・・」
「子グマをつかまえようとした人間に、 いかり心頭した母グマが子グマをたすけるために、 滝のてっぺんの岩から、滝つぼめがけてとびこんだ。」
その姿が、昨日のこの絵の母熊の部分です。
私はこの顔を見て、狼かと思いました、森の獣で怒りの表情を思い浮かべると狼の姿が浮かぶのです。
母熊の怒りの元になっているのが、二人の人間の少年で、昨日の絵にあります。
この絵については椋さんの文章で、
≪わたしたちは、子ぐまを生けどりにするために、そのくるみの木に、二人で登りはじめました。≫
わたしとは椋少年です。二人は森のなかで親から離れた小熊を見つけたのです。
その様子を滝の上の岩から母熊が見て、滝のなかへ!
母熊は≪あんな高いところから飛びこんだのでは、いくら強いくまでも、たすかりっこありません。
かわいそうに、死んでしまったにちがいありません。わたしも荒木君も、むねがつぶれる思いでし
た。 ひと声も発することができませでした。≫
母熊は生きていました。子くまを連れて、歩き去っていく姿をふたりは見送ります。
『地獄島とロシア水兵』 を読んで。
まず、この作品は73歳のお爺さんが中学1年生の孫と旅をするという点で、大変面白い内容で
す。 爺の感動を孫にも伝えるという爺婆世代むけの作品でもあります。その点は作品から読みとっ
ていただくとして、二つの作品に共通するものについての感想を書きたいと思います。
全集の第1巻の 『月の輪グマ』 は椋文学の初期、『地獄島とロシア水兵』 は全集のために書き
下ろされた作品だそうで、全集刊行時期(1979年・74歳)では最終の作品です。偶々読むことに
なった椋文学の初期と最終期の作品を通じて、この著者の「生活」にたいする真摯さ、生活の根底
にある自然と正面から向き合う姿勢ということの大切さを感じます。
『地獄島とロシア水兵』のなかの中学一年生同士の会話です。
一彦(島の少年)は、アワビを刺し身にして、
≪「こいつを、海の水で洗って食うと、日本一にうまいぞ。」
というと一彦は、沖の方に船をこぎ出すのです。
「沖の水の方が、うまいのかね。」
と、正彦(お爺さんの孫)はたずねました。
「海の水は、どこでも同じさ、だけど、あのあたりはウニとアワビの漁場で、見島(地獄島のこと)
の者ばかりでなく、本土の人間もやってきて、海にもぐるからいけないのだ。」
「本土の人間が海にもぐったら、なぜいけないのだい。」
「海に生きる人間は、海を、とても大切にする。海がなければ生きられないからだ。ところが本土
からウニをとりにくる人間は、遊びにくるのだ。海に生きる人間ほど、海を大切に思わない。だから、
海にもぐったままで、小便するやつがいるんだ、ほんとうに、そういうやつがたくさんいるだ。~」≫
それは気持ちの問題だと、二人は沖に出てウニを食べます。
この部分の少年の会話をつうじて、自然と生活についてのあり方、生活思想の根底というような
ものを感じました。 「3・11」を通じて、生活の見直しが言われました。その問題を考えるとき、
椋文学が示唆を与えてくれるのではないか、という思いがします。
生活の糧を自然に依拠している人間にとって、自然は自分の生命と一体のものです。しかしそ
こから離れた人間には遊びの場になります。子熊をとらえようとする少年の行為は遊びです、しか
し母熊という自然の前では許されない行為です。
豊かな信州の自然のなかで育ち、その自然に鹿児島の海という自然をも得て育まれた椋文学に
近づく機会が与えられたことを喜びとします。